夜這いのくまさん
「キースは婚約者とかいるの?」

様付けがなくなって、呼び捨てで呼ぶくらい親しげになったころだ。
消え入りそうに尋ねられたことがある。持っていたアップルパイを思わず落とす。
野原にピクニックに来ていたのだ。どこか遠くに行きたいという彼女の要望に答えて。
目の前にいる湖は馬でしかこれないところだった。あまりの美しさに彼女は感嘆の声をあげていた。

「いや、いないが」

本当にこの方恋人なんていたことない。兄は薄幸の美青年という感じで大層もてていたが、同じ腹から生まれたと思えない俺は粗野で昔から野獣のようだと令嬢には怖がられていた。女日照りなのは昔から変わらない。ずっと独身なのだと諦めていた。

「でもいつかは結婚するんでしょう?」

俺はシェリー嬢の夫になりたいが。口が裂けても言えない。
ただその言葉は言外に自分には関係ないという壁が聳え立っていた。

「そしたら、お嫁さん。大切にしてあげてね。キースだったらきっと大切にするだろうけど」

どこか遠く、なんとも言えないただ泣き出しそうな表情で空を見つめていた。
ただその時、自分とではない未来を彼女は考えているように思えてしまって、いらだちがふつふつと湧いてくるのを感じた。
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