乳房星(たらちねぼし)〜再出発版
【恋唄綴り】
再びイオンモール今治新都市のきらめきコートにて…
歌合戦は、後半の最初・21組目の歌唱が終わったところであった。
つづいて、22組目の出場者がステージに上がった。
西軍は、大手美容サービスチェーンの女性社長さまで曲目は芹洋子さんの歌『四季の歌』…
東軍は、大手水道メーター会社の男性社長さまで曲目は堀内孝雄さんの歌で『恋唄綴り』…
…である。
2曲とも、荒木とよひさ先生の作詞の歌である。
「ぐすんぐすんぐすんぐすんぐすんぐすんぐすんぐすんぐすんぐすんぐすんぐすんぐすんぐすんぐすんぐすん…ぐすんぐすんぐすんぐすんぐすんぐすんぐすんぐすんぐすんぐすんぐすんぐすんぐすんぐすんぐすんぐすんぐすんぐすんぐすんぐすん…」
ゆりこは、ぐすんぐすんと泣いていた。
22組目から私が大トリを務める最終組まで泣き歌・号泣ソングがずっとつづく予定である。
芹洋子さんの歌で『四季の歌』がかかった時に、ゆりこの泣き方がひどくなりだした。
ステージ裏にて…
私は、最終組のトリまでの間の歌を静かに聴いた。
最終組のトリまでの間の曲目は、想い出深い歌ばかりであった。
東軍の社長さまが歌う『恋唄綴り』がかかった時であった。
私は、つらかった時のことを思い出した。
(ピーッ、ゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトン…)
時は、1995年5月6日の夕方5時過ぎであった。
私は、JR予讃線の上り特急列車に乗って再び旅に出た。
この時間、列車は比地大《ひじだい》(香川県三豊市)の田園地帯を走行していた。
列車の窓に、夕暮れの田園地帯の風景が写っていた。
この日の昼前のことであった。
私は、ゆりこからきつい暴力をふるわれた…
健太から言葉の暴力を受けた…
そして、健太の毒親《おや》からも言葉の暴力を受けた…
私は、激しい怒りに震えていた…
同時に、私は自分自身の恋愛・結婚をヒカンシした…
こななことになるのであれば、教会に行くのじゃなかった…
教会の手前200メートルで引き返していれば、事件を防ぐことができた…
後悔《くや》んでも後悔《くや》みきれない…
ところ変わって、健太がいる教会の控室《ひかえしつ》にて…
健太は、毒親《ははおや》ともめごとを繰り広げていた。
そこへ、私がやって来た。
毒親《ははおや》は、私の顔を見るなりにのんきな声で言うた。
「あらよーくん…帰って来たのね。」
私は、ものすごく怒った声で健太の毒親《ははおや》に言うた。
「これは一体なんやねん…オレに対してのあてつけか!?」
健太の毒親《ははおや》は、ものすごく困った表情で私に言うた。
「よーくん、ひとりでなに怒ってるのよ?」
「ふざけるなこのやろう!!」
あとから追いかけてきたスタッフさんが私をなだめた。
「よーくん、違うのよ〜」
「ふざけるな!!」
健太は、ものすごく困った表情で私に言うた。
「よーくん、どうしたんだよ〜」
「オドレ健太!!」
「よーくん落ちついてよ~」
「ふざけるなこのやろう!!よくもオレにいちゃもんつけたな!!」
「いちゃもんつけてないよぅ〜」
「ダマレ!!女ドロボーしておいて逃げる気か!?」
そこへ、純白のウェディングドレス姿のゆりこがやって来た。
(ゴツーン!!)
