乳房星(たらちねぼし)〜再出発版
【僕の憂鬱(ゆううつ)】
日本時間9月1日の午前11時50分頃、BSの民放の生放送が始まった。
イオンモール今治新都市のきらめきコートには、大勢のみなさまが集まっていた。
モールの外にあるサイネージとフードコートのサイネージの画面にも、生放送が映っていた。
きらめきコートに集まったみなさまの中に、母子保護施設で暮らしている子どもたちとお母さま方たちとスタッフさんたちが座っていた。
その中に、ゆりこがいた。
ゆりこは、左腕に包帯を巻いていた。
包帯の中身は、リスカによってできた大きな傷あとがあった。
ヨリイさんは、ものすごくつらい表情を浮かべていた。
私が選んだ曲目次第で、ゆりこは完全にアウトになる…
ゆりこは、23年前に犯したあやまちをわびずにイコジを通しまくった…
ゆりこは、私・イワマツにわびる気持ちは今もないようだ…
ゆりこが完全にアウトになる可能性は、きわめて高くなった…
正午の時報を知らせる館内放送が聞こえたと同時に、『ドレミの歌』(映画『サウンド・オブ・ミュージック』より)が大型スピーカーから流れた。
その後、40組80人の出場者のみなさまがステージに上がった。
総合司会を務めるコミュニティーFM局の女性パーソナリティさんが一組ずつ出場者を紹介した。
私・イワマツは最終組でステージに上がった。
チームの優勝賞金は1000万円…
金杯・1億円と副賞…
銀杯・5000万円と副賞…
…がそれぞれ贈られる予定である。
金杯の副賞は、番組スポンサーの大手特大自動車メーカーからダブルデッカーの50人乗りのバスの最新モデルが贈られる予定である。
オープニングセレモニーのあと、早速一組目の歌唱が始まった。
先攻の西軍は、西軍の司会を務める九州北部に本社がある大手通販会社の社長さまで、曲目は舟木一夫さんの歌で『銭形平次』であった。
後攻の東軍は、東軍の司会を務める関東北部に本社がある大手通販会社の社長さまで、曲目は中村雅俊さんの歌で『俺たちの旅』であった。
最初の一組の歌は、むかしのテレビドラマの主題歌であった。
2〜20組目は、私が知らないアーティストの歌ばかりがつづいた。
(2〜20組目に出場する社長さまたちは、比較的年齢がお若い方であった。)
後半の21組目から私が大トリを務めるところまでは、1970年代〜1980年代の歌が多いが、40曲とも泣き歌・号泣ソングで占められていた。
午後2時頃に前半の20組が終了した。
このあと、後半が始まる午後3時までの間は、キンリンの保育園の園児たちによるお遊戯発表会と市内にあるダンススタジオの女の子たちの踊りが披露された。
その模様も、放送された。
そして午後3時になった。
後半20組の歌唱が始まった。
21〜30組は、西軍先攻・東軍後攻で進行する。
先攻の西軍は、大手精密機器メーカーの社長さまで曲目は布施明さんの歌で『シクラメンのかほり』…
後攻の東軍は、大手アパレル会社の女性社長さまで曲目は都はるみさんの歌で『北の宿から』…
…であった。
ゆりこは、『北の宿から』から泣き出した。
その後、トリの曲までぐすんぐすんと泣き続けた。
その頃、私は楽屋で衣装合わせをしていた。
この時、私はものすごく悲しいイメージの色の歌唱スーツを着用すると決めた。
この時点で、ゆりこは完全にアウトになることが確定した。
イオンモール今治新都市のきらめきコートには、大勢のみなさまが集まっていた。
モールの外にあるサイネージとフードコートのサイネージの画面にも、生放送が映っていた。
きらめきコートに集まったみなさまの中に、母子保護施設で暮らしている子どもたちとお母さま方たちとスタッフさんたちが座っていた。
その中に、ゆりこがいた。
ゆりこは、左腕に包帯を巻いていた。
包帯の中身は、リスカによってできた大きな傷あとがあった。
ヨリイさんは、ものすごくつらい表情を浮かべていた。
私が選んだ曲目次第で、ゆりこは完全にアウトになる…
ゆりこは、23年前に犯したあやまちをわびずにイコジを通しまくった…
ゆりこは、私・イワマツにわびる気持ちは今もないようだ…
ゆりこが完全にアウトになる可能性は、きわめて高くなった…
正午の時報を知らせる館内放送が聞こえたと同時に、『ドレミの歌』(映画『サウンド・オブ・ミュージック』より)が大型スピーカーから流れた。
その後、40組80人の出場者のみなさまがステージに上がった。
総合司会を務めるコミュニティーFM局の女性パーソナリティさんが一組ずつ出場者を紹介した。
私・イワマツは最終組でステージに上がった。
チームの優勝賞金は1000万円…
金杯・1億円と副賞…
銀杯・5000万円と副賞…
…がそれぞれ贈られる予定である。
金杯の副賞は、番組スポンサーの大手特大自動車メーカーからダブルデッカーの50人乗りのバスの最新モデルが贈られる予定である。
オープニングセレモニーのあと、早速一組目の歌唱が始まった。
先攻の西軍は、西軍の司会を務める九州北部に本社がある大手通販会社の社長さまで、曲目は舟木一夫さんの歌で『銭形平次』であった。
後攻の東軍は、東軍の司会を務める関東北部に本社がある大手通販会社の社長さまで、曲目は中村雅俊さんの歌で『俺たちの旅』であった。
最初の一組の歌は、むかしのテレビドラマの主題歌であった。
2〜20組目は、私が知らないアーティストの歌ばかりがつづいた。
(2〜20組目に出場する社長さまたちは、比較的年齢がお若い方であった。)
後半の21組目から私が大トリを務めるところまでは、1970年代〜1980年代の歌が多いが、40曲とも泣き歌・号泣ソングで占められていた。
午後2時頃に前半の20組が終了した。
このあと、後半が始まる午後3時までの間は、キンリンの保育園の園児たちによるお遊戯発表会と市内にあるダンススタジオの女の子たちの踊りが披露された。
その模様も、放送された。
そして午後3時になった。
後半20組の歌唱が始まった。
21〜30組は、西軍先攻・東軍後攻で進行する。
先攻の西軍は、大手精密機器メーカーの社長さまで曲目は布施明さんの歌で『シクラメンのかほり』…
後攻の東軍は、大手アパレル会社の女性社長さまで曲目は都はるみさんの歌で『北の宿から』…
…であった。
ゆりこは、『北の宿から』から泣き出した。
その後、トリの曲までぐすんぐすんと泣き続けた。
その頃、私は楽屋で衣装合わせをしていた。
この時、私はものすごく悲しいイメージの色の歌唱スーツを着用すると決めた。
この時点で、ゆりこは完全にアウトになることが確定した。