乳房星(たらちねぼし)〜再出発版
【いっそセレナーデ・その2】
また場面は変わって、JR門司港駅の前の広場にて…
時は、1995年5月17日の午後3時過ぎであった。
広場におおぜいの人たちが集まっていた。
この時、広場ではバナナのたたき売りがひらかれていた。
啖呵売人《ばいにん》のおいちゃんは、お得意の文句でお客さまを楽しませていた。
商売開始から十数分後に、お客さまたちが次々に購入を申し出た。
時は、夕方4時40分頃であった。
私は、後片付けをしている啖呵売人《おっちゃん》のもとへ行った。
私は、おそるおそるの表情で啖呵売人《おっちゃん》に声をかけた。
「あの〜」
「なんぞぉ〜」
「あの〜」
「もう、終わったんだよ!!」
「私は、バナナを買いに来たのじゃないのです…私は、人を探してここまで来たのです。」
「人を探しているって?」
「はい…実は私…」
そこへ、シャテイの男がやって来た。
「アニキ。」
「おう。」
「どないしやしたか?」
「このボウズが人を探しよるといよんよ。」
「人を探している?」
私は、シャテイの男に対してワケを話した。
「私は、20年前(1975年)の夏に、信州の子どもキャンプから逃げたあと、西日本の各地を逃げ回っていたのです…その時、鹿児島《かごんま》でお世話になった磯村の啖呵売人《おっちゃん》を探しているんです…」
私の話を聞いた啖呵売人《おっちゃん》は、私にこう言うた。
「ボウズの名前は?」
「コリントイワマツヨシタカグラマシーです。」
啖呵売人《おっちゃん》は、小首をかしげながら言うた。
「まてよ…わい、20年前に豊後《ぶんご》の日田《ひた》の旅館で子連れの啖呵売人《ばいにん》が泊まっていたのをみたなぁ〜…啖呵売人《ばいにん》が連れていた子どもは…男の子だった…」
私は、啖呵売人《おっちゃん》に申し出た。
「その時の男の子は、私です。」
「えっ?」
「せやから、日田の旅館にいた男の子は私です!!」
「えっ?それはボウズだったのか?」
「そうです!!一緒にいた啖呵売人《ばいにん》は、四国の内子にある溝端屋の小番頭《こばんと》はんを努めていた人です!!」
私の話を聞いた啖呵売人《おっちゃん》は、『ああ、思い出した~』と言うたあとこう言うた。
「ワイ、内子の蝋燭《ろうそく》問屋で番頭《ばんと》はんしょった…その時に、溝端屋の小番頭《こばんと》をちょくちょく見かけた…小番頭《こばんと》が溝端屋をやめたあと、ワイのデシになった…けど、(昭和)49年にワイのもとから離れた…ほんで、自立して啖呵売人《ばいにん》になった…」
「そうですか…分かりました。」
「それと、最後にボウズに伝言があるねん。」
「伝言?」
「せや。」
啖呵売人《おっちゃん》は、私に一枚の写真を差し出した。
写真を受け取った私は、写真を見た。
写真に写っていた女性は、ゆかさんであった。
ゆかさんだ…
私は、啖呵売人《おっちゃん》に写真に写っている女性のことを聞いた。
「おっちゃん…この女性は?」
「溝端屋の大番頭《おおばんと》の次女《むすめ》さんや…おいデシ。」
「へえ。」
「溝端屋の大番頭《おおばんと》の次女《むすめ》さんをどこで見たかな?」
「たしか、泉大津の港で見かけやした。」
「泉大津。」
「せや。」
「おっちゃんたちは、泉大津から阪九フェリーに乗って門司《ここ》へ来たのですか?」
「せや…おいデシ。」
「へえ。」
「大番頭《おおばんと》の次女《むすめ》は、何日の船に乗る予定ぞ?」
「今夜の便《フェリー》に乗ると言うてやした。」
「今夜!?」
「せや。」
「オレ、今から関西へ行く…おっちゃん、おおきに!!」
いても立ってもいられなくなった私は、すぐに出発した。
夜7時過ぎであった。
私は、JR小倉駅から東京行きの新幹線ひかりに乗って旅に出た。
新大阪駅に到着したあとは、大阪メトロ御堂筋線と南海電車を乗り継いで泉大津へ向かう予定であった。
大番頭《おおばんと》はんたちの居場所を知っているのはゆかさんだけである…