ブチ切れたゆりこは、私の背中にリンゴを投げつけたあとものすごく怒った声で言うた。
「ひどい!!あんまりよ!!」
私は、ものすごく怒った声でゆりこを怒鳴りつけた。
「なんやねん急に!!」
「よーくんは、ゆりこと健太くんの結婚にいちゃもんつける気なの!?」
「いちゃもんつけてきたのはゆりこだ!!」
「もう怒ったわよ!!」
ブチ切れたゆりこは、近くにある物で私を殴りつけようとした。
そこへ、ヨリイさんがものすごく怒った表情でやって来た。
「ゆりこちゃん!!落ち着きなさい!!」
ゆりこは、ものすごく怒った声でヨリイさんに言うた。
「先生!!よーくんはゆりこと健太さんの結婚にけちつけたのよ!!」
私は、ものすごく怒った声でゆりこに言い返した。
「ふざけるな!!」
「ゆりこと健太さんの結婚を素直によろこべないよーくんなんかだーいきらい!!」
「ますますはぐいたらしいのぉ!!オドレみたいなキョーボー女は大キライだ!!」
「よくも言ったわね!!ワーッ!!」
「ゆりこちゃん!!やめなさい!!」
「離して!!よーくんがゆりこをキョーボー呼ばわりしたから、やっつけてやる!!」
「やめなさい!!」
ブチ切れたゆりこは、凶器を手にしたあと私に殴りかかろうとした。
施設のスタッフさんたち数人は、必死になってゆりこを止めた。
思い切りブチ切れた私は、ショルダーバッグを持って教会から出た。
どーでもせえ…
って言うか、ゆりこは完全にふざけている!!
なにが素直によろこべだ!!
健太も健太で、絶対にこらえへん…
(ピーッ、ゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトン…ゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトン…)
時は、夕方5時55分頃であった。
私は、JR高徳線の特急列車『うずしお』号に乗り換えて徳島方面へ向かった。
私は、窓に写る夕暮れの海をながめながらウォークマンで歌を聴いていた。
イヤホンから、堀内孝雄さんの歌が流れていた。
『憧れ遊び』『愛しき日々』『遥かな轍(わだち)』『ガキの頃のように』『川は泣いている』『恋唄綴り』『青春でそうろう』『プラトニック』『遠き日の少年』『影法師』『波の調べに』…
セルフカバー曲〜『旅愁人(たびびと)』『三陸海岸』『夢待人(ゆめまちびと)』『忘却雨(わすれあめ)』『月が笑ってらぁ』…
この中で、私は『恋唄綴り』を繰り返して聴いていた。
私は、終点徳島駅に到着するまでの間、涙をこぼして泣きながら歌を聴いていた。
(ボーッ、ボーッ、ボーッ…)
日付が変わって、5月7日の深夜0時過ぎであった。
私は、徳島沖ノ洲マリンターミナルから南海フェリーに乗って和歌山港へ向かった。
(ピーッ、ゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトン…ゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトン…)
フェリーから降りたあと、南海電車の和歌山港駅から始発の特急『サザン』に乗って大阪なんばへ向かった。
私は、ウォークマンで歌を聴きながら和歌山ー大阪間の街の風景をながめていた。
この時、私は3つの時のことを思い出した。
子どもキャンプから逃げ出したあと、西日本のテレビのチャンネル数が少ないエリアのあちらこちらを逃げ回りながら大番頭《おおばんと》はんたちと大好きな実母《ママ》を探した…
話しは、【京都から博多まで】の話の最後の方から始まる。
時は、1975年8月11日の午後1時半頃であった。
3つの私は、国鉄西鹿児島駅(JR鹿児島中央駅)の東口にある路面電車《トラム》の乗り場にいた。
信州の子どもキャンプから逃げ出して自由の身になったが、ここから先は自分ひとりだけで旅をすることができない…
どげんしたらよかと…
私は、途方に暮れていた。
そんな時であった。
黒の大きなトランクひとつを持っている風来坊の男が3つの私のもとにやって来た。
風来坊の男は、私に声をかけた。
「やっと見つけたワ…ぼうずは、コリントイワマツヨシタカグラマシーちゃんだね。」
「そうだけど…なんでぼくを知っているの?」
「おいちゃんは、内子の溝端屋の小番頭《こばんと》はんを務めていた磯村や。」
「ホンマに?」
「ああ…溝端屋のダンナに頼まれてここへ来たねん…」
3つの私は、悲しげな声で小番頭《こばんと》はんに言うた。
「おっちゃん、ぼく、大番頭《おおばんと》はんたちを探しに鹿児島《かごんま》へ来たねん…せやけど、どこ探しても見つからんかった。」
「おっちゃんも大番頭《おおばんと》はんたちを探しよんよ…ちょうどよかった…おっちゃんと一緒に大番頭《おおばんと》はんたちを探しに行こや。」
「お願いします。」
