秋恋 〜愛し君へ〜
次の日俺たちは、早朝から不動産屋の貼り紙を見て回った。何件か内見をしたが、これといったものがなく、気づけばもう夕方だった。今日はこの不動産屋で終りにしよう。そう決めて店内に入った。人の良さそうな白髪頭のおじいさんがカウンターに座っていた。
「いらっしゃい、新婚さんかい?」
「いや、まだです」
俺が樹と顔を見合わせ、照れながらそう答えると
「どうせ一緒になるんじゃろう。良い物件があるよ、行ってみらんかね?」
細い目をこの上なく細め微笑んだ。
それは俺たちの希望条件とぴったりとあった。そこには1週間前まで若夫婦が住んでいたが、旦那の転勤で引っ越してしまったということだった。俺たちは鍵を借り、そのマンションに行ってみた。駅から歩いて10分もかからず、わりと静かな場所だった。なかなか小綺麗な4階建てで、俺たちは2階の西側の角部屋を見た。2部屋あり、部屋の仕切りが引き戸になっていた。建物がやや南西を向いていて、西側の部屋の窓から見える夕陽がとても綺麗だった。俺は一目で気に入った。
「私、ここがいい!」
樹の一声でここに決めた。
アパートに帰りつくと、樹は腕を組み言った。
「引越しの準備しなきゃね」
「そうだな」
「そうだ、あれ処分しなきゃ」
「あれ?」
樹はローボードの上のコンポを指差した。
「コンポ?」
「うん、壊れちゃったみたい。全然音出ないし」
「マジ?あれ壊れてたのか」
「うん」
「そっかぁ」
俺はそう言いながらコンポの裏側を見た。
「なぁ、ドライバーある?プラス」
「うん、あるけどどうするの?」
「これ、処分するんだろ?だったら俺にいじらせてよ」
「いいけど」
俺は、コンポをそっと床に置き、受け取ったドライバーで分解し中を見た。俺の持っている工具で十分直せそうだ。
「俺、ちょっと帰ってくるよ。工具取って来る」
「工具?」
樹は不思議そうに首を傾げた。
「俺、電子科だったんだ」
「電子科?」
「そう、俺、工業高校出身」
「えっ、そうなの⁉︎」
樹は大きな瞳をより一層見開いて俺を見つめていた。
俺は急いで実家に戻った。ベッドの下に置いてある工具一式を愛用の原チャリの足元部分に置き、スピードを上げた。実は俺にはもう一台愛車の二輪がある。高校時代、先輩に譲ってもらったものだ。これがなかなかの代物で、エンジンのふかし具合がしびれるくらい最高なのだ。俺はその愛車に跨り、深夜の環7を飛ばすのが好きだった。
ある日俺がいつものごとく授業サボり、お気に入りの河川敷で昼寝をしてから帰宅すると、とんでもないことが起こっていた。なんと、駐車場に止めてあったはずの愛車が、2階の俺の部屋のベランダに展示品のように置かれていたのだ。俺は慌ててお袋を問い詰めた。犯人は親父だった。会社のクレーンを使い2階にあげたのだ。
なぜ親父がこんな行動に出たのか。夜中にふかすエンジンの爆音が原因だったのは言うまでもない。今でも展示品としてベランダに置いてある。近所でも有名な話だ。それから俺の愛車はこの原チャリなのだ。
アパートに帰りつくと樹が作ってくれていた夕飯をたいらげ、コンポを前にあぐらをかいた。ゆっくり、丁寧に、慎重に作業をする。樹はそんな俺の横に座ってじっと見ていた。
「よし、外枠はめるか」
「これはめちゃえば終わり?」
「そうだよ。なんかCDかけてみよう」
樹は『S.E.N.S.』と描かれたCDを持ってきた。
俺は外枠をはめ終わるとCDをセットした。スピーカーから流れてきたのはとても穏やかな旋律だった。
「凄い!直ってる!凄い凄い!秋ちゃん凄いよ!」
樹は何度も小刻みに手を叩いた。
「ちょろいもんよ」
俺は工具を片付けながら言った。
「ねぇ、秋ちゃん」
「ん?」
「どうしてホテルに就職したの?こんな特技があるのに」
「えっ」
言えない。ことごとく落ちてしまった採用試験のことを。ホテルが俺を拾ってくれた唯一の会社だと言うことを情けなくて。
「こんなんは趣味程度にやってる方がいいんだよ」
「そう?」
「そう」
「機械いじりしている時の秋ちゃん、お気に入りのおもちゃで真剣に遊んでる子供みたいだった。ごめんねこんなこと言って、怒っちゃった?」
「いいや、怒ってないよ」
「私、なんか嬉しい」
「どうして?」
「だって、あんな秋ちゃん見たことなかったから一歩近づけたような気がして」
「近づけたって、俺はいつも樹の近くにいるよ。傍にいるよ」
「うん」
樹は笑みを浮かべた。
「なぁ樹、このCD、歌詞とか全然入ってないんだなぁ。なんかマジ心地いいんだけど」
「でしょ!優しくて、透明感があって、とっても癒される。私凄く好きなの。この曲を聴きながら本を読むのが大好き」
「樹らしいな」
「そう?」
「そう」
樹はほどなく引っ越した。家具の配置は二人で決めた。合鍵はもちろん俺のチノパンのポケットの中にある。
俺はこの日から実家には帰らなくなっていた。ここが俺のいるべき場所だと思っていたからだ。そんな俺に、樹はちゃんと帰るように促した。ちょっと顔を見せるだけでも親は安心するから。だそうだ。すでに親父には見放されているし、もう子供じゃないんだ。との俺の反抗に、子供みたいなことを言わないの!と一言。俺は撃沈した。それからはちゃんと実家にも顔を出すようにした。でも、生活の拠点は登戸のマンションだ。ここには必ず樹がいる。手を伸ばせばすぐそこにいる。
