秋恋 〜愛し君へ〜
彼女の動きが止まり、顔は何か思い詰めている表情だった。
「樹さん?」
「違う」
「え?」
「違うの。買いかぶりすぎよ。私はそんなにできた人間なんかじゃない」
彼女はうつむいた。コーヒーの香りの中、つけっぱなしのテレビの音だけが響く。
その瞬間、思い出したくもない、コンビニ袋を手にした笠原さんのあの日の姿が鮮烈に俺の脳裏に蘇った。
一呼吸置き、俺はとうとう口にした。
「笠原さん、ですか?」
言ってしまった後俺はすぐに後悔した。開けてはならないパンドラの箱を開けてしまったそんな罪悪感に襲われたからだ。
「知ってたの⁉︎」
彼女は驚いた表情で俺の顔を見た。
一番聞きたくない言葉だった。心の奥底で、あの日はたまたま見舞いに来ただけで、全て俺の妄想だった。そう期待していたから…
「あの日、仕事帰りに前の道まで来ました。その時に、笠原さんがこの部屋に入っていた」
「そうだったの…」
「すみません…」
これ以上言葉が見つからなかった。一時の沈黙後、彼女が重い口を開いた。
「7年よ…」
7年… 俺はとどめをくらった。この時ほど時間の重さを痛感した事は無い。
「私が入社して2年目の時、その時もフォレストだったの。長谷川君も知っての通り、本当に厳しいところだから、体調悪いって言ったってもちろん休むことなんてできなかった。同期は次々に辞めていたわ。でも、私は辞めるわけにはいかなかった。親に、絶対一人前なってやるって啖呵切って出てきたから、しがみついているしかなかったの。毎日毎日必死だった。辛くて苦しい時、周りはみんな頑張れそう言って励ましてくれた。でも、その時の私にとってそれは一番残酷な言葉だった。だって、これ以上どうやって頑張ればいいの。お客様にそんな事は関係ないし、笑顔と気持ちのギャップにだんだん追い詰められて、体も思うように動かなくなっていった。そんな時、笠原さんは言ったの。気持ちに体がついていかなくなるくらい頑張らなくていいんだ。お前は充分頑張ってるよって。私は張り詰めていた何かがすーっとなくなっていくのを感じたわ。彼の言葉に救われたの。ちゃんと見てくれてる人がいる。本当に嬉しかった。それから彼はずっと私のそばにいてくれてるの。このままじゃいけない、いつもそう思ってるわ。でもダメなの、最低よね、幻滅したでしょ」
苦笑いしてみせる彼女の瞳は涙の幕がうっすらと覆っていた。俺は彼女の両腕を抱えるようにゆっくりソファーまで誘導し座らせた。そして床に腰をおろし、正座の状態で彼女の顔を見上げた。
「樹さん、笠原さんに家庭を壊させてまで自分と一緒になってほしい。そう思ってるんですか?」
「そんなこと思ってない!思ったこともないわ!」
強い口調だった。
「じゃあ俺は幻滅なんかしない、最低だとも思わない」
「どうして?」
「だって、別れなきゃいけない。ちゃんとそう思ってるんでしょ」
彼女は頷いた。
「樹さん?」
「違う」
「え?」
「違うの。買いかぶりすぎよ。私はそんなにできた人間なんかじゃない」
彼女はうつむいた。コーヒーの香りの中、つけっぱなしのテレビの音だけが響く。
その瞬間、思い出したくもない、コンビニ袋を手にした笠原さんのあの日の姿が鮮烈に俺の脳裏に蘇った。
一呼吸置き、俺はとうとう口にした。
「笠原さん、ですか?」
言ってしまった後俺はすぐに後悔した。開けてはならないパンドラの箱を開けてしまったそんな罪悪感に襲われたからだ。
「知ってたの⁉︎」
彼女は驚いた表情で俺の顔を見た。
一番聞きたくない言葉だった。心の奥底で、あの日はたまたま見舞いに来ただけで、全て俺の妄想だった。そう期待していたから…
「あの日、仕事帰りに前の道まで来ました。その時に、笠原さんがこの部屋に入っていた」
「そうだったの…」
「すみません…」
これ以上言葉が見つからなかった。一時の沈黙後、彼女が重い口を開いた。
「7年よ…」
7年… 俺はとどめをくらった。この時ほど時間の重さを痛感した事は無い。
「私が入社して2年目の時、その時もフォレストだったの。長谷川君も知っての通り、本当に厳しいところだから、体調悪いって言ったってもちろん休むことなんてできなかった。同期は次々に辞めていたわ。でも、私は辞めるわけにはいかなかった。親に、絶対一人前なってやるって啖呵切って出てきたから、しがみついているしかなかったの。毎日毎日必死だった。辛くて苦しい時、周りはみんな頑張れそう言って励ましてくれた。でも、その時の私にとってそれは一番残酷な言葉だった。だって、これ以上どうやって頑張ればいいの。お客様にそんな事は関係ないし、笑顔と気持ちのギャップにだんだん追い詰められて、体も思うように動かなくなっていった。そんな時、笠原さんは言ったの。気持ちに体がついていかなくなるくらい頑張らなくていいんだ。お前は充分頑張ってるよって。私は張り詰めていた何かがすーっとなくなっていくのを感じたわ。彼の言葉に救われたの。ちゃんと見てくれてる人がいる。本当に嬉しかった。それから彼はずっと私のそばにいてくれてるの。このままじゃいけない、いつもそう思ってるわ。でもダメなの、最低よね、幻滅したでしょ」
苦笑いしてみせる彼女の瞳は涙の幕がうっすらと覆っていた。俺は彼女の両腕を抱えるようにゆっくりソファーまで誘導し座らせた。そして床に腰をおろし、正座の状態で彼女の顔を見上げた。
「樹さん、笠原さんに家庭を壊させてまで自分と一緒になってほしい。そう思ってるんですか?」
「そんなこと思ってない!思ったこともないわ!」
強い口調だった。
「じゃあ俺は幻滅なんかしない、最低だとも思わない」
「どうして?」
「だって、別れなきゃいけない。ちゃんとそう思ってるんでしょ」
彼女は頷いた。