このあと、3つの私は小番頭《こばんと》はんと一緒に大番頭《おおばんと》はんたちを探す旅に出た。
大番頭《おおばんと》はんたちがいないと、私はどうすることもできない…
大番頭《おおばんと》はんたちを一刻も早く見つけないと…
手遅れになってしまう…
歌合戦は、後半の最初・21組目の歌唱が終わったところであった。
つづいて、22組目の出場者がステージに上がった。
西軍は、大手美容サービスチェーンの女性社長さまで曲目は芹洋子さんの歌『四季の歌』…
東軍は、大手水道メーター会社の男性社長さまで曲目は堀内孝雄さんの歌で『恋唄綴り』…
…である。
2曲とも、荒木とよひさ先生の作詞の歌である。
「ぐすんぐすんぐすんぐすんぐすんぐすんぐすんぐすんぐすんぐすんぐすんぐすんぐすんぐすんぐすんぐすん…ぐすんぐすんぐすんぐすんぐすんぐすんぐすんぐすんぐすんぐすんぐすんぐすんぐすんぐすんぐすんぐすんぐすんぐすんぐすんぐすん…」
ゆりこは、ぐすんぐすんと泣いていた。
22組目から私が大トリを務める最終組まで泣き歌・号泣ソングがずっとつづく予定である。
芹洋子さんの歌で『四季の歌』がかかった時に、ゆりこの泣き方がひどくなりだした。
ステージ裏にて…
私は、最終組のトリまでの間の歌を静かに聴いた。
最終組のトリまでの間の曲目は、想い出深い歌ばかりであった。
東軍の社長さまが歌う『恋唄綴り』がかかった時であった。
私は、つらかった時のことを思い出した。
(ピーッ、ゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトン…)
時は、1995年5月6日の夕方5時過ぎであった。
私は、JR予讃線の上り特急列車に乗って再び旅に出た。
この時間、列車は比地大《ひじだい》(香川県三豊市)の田園地帯を走行していた。
列車の窓に、夕暮れの田園地帯の風景が写っていた。
この日の昼前のことであった。
私は、ゆりこからきつい暴力をふるわれた…
健太から言葉の暴力を受けた…
そして、健太の毒親《おや》からも言葉の暴力を受けた…
私は、激しい怒りに震えていた…
同時に、私は自分自身の恋愛・結婚をヒカンシした…
こななことになるのであれば、教会に行くのじゃなかった…
教会の手前200メートルで引き返していれば、事件を防ぐことができた…
後悔《くや》んでも後悔《くや》みきれない…
ところ変わって、健太がいる教会の控室《ひかえしつ》にて…
健太は、毒親《ははおや》ともめごとを繰り広げていた。
そこへ、私がやって来た。
毒親《ははおや》は、私の顔を見るなりにのんきな声で言うた。
「あらよーくん…帰って来たのね。」
私は、ものすごく怒った声で健太の毒親《ははおや》に言うた。
「これは一体なんやねん…オレに対してのあてつけか!?」
健太の毒親《ははおや》は、ものすごく困った表情で私に言うた。
「よーくん、ひとりでなに怒ってるのよ?」
「ふざけるなこのやろう!!」
あとから追いかけてきたスタッフさんが私をなだめた。
「よーくん、違うのよ〜」
「ふざけるな!!」
健太は、ものすごく困った表情で私に言うた。
「よーくん、どうしたんだよ〜」
「オドレ健太!!」
「よーくん落ちついてよ~」
「ふざけるなこのやろう!!よくもオレにいちゃもんつけたな!!」
「いちゃもんつけてないよぅ〜」
「ダマレ!!女ドロボーしておいて逃げる気か!?」
そこへ、純白のウェディングドレス姿のゆりこがやって来た。
(ゴツーン!!)
ブチ切れたゆりこは、私の背中にリンゴを投げつけたあとものすごく怒った声で言うた。
「ひどい!!あんまりよ!!」
私は、ものすごく怒った声でゆりこを怒鳴りつけた。
「なんやねん急に!!」
「よーくんは、ゆりこと健太くんの結婚にいちゃもんつける気なの!?」
「いちゃもんつけてきたのはゆりこだ!!」
「もう怒ったわよ!!」
ブチ切れたゆりこは、近くにある物で私を殴りつけようとした。
そこへ、ヨリイさんがものすごく怒った表情でやって来た。
「ゆりこちゃん!!落ち着きなさい!!」
ゆりこは、ものすごく怒った声でヨリイさんに言うた。
「先生!!よーくんはゆりこと健太さんの結婚にけちつけたのよ!!」
私は、ものすごく怒った声でゆりこに言い返した。
「ふざけるな!!」
「ゆりこと健太さんの結婚を素直によろこべないよーくんなんかだーいきらい!!」
「ますますはぐいたらしいのぉ!!オドレみたいなキョーボー女は大キライだ!!」
「よくも言ったわね!!ワーッ!!」
「ゆりこちゃん!!やめなさい!!」
「離して!!よーくんがゆりこをキョーボー呼ばわりしたから、やっつけてやる!!」
「やめなさい!!」
ブチ切れたゆりこは、凶器を手にしたあと私に殴りかかろうとした。
施設のスタッフさんたち数人は、必死になってゆりこを止めた。
思い切りブチ切れた私は、ショルダーバッグを持って教会から出た。
どーでもせえ…
って言うか、ゆりこは完全にふざけている!!
