秘書と社長の物語
秘書
リクルートスーツに身を包んだ私は都内にある小さいビルの前に立っていた。
大学4年の夏が過ぎようとしてるのにいまだ内定が出ていない私は、ビルの前ではなく崖っぷちに立っていると言った方が正しいのかもしれない。
*
関西に本社があるというその派遣会社は、私にとって初めての、ようやく最終面接にまでこぎ着けることができた会社だった。
最終面接の前に改めて企業研究をしておこうと昨夜遅くまでスマホでこの会社のことを調べていた私は、本日の面接官となる社長がまだ27歳だということを知った。
自分と5歳しか違わないその社長に俄然興味が湧き、私の企業研究は間違った方向へ進み始める。
*
社長の交代は2年前。
父親が突然の病気で急死、跡を継げるのが一人息子だった彼しかいなかったようだ。
画像検索で出てきた社長は、こちらを睨み付けるような表情ではあるものの、育ちの良さが伺える凛々しさがあり、美しく、若々しい。
若干25歳で父親を失い、その若さで突然会社を継ぐことになった彼の苦労は、私には想像もできない程のものだろう。
かわいそう、、そう思いながら寝落ちしてしまった私がまともに企業研究できているはずもなく、こんな風だからいつまでも内定が出ないのだ。
*
応接室に通されて実物の社長を目の前にした私は、昨夜の企業研究の成果で、感情移入した小説がドラマ化した時のような、少し浮かれた気分になっていた。
現実感がなく、妙な力の抜け具合で緊張はしないで済んだものの、やはりまともな受け答えはできず、面接的には完全アウトな結果になってしまった気がする。
社長の見た目が良過ぎたのもいけない、彼もくだけた感じで冗談交じりの楽しい会話が続き、終始和やかなムードで面接は進んだ。
これが出会いの場なら、かなりいい雰囲気だったし、大成功といえるだろう。
だがしかし、これは就職の面接なので、間違いなく大失敗だ。
*
面接を終え、駅に向かって歩き出した私は、自分の馬鹿さ加減に絶望して頭を抱えてしまった。
日差しはまだ強いけど、気持ちのいい風が頬に触る。
もう秋になるのだ。
「このまま内定が出なかったらどうしよう」
声に出してみると、その現実がよりリアルさを増して私に降りかかってきて、不安の波が押し寄せる。
「うあーーー」
立ち止まり、頭を抱えたまま、空に向かって思わず叫んでしまった。
ハッと我に返って周りを見回すと、道行く人の数人が私を見ている。
あまりに恥ずかしくて、私は駅までダッシュした。
*
家に帰った私は、派遣会社への登録も視野に入れることを考え、メリットとデメリットを比較していた。
派遣社員として働くことのメリットの一番は、気軽に経験を積めることだろう。
様々な業種や職種にチャレンジする機会があり、自分にあった仕事を見極めてキャリアアップできる。
何より、派遣会社がサポートをしてくれるという心強さは、就活で負け続けている私にとっては魅力的過ぎた。
でも、自由度が高いからこそ不安定で、負う責任が低いゆえに会社から与えられる保障は小さく、社会的な立場も弱い。
メリットばかりじゃないのは当然だろう。
結婚をしたり子供が生まれたりして状況が変われば、どう感じるかはわからない。
ただ少なくとも、今私が求めているものは、派遣社員のデメリットの中に含まれていると感じた。
私は、望まれたいし選ばれたいし認められたい。
やはり、派遣社員への登録は、最後の最後まで足掻ききってからにしよう。
決意を新たにした私は、再び就活情報サイトで企業検索を開始した。
*
その数日後、そんなまさかで内定のお知らせが届いた。
嬉しさよりも「なんで?」という疑問が先に浮かんだが、それでもやっぱり嬉しさが再浮上、ひとしきり奇声を上げた後、喜びの舞いを躍り続け、気付いたら全身汗びっしょりだったのでシャワーを浴びた。
身も心もスッキリしたところでお母さんが帰宅、内定の報告をしたら、やっぱり奇声を上げて、今にも踊り出しそうだったので、血の濃さを感じつつ、止めておいた。
躍りを止められたお母さんは、その喜びを一刻も早く家族に知らせたいとばかりに、ラ○ンを一斉送信。
仕事中なはずのお父さんから即着信があったし、おばあちゃんからのキャッチも凄かったし、おじいちゃんからはひらがなだらけのお祝いラ○ンが届いて感動した。
その日の夜、おじいちゃんおばあちゃんはもちろん、お姉ちゃん夫婦まで招集されて、お祝いの宴が開催された。
みんな言わなかっただけで、私になかなか内定が出ないことを、凄く凄く心配してくれてたんだなと、改めて実感した。
派遣会社の営業は結構きついと聞いたことがある。
けど、応援してくれてるみんなのためにも、私、頑張るよ!
*
秋が過ぎ、冬が来て、あっという間に卒業式が終わった。
入社まであと半月を切った頃、人事部から連絡が来て、研修という名目で、暫くの間関西勤務になると知らされた。
寮がないので借り上げ社宅が用意されるというが、もちろん無料ではない。
当然食費や光熱費が掛かる。
もちろん、社会人になるのだから実家にお金を入れるつもりではあったけど、想定していたよりもだいぶ出費が増えるだろう。
実家から通う気満々だったから、蓄えもない。
それに、家事もお手伝い程度にしかしてこなかった私が、なんの心構えも準備もないまま、突然の一人暮らしなんて、不安しかない。
しかも私、修学旅行で行った京都以外で関東を離れたことがない。
あ、静岡はギリ関東じゃないのか?