「いらっしゃい、新婚さんかい?」
「いや、まだです」
俺が樹と顔を見合わせ、照れながらそう答えると
「どうせ一緒になるんじゃろう。良い物件があるよ、行ってみらんかね?」
細い目をこの上なく細め微笑んだ。
それは俺たちの希望条件とぴったりとあった。そこには1週間前まで若夫婦が住んでいたが、旦那の転勤で引っ越してしまったということだった。俺たちは鍵を借り、そのマンションに行ってみた。駅から歩いて10分もかからず、わりと静かな場所だった。なかなか小綺麗な4階建てで、俺たちは2階の西側の角部屋を見た。2部屋あり、部屋の仕切りが引き戸になっていた。建物がやや南西を向いていて、西側の部屋の窓から見える夕陽がとても綺麗だった。俺は一目で気に入った。
「私、ここがいい!」
樹の一声でここに決めた。
アパートに帰りつくと、樹は腕を組み言った。
「引越しの準備しなきゃね」
「そうだな」
「そうだ、あれ処分しなきゃ」
「あれ?」
樹はローボードの上のコンポを指差した。
「コンポ?」
「うん、壊れちゃったみたい。全然音出ないし」
「マジ?あれ壊れてたのか」
「うん」
「そっかぁ」
俺はそう言いながらコンポの裏側を見た。
「なぁ、ドライバーある?プラス」
「うん、あるけどどうするの?」
「これ、処分するんだろ?だったら俺にいじらせてよ」
「いいけど」
俺は、コンポをそっと床に置き、受け取ったドライバーで分解し中を見た。俺の持っている工具で十分直せそうだ。
「俺、ちょっと帰ってくるよ。工具取って来る」
「工具?」
樹は不思議そうに首を傾げた。
「俺、電子科だったんだ」
「電子科?」
「そう、俺、工業高校出身」
「えっ、そうなの⁉︎」
樹は大きな瞳をより一層見開いて俺を見つめていた。
俺は急いで実家に戻った。ベッドの下に置いてある工具一式を愛用の原チャリの足元部分に置き、スピードを上げた。実は俺にはもう一台愛車の二輪がある。高校時代、先輩に譲ってもらったものだ。これがなかなかの代物で、エンジンのふかし具合がしびれるくらい最高なのだ。俺はその愛車に跨り、深夜の環7を飛ばすのが好きだった。
ある日俺がいつものごとく授業サボり、お気に入りの河川敷で昼寝をしてから帰宅すると、とんでもないことが起こっていた。なんと、駐車場に止めてあったはずの愛車が、2階の俺の部屋のベランダに展示品のように置かれていたのだ。俺は慌ててお袋を問い詰めた。犯人は親父だった。会社のクレーンを使い2階にあげたのだ。
なぜ親父がこんな行動に出たのか。夜中にふかすエンジンの爆音が原因だったのは言うまでもない。今でも展示品としてベランダに置いてある。近所でも有名な話だ。それから俺の愛車はこの原チャリなのだ。
アパートに帰りつくと樹が作ってくれていた夕飯をたいらげ、コンポを前にあぐらをかいた。ゆっくり、丁寧に、慎重に作業をする。樹はそんな俺の横に座ってじっと見ていた。
「よし、外枠はめるか」
「これはめちゃえば終わり?」
「そうだよ。なんかCDかけてみよう」
樹は『S.E.N.S.』と描かれたCDを持ってきた。
俺は外枠をはめ終わるとCDをセットした。スピーカーから流れてきたのはとても穏やかな旋律だった。
「凄い!直ってる!凄い凄い!秋ちゃん凄いよ!」
樹は何度も小刻みに手を叩いた。
「ちょろいもんよ」
俺は工具を片付けながら言った。
「ねぇ、秋ちゃん」
「ん?」
「どうしてホテルに就職したの?こんな特技があるのに」
「えっ」
言えない。ことごとく落ちてしまった採用試験のことを。ホテルが俺を拾ってくれた唯一の会社だと言うことを情けなくて。
「こんなんは趣味程度にやってる方がいいんだよ」
「そう?」
「そう」
「機械いじりしている時の秋ちゃん、お気に入りのおもちゃで真剣に遊んでる子供みたいだった。ごめんねこんなこと言って、怒っちゃった?」
「いいや、怒ってないよ」
「私、なんか嬉しい」
「どうして?」
「だって、あんな秋ちゃん見たことなかったから一歩近づけたような気がして」
「近づけたって、俺はいつも樹の近くにいるよ。傍にいるよ」
「うん」
樹は笑みを浮かべた。
「なぁ樹、このCD、歌詞とか全然入ってないんだなぁ。なんかマジ心地いいんだけど」
「でしょ!優しくて、透明感があって、とっても癒される。私凄く好きなの。この曲を聴きながら本を読むのが大好き」
「樹らしいな」
「そう?」
「そう」
樹はほどなく引っ越した。家具の配置は二人で決めた。合鍵はもちろん俺のチノパンのポケットの中にある。
俺はこの日から実家には帰らなくなっていた。ここが俺のいるべき場所だと思っていたからだ。そんな俺に、樹はちゃんと帰るように促した。ちょっと顔を見せるだけでも親は安心するから。だそうだ。すでに親父には見放されているし、もう子供じゃないんだ。との俺の反抗に、子供みたいなことを言わないの!と一言。俺は撃沈した。それからはちゃんと実家にも顔を出すようにした。でも、生活の拠点は登戸のマンションだ。ここには必ず樹がいる。手を伸ばせばすぐそこにいる。