湖面に写る月の環

56

「真偉」
「……朝紀」
「目薬の時間だよ」
コンコンと響いたノックオンに顔を上げる。朝紀の呼びかけにもうそんな時間かと思う。温かった教室内は、もう肌寒さすら感じる。集中している間に夜になっていたらしい。
「みんなは?」
「もう帰ったよ」
「そ、っか」
「うん。ほら、顔上げて」
感覚で書けるようになった文字を書く手を止め、私は言われるがまま顔を更に上に上げる。頬に朝紀の温かい手が触れ、目に冷たいものが入り、じんわりと広がっていく。最初は恐かったそれも、何度も繰り返していれば慣れてくる。
「そろそろぱちぱちしていいよ」
「……ん」
朝紀の言葉に、私は目を瞬かせる。染みわたっていくのがよくわかる。ぎゅっと目を閉じていれば、目尻から一粒流れ落ちた。それを柔らかいものが掬い上げた。ぴくりと肩が揺れる。
「ん、朝紀っ」
「大丈夫。誰もいないから」
「でも、内緒だよ」と笑う朝紀。ふわりとした空気に、強張った肩からゆっくりと力を抜く。手を伸ばせば温かい手が重なり、彼女の頬に触れる。体が抱き寄せられ、背中を撫でられる。その優しさに擦り寄れば、彼女の耳が鼻先に触れた。小さなピアスが付いているのか、ひんやりとした感覚が鼻先から伝わる。ちゅ、と耳にキスを落とせばくすくすと朝紀の肩が揺れた。
「ふふっ、くすぐったいよ」
「内緒、でしょ?」
「うん、そうだね」
内緒、と小さく呟く朝紀。するりと手に指先が絡められる感覚がして、静かに擦り寄る。背中をポンポンと叩かれれば、安心感が込み上げてくる。……特別接点がないのはわかっている。それでも、私の親友は彼女だけだから。
「私たちが仲いいのバレたら、どうしよっか」
「それは嫌だなぁ……」
「どうして?」
優しい声に、意識が微睡みそうになる。背中を撫でていた手が、今度は頭を撫でてくる。優しくて、温かい手に私は小さく口を開く。
「……朝紀が優しいのバレたら、取られちゃうから」
「そんなことないよ」
「そんなことないもん」
彼女の言葉に、私は口を尖らせる。彼女の事を悪く言われるのは、あまり聞いていたくない。やだやだと首を振れば、彼女の首元に額を擦りつける。
「可愛いなあ、真偉は」
「それ、嫌」
「そう言わないでよ」
ふふっと笑う朝紀。私はくすぐったさにゆったりと目を閉じる。
「このまま、ずっと一緒に居たい……」
「うん。私も」
「ほんとう?」
「もちろん」
くすくすと嬉しそうに笑う朝紀に、私は嬉しくて笑みが零れてしまう。――嗚呼、やっぱり彼女の隣が一番安心する。
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