秋恋 〜愛し君へ〜
俺は一通り彼女からスケジュールを聞き、手帳に書き込んだ。
そして働くことになっている2階にあるカフェバーへ挨拶に行き、仕事の流れを確認した後、総支配人に連れられ、住まいのあるホランド・ビレッジへ向かった。
ここは、各国の外交官や商社マンが暮らしている高級住宅街だ。

「秋、待ってたわよ!」

玄関で迎えてくれたのはブラウン夫人だった。ちょっとぽっちゃりとした上品で、笑顔がとてもチャーミングな人だった。
彼女は何を隠そう、研修先ホテルのトップの次女である。

「さあ、入ってちょうだい」

彼女は俺の背中を押した。

玄関にさりげなくある置物や、壁に飾ってある絵画、リビングに設けられた家具たちは、見るからに高価そうなものばかりだった。部屋もさぞかし掃除が大変だろうと思うくらい広かった。こんな家テレビでしか見たことないぞ!

夫人は俺に対して総支配人そっちのけの申し訳ないほどのもてなしぶりだった。

俺がブラウン家の一員になってから、二人とも実の息子のように可愛がってくれた。
特に夫人は、慣れない地でくたくたに疲れて帰って来る俺に、あれこれと世話を焼いてくれた。メイドがいるのだが、俺に関してのことは夫人自らが世話をしてくれた。



ホテルでの仕事はバスボーイからのスタートだ。
それは当たり前のことだ。俺はここでは新人なのだから。
何もかも東京とは違う。戸惑いながら、それでもお客様に満足を買ってもらうため、一つ一つが手探りだった。毎日毎日全パワーを使い果たし、仕事が終わった後は抜け殻のようだった。
俺は樹に会いたくて会いたくて、声が聴きたくて聴きたくて、何度もダイヤルを押そうとした。でも、頭にホームシックの文字が浮かび上がり、結局は受話器を取るだけで終わってしまった。
だからこそ、夫人の必要以上の世話焼きが、俺にとってとてもありがたいことだった。
もし、たった一人で生活していたならば、いったい俺はどうなっていただろうか。

夫人がショッピングに出かける時、俺がオフならば必ず同行した。国際免許証も取得していたので、俺がハンドルを握ることも少なくなかった。夫人は俺と出かけることを大層喜んでくれた。お袋とショッピングなんて俺には絶対考えられないことだった。けれど、今こんなに喜んでくれる夫人を見ていると、母親孝行しているようで、照れくさいけれども気持ちが良かった。
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