秋恋 〜愛し君へ〜
街にはちらほらとクリスマスにイルミネーションが見られるようになった。笠原さんが去ったことを忘れてしまうような穏やかな日々が戻っていた。でも、それは長くは続かなかった。

『カフェレストラン・フォレスト
  キャプテン 岩切 樹
11月25日より
  日本料理・いちもく 勤務を命ずる』

フォーレストは再び大黒柱を失うこととなった。この時期の移動は珍しい。樹の話によれば、 いちもく のキャプテンが妊娠し、つわりが酷く入院してしまったらしいのだ。今は副支配人の陽子さんがヘルプに入っているが、上の臨時会議で樹の移動が決定したとのことだった。
移動日まであと5日、この短期間で いちもく
のトップに立てる人物は、フォーレストでナンバーワンの樹しかいない。そう判断されたからされたからだろう。
樹はフォレストでの仕事をこなした後、いちもく へ行き、顧客リストをチェックしたり、陽子さんからの引き継ぎ等々で、帰宅は深夜に及んだ。マンションに帰れば、いちもく のメニューを片っ端から頭に叩き込んでいた。
俺は新入社員の時分を思い出し傍で見ているだけでもゾッとした。

「樹、少し休んだらどうだ?もう何時間もメニューとにらめっこしてるよ」

俺は樹が心配だった。責任感が強すぎるというのも如何なものか。

「ありがとう。でも大丈夫よ。いよいよ明日だもの、もう一踏ん張り。キャプテンが動けないなんて情けないでしょ。それに…」

「何?」

樹は手を止めて俺を見つめた。

「秋ちゃん、知ってる? いちもく で秋ちゃんは凄い人気なのよ。私も舞ちゃんから聞いたんだけど、私たちの事、もうみんな知ってるみたいなの。秋ちゃんの彼女がどれくらい動ける人間か興味津々だそうよ」

「なんだよそれ。そんなのどうでもいいじゃん、無視しちゃえば」

「そうはいかないわ。だって」

「だって?」

「秋ちゃんに傷をつけるわけにはいかないもの」

俺の体中の神経に鋭い痛みが走った。

 俺に傷

「私のせいで秋ちゃんの評判を下げたくない」

俺は守られている?ふと、笠原さんの言葉を思い出した。

『樹を守ってやってくれ』

彼は確かにそう言った。
俺も俺なりに樹を守っているつもりだった。でも違う。守ってるってなんだ!
守られているのは俺自身じゃないか!
キャプテン代理を任されるようになったとはいえ、所詮平社員、何の力もない。
樹に惚れている男は多い。どうして樹が俺みたいな奴を選んだんだ。そう思っている人は必ずいるはずだ。それこそ樹にとってはかなりのマイナスじゃないか。
俺は、樹の心を掴んで有頂天になっていた。
このままじゃいられない。一刻も早く黒服にならなければ。

樹は移動した。日本料理店の制服は和服だ。黒い瞳に黒い艶やかな髪、透き通るような色白の肌が着物姿によく似合う。樹がより一層輝いて見えた。樹は随分前から いちもく のキャプテンをやっているかのようだった。
さすが樹だ!

フォレストから樹が抜けた後、残ったキャプテンたちは樹の穴を埋めるために必死だった。
笠原さんが抜けたことで免疫がついていたのもあるだろうが、伊達にフォレストで黒服を着ていない。それぞれ完璧にフォローしていた。
確実にみんな前に進んでいる。立ち止まっている暇は無い。
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