なにが素直によろこべだ!!
健太も健太で、絶対にこらえへん…
(ピーッ、ゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトン…ゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトン…)
時は、夕方5時55分頃であった。
私は、JR高徳線の特急列車『うずしお』号に乗り換えて徳島方面へ向かった。
私は、窓に写る夕暮れの海をながめながらウォークマンで歌を聴いていた。
イヤホンから、堀内孝雄さんの歌が流れていた。
『憧れ遊び』『愛しき日々』『遥かな轍(わだち)』『ガキの頃のように』『川は泣いている』『恋唄綴り』『青春でそうろう』『プラトニック』『遠き日の少年』『影法師』『波の調べに』…
セルフカバー曲〜『旅愁人(たびびと)』『三陸海岸』『夢待人(ゆめまちびと)』『忘却雨(わすれあめ)』『月が笑ってらぁ』…
この中で、私は『恋唄綴り』を繰り返して聴いていた。
私は、終点徳島駅に到着するまでの間、涙をこぼして泣きながら歌を聴いていた。
(ボーッ、ボーッ、ボーッ…)
日付が変わって、5月7日の深夜0時過ぎであった。
私は、徳島沖ノ洲マリンターミナルから南海フェリーに乗って和歌山港へ向かった。
(ピーッ、ゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトン…ゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトン…)
フェリーから降りたあと、南海電車の和歌山港駅から始発の特急『サザン』に乗って大阪なんばへ向かった。
私は、ウォークマンで歌を聴きながら和歌山ー大阪間の街の風景をながめていた。
この時、私は3つの時のことを思い出した。
子どもキャンプから逃げ出したあと、西日本のテレビのチャンネル数が少ないエリアのあちらこちらを逃げ回りながら大番頭《おおばんと》はんたちと大好きな実母《ママ》を探した…
話しは、【京都から博多まで】の話の最後の方から始まる。
時は、1975年8月11日の午後1時半頃であった。
3つの私は、国鉄西鹿児島駅(JR鹿児島中央駅)の東口にある路面電車《トラム》の乗り場にいた。
信州の子どもキャンプから逃げ出して自由の身になったが、ここから先は自分ひとりだけで旅をすることができない…
どげんしたらよかと…
私は、途方に暮れていた。
そんな時であった。
黒の大きなトランクひとつを持っている風来坊の男が3つの私のもとにやって来た。
風来坊の男は、私に声をかけた。
「やっと見つけたワ…ぼうずは、コリントイワマツヨシタカグラマシーちゃんだね。」
「そうだけど…なんでぼくを知っているの?」
「おいちゃんは、内子の溝端屋の小番頭《こばんと》はんを務めていた磯村や。」
「ホンマに?」
「ああ…溝端屋のダンナに頼まれてここへ来たねん…」
3つの私は、悲しげな声で小番頭《こばんと》はんに言うた。
「おっちゃん、ぼく、大番頭《おおばんと》はんたちを探しに鹿児島《かごんま》へ来たねん…せやけど、どこ探しても見つからんかった。」
「おっちゃんも大番頭《おおばんと》はんたちを探しよんよ…ちょうどよかった…おっちゃんと一緒に大番頭《おおばんと》はんたちを探しに行こや。」
「お願いします。」
このあと、3つの私は小番頭《こばんと》はんと一緒に大番頭《おおばんと》はんたちを探す旅に出た。
大番頭《おおばんと》はんたちがいないと、私はどうすることもできない…
大番頭《おおばんと》はんたちを一刻も早く見つけないと…
手遅れになってしまう…