秋恋 〜愛し君へ〜
黒に向かって
俺はシンガポールの地に降り立った。
日本から一度も出たことのないこの俺が、一年間ここで生活するのだ。情けない話だが、正直足が震えそうになるくらい不安だった。
国際空港を出て、マリーナ地区にある研修先のホテルに向かった。エントランスに足を踏み入れた瞬間、足の震えが現実となった。
世界の著名人が絶賛するこのホテルの空気に、俺は溶け込むことができるだろうか。
女性スタッフが「ミスター長谷川」俺に声をかけてきた。そして「お待ちしておりました」と微笑で総支配人室へ案内してくれた。
ドアを開け俺を部屋へ通すと、ソファーに座るように促し、俺が着席するのを見届けてから部屋を出て行った。
総支配人室には、秘書らしき女性が一人、彼女はコーヒーを淹れてくれた。
「総支配人は只今参りますのでお待ちください」それだけ告げると、部屋の隅にあるデスクへと戻って行った。
せっかく淹れてもらったのだが、緊張のあまり、カップに口をつけることができない。汗ばむ手のひらを何度もズボンで拭いた。
彼女は俺の緊張を察したのか「毒は入っていませんよ」と笑いかけてきた。俺はそのおかげで何とか緊張から抜け出すことができた。そしてコーヒーに手を伸ばしかけたその時、ドアが開き上背のある紳士が入ってきた。俺は慌てて立ち上がり頭を下げた。
「やあ、長谷川くん、よく来たね」
そう言って握手を求めてきたのは、総支配人のジョーンズ、ブラウン氏だった。彼はアメリカ人だ。
「初めまして、長谷川秋です。よろしくお願いします」
俺は差し出された手をしっかりと握った。
彼は俺と向かい合わせにソファーに腰掛けた。彼に促され俺も腰を下ろした。
「どうだね?初めてのシンガポールは」
「とても綺麗なところだと感心しました」
「そうだろう、そうだろう、ここは街を汚そうとする者には容赦ないからね」
笑いながら言った。
「あの、先ほど、私がホテルを訪れてすぐに、女性スタッフの方が長谷川さんと声をかけてくださいました。どうして研修生である立場の私を知っているのかと、それも感心しました」
「そうか、それはスタッフがきちんと確認していたんだろう。今日君がここに来ること。写真は事前に東京から送ってもらっているからね」
彼はさらりと言ってのけた。
客ではないペーペーの俺の事までチェックして、しかもご丁寧な扱い、恐れ入る。
「陽子が言っていたよ。君は海外が初めてだと」
「はい」
「それにしては話せているじゃないか」
そうだ、俺はずっと英語で会話している!
「妻が楽しみにしているよ。君にとても会いたがっている」
そうなのだ。今日から俺は総支配人の家で世話になる。普通なら研修生が取締役の自宅にホームステイするなんて事はありえない。しかし、俺はすることになってしまった。
かつて、副支配人である陽子さんもこのシンガポールで研修を受けた。その時の上司がブラウン総支配人だ。
陽子さんは彼を一番信頼している上司だと言っていた。帰国してからも事あるごとに彼にアドバイスを受けてきたそうだ。もちろん俺のことも相談したらしい。すると返ってきた答えが、我が家にホームステイさせなさい。ということだった。
50歳を前にした彼には子供がいない。だから俺を息子同様として受け入れると言ってくれたのだ。
「君が我が家にホームステイすると決まってから、彼女は指折り数えて待っていたんだよ。今日から君は私の息子だ。君も私のことを父親だと思ってくれ。しかし、ここでは上司と部下という立場に変わりは無い。それから君のこれからのスケジュールは彼女に聞きなさい」
彼はデスクで作業をしていた彼女を近くまで呼んだ。
日本から一度も出たことのないこの俺が、一年間ここで生活するのだ。情けない話だが、正直足が震えそうになるくらい不安だった。
国際空港を出て、マリーナ地区にある研修先のホテルに向かった。エントランスに足を踏み入れた瞬間、足の震えが現実となった。
世界の著名人が絶賛するこのホテルの空気に、俺は溶け込むことができるだろうか。
女性スタッフが「ミスター長谷川」俺に声をかけてきた。そして「お待ちしておりました」と微笑で総支配人室へ案内してくれた。
ドアを開け俺を部屋へ通すと、ソファーに座るように促し、俺が着席するのを見届けてから部屋を出て行った。
総支配人室には、秘書らしき女性が一人、彼女はコーヒーを淹れてくれた。
「総支配人は只今参りますのでお待ちください」それだけ告げると、部屋の隅にあるデスクへと戻って行った。
せっかく淹れてもらったのだが、緊張のあまり、カップに口をつけることができない。汗ばむ手のひらを何度もズボンで拭いた。
彼女は俺の緊張を察したのか「毒は入っていませんよ」と笑いかけてきた。俺はそのおかげで何とか緊張から抜け出すことができた。そしてコーヒーに手を伸ばしかけたその時、ドアが開き上背のある紳士が入ってきた。俺は慌てて立ち上がり頭を下げた。
「やあ、長谷川くん、よく来たね」
そう言って握手を求めてきたのは、総支配人のジョーンズ、ブラウン氏だった。彼はアメリカ人だ。
「初めまして、長谷川秋です。よろしくお願いします」
俺は差し出された手をしっかりと握った。
彼は俺と向かい合わせにソファーに腰掛けた。彼に促され俺も腰を下ろした。
「どうだね?初めてのシンガポールは」
「とても綺麗なところだと感心しました」
「そうだろう、そうだろう、ここは街を汚そうとする者には容赦ないからね」
笑いながら言った。
「あの、先ほど、私がホテルを訪れてすぐに、女性スタッフの方が長谷川さんと声をかけてくださいました。どうして研修生である立場の私を知っているのかと、それも感心しました」
「そうか、それはスタッフがきちんと確認していたんだろう。今日君がここに来ること。写真は事前に東京から送ってもらっているからね」
彼はさらりと言ってのけた。
客ではないペーペーの俺の事までチェックして、しかもご丁寧な扱い、恐れ入る。
「陽子が言っていたよ。君は海外が初めてだと」
「はい」
「それにしては話せているじゃないか」
そうだ、俺はずっと英語で会話している!
「妻が楽しみにしているよ。君にとても会いたがっている」
そうなのだ。今日から俺は総支配人の家で世話になる。普通なら研修生が取締役の自宅にホームステイするなんて事はありえない。しかし、俺はすることになってしまった。
かつて、副支配人である陽子さんもこのシンガポールで研修を受けた。その時の上司がブラウン総支配人だ。
陽子さんは彼を一番信頼している上司だと言っていた。帰国してからも事あるごとに彼にアドバイスを受けてきたそうだ。もちろん俺のことも相談したらしい。すると返ってきた答えが、我が家にホームステイさせなさい。ということだった。
50歳を前にした彼には子供がいない。だから俺を息子同様として受け入れると言ってくれたのだ。
「君が我が家にホームステイすると決まってから、彼女は指折り数えて待っていたんだよ。今日から君は私の息子だ。君も私のことを父親だと思ってくれ。しかし、ここでは上司と部下という立場に変わりは無い。それから君のこれからのスケジュールは彼女に聞きなさい」
彼はデスクで作業をしていた彼女を近くまで呼んだ。