片恋慕夫婦〜お見合い婚でも愛してくれますか?〜
「もしそうなったとして、この先ずっと伊織さんを苦しめることになるし、智美さんだって一生傷を負って生きていくんですよ。絶対に耐えられない」

 傷を負わせた側も負った側も、それぞれに苦悩がある。伊織さんが今までどんな思いで生きてきたかはわからないけれど、少なくとも負った側の痛みはわかる。

 コンプレックスを負って生きることは、想像以上に苦しい。みんなができる、当たり前のことができなくなったり、常に後ろめたさを感じたりしながら生きていかなきゃいけないのだから。

「伊織さんが苦しむ姿が見たいんですか……? 私は嫌。好きな人には幸せでいてほしいから」
「っ……」
「もしも伊織さんが責任感だけで結婚してくれてたとしたら、私は離婚も受け入れます。私のわがままで縛りたくはないので。だから……もしそうなったら正攻法で奪ってください。こんなの、伊織さんを苦しめるだけ」

 今は彼女を変に煽るよりも、寄り添って説得するのが先だ。
 伊織さんも同じ気持ちなのだろうか、私を止めることはしない。ここで私を庇えば、白鷹さんが暴走しかねないと踏んでいるのだろう。

「っ、そんなことわかってるわよ! でも、苦しいの。なんで私じゃないの? って……。私のほうがもっと前から伊織先生が好きなのに。頑張って、同じ医局にも配属してもらったのに……。正攻法ってなんですか? 私はどんな手を使ってでも、伊織先生がほしい。伊織先生のおかげでずっと悩んでいた病気だって落ち着いてる。私には彼が必要なの!」

 無茶苦茶で、どうしようもないことを言っているが、伊織さんへの想いは痛いほど伝わってきた。そして、私なんかじゃ簡単には説得できないことも。

 長期戦を覚悟したとき、背後からジリッと靴がこすれる音がした。伊織さんが何か策を思いついたのだろうか。

 彼の言葉を待つほんの数秒の間――次に聞こえたのは、鼓膜を破るような金切り声だった。

「もう説教じみたことはやめて! 伊織先生のことは、絶対に諦めないから……!」

 智美さんが薬瓶を持った手を振りかざす。
 瞬間、咄嗟に足が動き、彼女の手元の瓶を振り払った。

「きゃっ……!」

 宙に舞う透明な液体と共に、ガシャンと無機質な音が住宅地に響いた――。
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