秋恋 〜愛し君へ〜
30分が経ち、樹は舞子を連れて戻ってきた。

「舞ちゃん上がって」

「でも…」

「どうしたの?」

「私お邪魔ですよね、靴が…秋さん…」

その会話を聞いていた俺はすぐさま玄関に向かった。

「なんだよ舞子。もしかして俺のこと嫌ってる?」

「そ、そんなことないです!何言ってるんですか!」

舞子は慌てた様子でそう言った。

「だったら上がれよ」

「は、はい、お邪魔します」

樹は舞子をソファーまで誘導し座らせると

「コーヒー淹れるから待ってて」

そう言ってキッチンへ向かった。

「舞子、お前すっげー顔してんぞ、クマできてるし相当泣いたな」

「見ないでくださいよ!」

半べそ状態でうつむいた。

「秋ちゃん、そんなこと言ってると本当に嫌われちゃうよ」

すかさずキッチンから樹の声が飛んできた。

「ごめん」

「秋さん素直ですね、驚きました」

「うるせー、お前、喧嘩売ってんの?」

「秋ちゃん!」また飛んできた。

「ごめん」

「尻に敷かれている」

「お前、やっぱ売ってんだろ」

今度は小声でそう言った。

すると舞子の表情に少しだけ笑みが戻った。

「はい、どうぞ」

樹は淹れたコーヒーをそっとテーブルに置いた。

「舞ちゃん、何があったの?」

優しい口調で訊いた樹に、舞子はコーヒーを一口だけ飲むと、手にしていたカップをテーブルに戻し、俯き加減に小声で言った。

「この仕事向いてないんですよね」

舞子はこの日、仕事中に起こったことを話してくれた。

ある男性客のテーブルにお冷やを持っていった時のことだった。
舞子はいつものように笑顔で「いらっしゃいませ」とグラスをそっとテーブルに置いた。
すると、いきなりその客は、舞子に向かって「何がそんなに楽しい?ニコニコして何が楽しい?言ってみろよ!ふざけやがって、不愉快だ」と突然勢いよく立ち上がると、そのまま出て行ったそうだ。
舞子は何が何だか訳がわからず、その場に立ち尽くし唖然としていた。それを見ていた他のセクションからヘルプで入っていた黒服が、舞子を事務所に連れて行き、理由も聞かず叱りつけた。あんなに客を怒らせて!と。
でも舞子は何もしていない。普段通りに接客していただけだ。
実際俺もこういう客は何度か見てきた。その度に理不尽な詫びを入れ、仕事だと割り切って今までやってきた。本心では何が悪い!そう思いながら。
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