急げ…
急ぐのだ…
もう…
時間がない…
時は、1995年5月17日の午後3時過ぎであった。
広場におおぜいの人たちが集まっていた。
この時、広場ではバナナのたたき売りがひらかれていた。
啖呵売人《ばいにん》のおいちゃんは、お得意の文句でお客さまを楽しませていた。
商売開始から十数分後に、お客さまたちが次々に購入を申し出た。
時は、夕方4時40分頃であった。
私は、後片付けをしている啖呵売人《おっちゃん》のもとへ行った。
私は、おそるおそるの表情で啖呵売人《おっちゃん》に声をかけた。
「あの〜」
「なんぞぉ〜」
「あの〜」
「もう、終わったんだよ!!」
「私は、バナナを買いに来たのじゃないのです…私は、人を探してここまで来たのです。」
「人を探しているって?」
「はい…実は私…」
そこへ、シャテイの男がやって来た。
「アニキ。」
「おう。」
「どないしやしたか?」
「このボウズが人を探しよるといよんよ。」
「人を探している?」
私は、シャテイの男に対してワケを話した。
「私は、20年前(1975年)の夏に、信州の子どもキャンプから逃げたあと、西日本の各地を逃げ回っていたのです…その時、鹿児島《かごんま》でお世話になった磯村の啖呵売人《おっちゃん》を探しているんです…」
私の話を聞いた啖呵売人《おっちゃん》は、私にこう言うた。
「ボウズの名前は?」
「コリントイワマツヨシタカグラマシーです。」
啖呵売人《おっちゃん》は、小首をかしげながら言うた。
「まてよ…わい、20年前に豊後《ぶんご》の日田《ひた》の旅館で子連れの啖呵売人《ばいにん》が泊まっていたのをみたなぁ〜…啖呵売人《ばいにん》が連れていた子どもは…男の子だった…」
私は、啖呵売人《おっちゃん》に申し出た。
「その時の男の子は、私です。」
「えっ?」
「せやから、日田の旅館にいた男の子は私です!!」
「えっ?それはボウズだったのか?」
「そうです!!一緒にいた啖呵売人《ばいにん》は、四国の内子にある溝端屋の小番頭《こばんと》はんを努めていた人です!!」
私の話を聞いた啖呵売人《おっちゃん》は、『ああ、思い出した~』と言うたあとこう言うた。
「ワイ、内子の蝋燭《ろうそく》問屋で番頭《ばんと》はんしょった…その時に、溝端屋の小番頭《こばんと》をちょくちょく見かけた…小番頭《こばんと》が溝端屋をやめたあと、ワイのデシになった…けど、(昭和)49年にワイのもとから離れた…ほんで、自立して啖呵売人《ばいにん》になった…」
「そうですか…分かりました。」
「それと、最後にボウズに伝言があるねん。」
「伝言?」
「せや。」
啖呵売人《おっちゃん》は、私に一枚の写真を差し出した。
写真を受け取った私は、写真を見た。
写真に写っていた女性は、ゆかさんであった。
ゆかさんだ…
私は、啖呵売人《おっちゃん》に写真に写っている女性のことを聞いた。
「おっちゃん…この女性は?」
「溝端屋の大番頭《おおばんと》の次女《むすめ》さんや…おいデシ。」
「へえ。」
「溝端屋の大番頭《おおばんと》の次女《むすめ》さんをどこで見たかな?」
「たしか、泉大津の港で見かけやした。」
「泉大津。」
「せや。」
「おっちゃんたちは、泉大津から阪九フェリーに乗って門司《ここ》へ来たのですか?」
「せや…おいデシ。」
「へえ。」
「大番頭《おおばんと》の次女《むすめ》は、何日の船に乗る予定ぞ?」
「今夜の便《フェリー》に乗ると言うてやした。」
「今夜!?」
「せや。」
「オレ、今から関西へ行く…おっちゃん、おおきに!!」
いても立ってもいられなくなった私は、すぐに出発した。
夜7時過ぎであった。
私は、JR小倉駅から東京行きの新幹線ひかりに乗って旅に出た。
新大阪駅に到着したあとは、大阪メトロ御堂筋線と南海電車を乗り継いで泉大津へ向かう予定であった。
大番頭《おおばんと》はんたちの居場所を知っているのはゆかさんだけである…
急げ…
急ぐのだ…
もう…
時間がない…