うーーーーーーーん。
しょうがない、なんとかなると信じよう。
なかば思考を放棄した私は、なす術もないまま時を過ごし、関西へと向かう新幹線に乗り込んだのだった。
大学4年の夏が過ぎようとしてるのにいまだ内定が出ていない私は、ビルの前ではなく崖っぷちに立っていると言った方が正しいのかもしれない。
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関西に本社があるというその派遣会社は、私にとって初めての、ようやく最終面接にまでこぎ着けることができた会社だった。
最終面接の前に改めて企業研究をしておこうと昨夜遅くまでスマホでこの会社のことを調べていた私は、本日の面接官となる社長がまだ27歳だということを知った。
自分と5歳しか違わないその社長に俄然興味が湧き、私の企業研究は間違った方向へ進み始める。
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社長の交代は2年前。
父親が突然の病気で急死、跡を継げるのが一人息子だった彼しかいなかったようだ。
画像検索で出てきた社長は、こちらを睨み付けるような表情ではあるものの、育ちの良さが伺える凛々しさがあり、美しく、若々しい。
若干25歳で父親を失い、その若さで突然会社を継ぐことになった彼の苦労は、私には想像もできない程のものだろう。
かわいそう、、そう思いながら寝落ちしてしまった私がまともに企業研究できているはずもなく、こんな風だからいつまでも内定が出ないのだ。
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応接室に通されて実物の社長を目の前にした私は、昨夜の企業研究の成果で、感情移入した小説がドラマ化した時のような、少し浮かれた気分になっていた。
現実感がなく、妙な力の抜け具合で緊張はしないで済んだものの、やはりまともな受け答えはできず、面接的には完全アウトな結果になってしまった気がする。
社長の見た目が良過ぎたのもいけない、彼もくだけた感じで冗談交じりの楽しい会話が続き、終始和やかなムードで面接は進んだ。
これが出会いの場なら、かなりいい雰囲気だったし、大成功といえるだろう。
だがしかし、これは就職の面接なので、間違いなく大失敗だ。
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面接を終え、駅に向かって歩き出した私は、自分の馬鹿さ加減に絶望して頭を抱えてしまった。
日差しはまだ強いけど、気持ちのいい風が頬に触る。
もう秋になるのだ。
「このまま内定が出なかったらどうしよう」
声に出してみると、その現実がよりリアルさを増して私に降りかかってきて、不安の波が押し寄せる。
「うあーーー」
立ち止まり、頭を抱えたまま、空に向かって思わず叫んでしまった。
ハッと我に返って周りを見回すと、道行く人の数人が私を見ている。
あまりに恥ずかしくて、私は駅までダッシュした。
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家に帰った私は、派遣会社への登録も視野に入れることを考え、メリットとデメリットを比較していた。
派遣社員として働くことのメリットの一番は、気軽に経験を積めることだろう。
様々な業種や職種にチャレンジする機会があり、自分にあった仕事を見極めてキャリアアップできる。
何より、派遣会社がサポートをしてくれるという心強さは、就活で負け続けている私にとっては魅力的過ぎた。
でも、自由度が高いからこそ不安定で、負う責任が低いゆえに会社から与えられる保障は小さく、社会的な立場も弱い。
メリットばかりじゃないのは当然だろう。
結婚をしたり子供が生まれたりして状況が変われば、どう感じるかはわからない。
ただ少なくとも、今私が求めているものは、派遣社員のデメリットの中に含まれていると感じた。
私は、望まれたいし選ばれたいし認められたい。
やはり、派遣社員への登録は、最後の最後まで足掻ききってからにしよう。
決意を新たにした私は、再び就活情報サイトで企業検索を開始した。
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その数日後、そんなまさかで内定のお知らせが届いた。
嬉しさよりも「なんで?」という疑問が先に浮かんだが、それでもやっぱり嬉しさが再浮上、ひとしきり奇声を上げた後、喜びの舞いを躍り続け、気付いたら全身汗びっしょりだったのでシャワーを浴びた。
身も心もスッキリしたところでお母さんが帰宅、内定の報告をしたら、やっぱり奇声を上げて、今にも踊り出しそうだったので、血の濃さを感じつつ、止めておいた。
躍りを止められたお母さんは、その喜びを一刻も早く家族に知らせたいとばかりに、ラ○ンを一斉送信。
仕事中なはずのお父さんから即着信があったし、おばあちゃんからのキャッチも凄かったし、おじいちゃんからはひらがなだらけのお祝いラ○ンが届いて感動した。
その日の夜、おじいちゃんおばあちゃんはもちろん、お姉ちゃん夫婦まで招集されて、お祝いの宴が開催された。
みんな言わなかっただけで、私になかなか内定が出ないことを、凄く凄く心配してくれてたんだなと、改めて実感した。
派遣会社の営業は結構きついと聞いたことがある。
けど、応援してくれてるみんなのためにも、私、頑張るよ!
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秋が過ぎ、冬が来て、あっという間に卒業式が終わった。
入社まであと半月を切った頃、人事部から連絡が来て、研修という名目で、暫くの間関西勤務になると知らされた。
寮がないので借り上げ社宅が用意されるというが、もちろん無料ではない。
当然食費や光熱費が掛かる。
もちろん、社会人になるのだから実家にお金を入れるつもりではあったけど、想定していたよりもだいぶ出費が増えるだろう。
実家から通う気満々だったから、蓄えもない。
それに、家事もお手伝い程度にしかしてこなかった私が、なんの心構えも準備もないまま、突然の一人暮らしなんて、不安しかない。
しかも私、修学旅行で行った京都以外で関東を離れたことがない。
あ、静岡はギリ関東じゃないのか?
うーーーーーーーん。
しょうがない、なんとかなると信じよう。
なかば思考を放棄した私は、なす術もないまま時を過ごし、関西へと向かう新幹線に乗り込んだのだった。
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