秋恋 〜愛し君へ〜
舞子の話を最後まで黙って聞いていた樹が、穏やかに口を開いた。

「舞ちゃん、ホテルには大勢のお客様が訪れる。恋人とデートで、友達と家族と旅行で、何かの記念日で、楽しみの中にいる人たち。でも、いろんなしがらみから逃れたくて、たくさんのことに傷ついて、行くところがなくて仕方なく訪れる。一人一人にそれぞれの思いがあるの。辛くて悲しかったり、どうしようもない苛立ちを抱えた人が、笑顔を前にして快く思わなかったりするのは自然なことよ。その人も多分そうだったのね。舞ちゃんの笑顔に戸惑っちゃったのよ。決して悪気があったわけじゃないと思うの。自分でもどうしていいのかわかんなかったんじゃないのかな。私もそういうことが何度もあった。何も悪いことなんてしてないのに、どうしてこんなこと言われなきゃならないんだろうって。だけど、思うの。それはそれでいいのかなぁって、ぶつけどころのない気持ちを私にぶつけてきてるだけなんだって、ちゃんと感情のある人間と向き合ってるんだなぁって、ロボット相手の接客なんて意味ないでしょ、つまんない。生身の人間と接してるからハラハラしたりドキドキしたり、だから面白いのよこの仕事は。私はそう思ってる」

そう言って舞子に笑いかけた。

仕事だと割り切っていた俺、だから面白いと言い切る樹。俺はみぞおちに一発食らったような思いだった。ここがトップを走るものとの違いなのだろうか…

「樹さん、どうしてホテルマンになったんですか?」

俺も訊いてみたかったこと。

「人が好きだから」

樹はにこやかな表情でそう答えた。

結局この日は3人で駅近くの居酒屋へ行った。
デートはお預けだ。クソッ!
しかも、舞子は酔いつぶれ、俺がおぶって連れて帰った。そしてマンションの俺たちのベッドを占領したのだ。
何の夢を見ているのか、幸せそうな顔で眠っている。樹はそんな舞子の寝顔見ながら髪を撫で「舞ちゃんかわいい」優しい眼差しで呟いた。
俺はふと想像してしまった。子供を寝かしつける樹の姿を。もちろん俺の子だ。樹に似た女の子だったらかわいいだろうなぁ、俺に似た男だったら生意気だろうなぁ…

「…ちゃん、秋ちゃん」

俺は我に帰った。

「どうしたの?ニヤニヤして」

「えっ!な、なんでもないよ」

「へんなの」

そのあとも樹が風呂に入っている間、一人妄想に耽り、ニタニタしたりと自分でも恐ろしいほど気持ち悪かった。
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