ビター・マリッジ
「奥様が気にされていた香りは、車内でついたのかもしれませんね。密室ですし、どうしても距離が近くなってしまうので。ただ、私の知る限りでは、後部座席で奥様に疑われるようなことは何もされてなかったと思いますよ」
「何だ、その言い方は」
幸人さんが、運転手の後頭部を見ながら眉を寄せる。
「私は奥様に事実をお伝えしているだけです。ただ、副社長が秘書とふたりでタクシーに乗ったと仰られていた日に関しては、私が急用で送迎できませんでしたので。そのときに副社長がどうされていたかはフォローできません」
運転手の男性がしれっとした声でそう言って、バックミラー越しにニヤリとした。
「だ、そうだが?」
運転手さんのフォローを受けた幸人さんが、私を振り向いて緩く口角を引き上げる。
それで疑いが晴れたとでも想っているのか、幸人さんが余裕げな表情を浮かべているのがなんだか悔しかった。
あれだけ深刻に悩んだのに、私の誤解である可能性が濃厚だなんて。もっと早くに確かめておけばよかったんだろうか。
でも、私と必要以上に会話をしない幸人さんに、そんなことを確かめるチャンスなどなかったし。
「でも、運転手さんが見ていなかった一回はまだ怪しいままですよね?」
腑に落ちない表情を浮かべてつぶやく私を見て、幸人さんがふっと笑う。