片恋慕夫婦〜お見合い婚でも愛してくれますか?〜
「ううん……ただ、そこまでされるとやっぱり、気にしないなんてできなくて」

 伊織さんが智美さんと何もなかったとしても、あからさまに牽制されているのだ。見て見ぬふりなどできない。彼は真剣な表情でこちらを見た。

「先に言わせて、緋真が心配してるようなことは何もないよ。俺にとっては院長の娘であってただの同僚で、それ以上でも以下でもないから。そこは信じてほしい」

 伊織さんが智美さんと出会ったのは、彼の初期研修時代。智美さんはもともと体が弱く、通院が多かったこともあり、指導医が智美さんの主治医としてついていたことがきっかけで知り合ったらしい。

 その後も何度か顔を合わせる程度だったが、伊織さんが臨床留学を終えて帰国したときに彼と同じ医局に秘書として配属され、院長からもなるべく気にかけてほしいと言われたのだとか。

 伊織さんが嘘をついているようには見えないし、おそらく院長先生に言われた以上蔑ろにできなかったのだろう。

「ピアスの件は、具合が悪いといった白鷹さんをタクシーに乗せた際に、彼女が俺にもたれかかって寝始めたんだ。すぐに起こしはしたけど、その時に入れたのかもしれない。どちらにしろ俺も軽率だったな」
「そんな……伊織さんは悪くないよ」
「いや、緋真を不安にさせたのは俺だし、これからは必要以上に彼女と関わらないようにするよ」

 院長先生から頼まれた手前、そんなことをして大丈夫なのだろうか。浮かんできた不安の芽を潰すように、伊織さんの手が優しく頬を撫でた。

「そんなことで仕事がしづらくなることはないから。何かあれば、院長にも上手く伝えるよ。俺はそれよりも、緋真を悲しませるほうが嫌なんだ」
「本当に……?」
「ああ、大丈夫。だから緋真は何も心配しないで。もしまた白鷹さんに何か言われたら言って」
「……わかった」

 頷いた私に、伊織さんは穏やかに微笑む。額に触れるだけのキスを落とせば、優しく頭を撫でてくれた。

「じゃあ、今日は寝ようか」
「……うん、おやすみなさい」
「おやすみ、緋真」

 呟きと共に、部屋が真っ暗になる。隣を見れば、いつもより近い距離で伊織さんが眠っていて、眠らなきゃいけないのに胸の鼓動が速まった。

 そっと唇に触れると、まだ少しふやけていて、先ほどたくさんキスをしたことを思い出す。

 こんなことなら、もっと早く伝えておけばよかった。彼に抱かれたい気持ちも、智美さんへの不安も。少なくとも彼は私に対して嫌悪感は抱いていない。それどころか、想像していた以上に私のことを考えてくれていただなんて。

 夫として妻に対して愛のある言葉を言ってくれている可能性もあるが、今はそれで十分だ。これからもっと、夫婦らしくなれればいいのだから。

 そしていつか、「好きだ」と言ってくれたら……何も望まないのに。それは高望みしすぎだろうか。

 考えを巡らせているうちに、規則正しい寝息が聞こえ始める。

 その音にドキドキと心地よさを感じながら、ゆっくりと瞼を閉じた。

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