秋恋 〜愛し君へ〜
6月も残りわずかとなったある日、帰宅した俺に夫人が言った。
「岩切さんという人から電話があったわよ」
初めてのことだった。いつも俺の方から電話していたから少し驚いた。
「電話させるように言ったんだけれど、また後でしますって言われたのよ。でもかけてあげなさい。さっ、早く」
俺はすぐさまマンションに電話をかけた。でも樹はでなかった。
「いないみたいだ」
「あら、そう…」
「仕事なのかもしれない」
「秋、ガールフレンド?」
夫人はニコニコしながら訊いてきた。
「結婚したい人なんだ」
「両親はご存知なの?」
「知らないよ、紹介もしていない」
「そうなのね、どんな女性?写真はないの?」
「あるよ、ちょっと待ってて」
俺は自分の部屋へ行き、一枚の写真を手に取った。この写真は入社3年目に撮ったもので、10人ほど写っている。俺も樹も勇次も、笠原さんも、陽子さんもヒロシも舞子も写っている。
樹と一緒に写っているのはこの1枚だけだ。俺はこの写真を夫人に見せた。彼女はじーっと見つめていた。
「この女性ね」
夫人は樹を指差した。
「そうだよ、樹っていうんだ。よくわかったね」
「とてもきれいな瞳をしているわ」
「うん」
「秋あなたが一目惚れしたんでしょう」
俺を見ながら微笑んだ。
俺は樹と初めて出会ってから今に至るまで事細かに話をした。
「秋、あなたはジョーンズに似ているわ」
俺が全てを話し終わると夫人は言った。
彼女はソファーにゆっくり腰をおろし、総支配人とのことを俺に話し始めた。
総支配人は俺と同じ18歳でロサンゼルスにあるホテルに就職した。今勇次が行っている研修先のホテルだ。彼もバスボーイからのスタートだった。その時25歳だった夫人は、トップである父親の命令で総支配人のいるホテルで働いていた。そこで彼が一目惚れをして、二人は恋に落ちた。トップの愛娘である夫人との結婚を認めてもらうため、彼は人の何倍も努力したそうだ。実力主義国だから、彼はあっという間に何人もの先輩たちを追い越した。夫人が子供を産めない体だと打ち明けてからも、自分が愛しているのは君だ。そう言って夫人を愛し続けた。そして結婚し今がある。
「樹さんは幸せだわ。私が幸せだから、彼女もきっとそう思っているはずよ」
夫人が話し終えた時、電話のベルが鳴った。
夫人は笑顔で俺に受話器を渡した。樹だった。
「樹どうした何かあったのか?」
「秋ちゃん私ね、シークレットプロジェクトに参加することになったの」
「シークレットプロジェクト?なんだそれ」
「ごめんね、詳しくは話せないの」
「そうか」
「しばらく離れなきゃいけないから、マンションにも戻れないの」
「どこに行くの?」
「今は言えない。だから電話は私がするね。いいかな?」
「それは構わないけどさ」
「それから、もし、何かあったら陽子さんに連絡して」
「ああ、わかった」
「秋ちゃん、私…」
「ん?」
「私、秋ちゃんの声聴くと元気が出る」
「俺もだよ」
「それじゃあブラウン夫妻によろしくね」
「了解。樹、無理するなよ」
「うん」
俺は受話器を置いた。どうしてなのか、胸の中にできものができてしまったようで気持ち悪かった。
次の日も気持ち悪さは消えず、仕事を終えると陽子さんに電話を入れた。
「長谷川くん久しぶり、頑張ってるみたいね。総支配人が言ってたわよ」
「はい、なんとか自分なりに…それで…あの…」
「何?」
「えーっと」
俺はなかなか切り出せなかった。
『シークレットプロジェクト』ストレートに訊いて良いものか躊躇していたのだ。そうしていると陽子さんが口を開いた。
「樹ちゃんから電話があったのね」
「はい、それで…」
「プロジェクトの事でしょ。今極秘で進めていることがあるの。限られた人しか知らないわ。だから、表向き樹ちゃんは長期研修ということになっているのよ」
「そうなんですか」
「長谷川くん、あなたが今一番やらなければならない事は何?研修に集中しなさい。わかった?」
「分りました」
「それじゃあ頑張って」
話は終わった。
まだ気持ち悪さは残っているけれど、どうすることもできない。陽子さんの言う通り、俺は研修に集中するしかなかった。
樹からはちゃんと電話がかかってきた。かかってくるのは決まって午後8時で、この時間にかかってくるのは樹からだとつい反応してしまった。それは夫人も同じで、なんとなくそわそわしているように見えた。ベルが鳴るとすぐに電話口に飛んでいき、それが樹からのものだと、俺に受話器が渡るまでかなりの時間がかかった。いつも2人で長話をするのだ。俺は早く代わって欲しいのだけれど、なかなかそうもいかなかった。でも、楽しそうに話をしている夫人を見ているとなんだか嬉しかった。
「岩切さんという人から電話があったわよ」
初めてのことだった。いつも俺の方から電話していたから少し驚いた。
「電話させるように言ったんだけれど、また後でしますって言われたのよ。でもかけてあげなさい。さっ、早く」
俺はすぐさまマンションに電話をかけた。でも樹はでなかった。
「いないみたいだ」
「あら、そう…」
「仕事なのかもしれない」
「秋、ガールフレンド?」
夫人はニコニコしながら訊いてきた。
「結婚したい人なんだ」
「両親はご存知なの?」
「知らないよ、紹介もしていない」
「そうなのね、どんな女性?写真はないの?」
「あるよ、ちょっと待ってて」
俺は自分の部屋へ行き、一枚の写真を手に取った。この写真は入社3年目に撮ったもので、10人ほど写っている。俺も樹も勇次も、笠原さんも、陽子さんもヒロシも舞子も写っている。
樹と一緒に写っているのはこの1枚だけだ。俺はこの写真を夫人に見せた。彼女はじーっと見つめていた。
「この女性ね」
夫人は樹を指差した。
「そうだよ、樹っていうんだ。よくわかったね」
「とてもきれいな瞳をしているわ」
「うん」
「秋あなたが一目惚れしたんでしょう」
俺を見ながら微笑んだ。
俺は樹と初めて出会ってから今に至るまで事細かに話をした。
「秋、あなたはジョーンズに似ているわ」
俺が全てを話し終わると夫人は言った。
彼女はソファーにゆっくり腰をおろし、総支配人とのことを俺に話し始めた。
総支配人は俺と同じ18歳でロサンゼルスにあるホテルに就職した。今勇次が行っている研修先のホテルだ。彼もバスボーイからのスタートだった。その時25歳だった夫人は、トップである父親の命令で総支配人のいるホテルで働いていた。そこで彼が一目惚れをして、二人は恋に落ちた。トップの愛娘である夫人との結婚を認めてもらうため、彼は人の何倍も努力したそうだ。実力主義国だから、彼はあっという間に何人もの先輩たちを追い越した。夫人が子供を産めない体だと打ち明けてからも、自分が愛しているのは君だ。そう言って夫人を愛し続けた。そして結婚し今がある。
「樹さんは幸せだわ。私が幸せだから、彼女もきっとそう思っているはずよ」
夫人が話し終えた時、電話のベルが鳴った。
夫人は笑顔で俺に受話器を渡した。樹だった。
「樹どうした何かあったのか?」
「秋ちゃん私ね、シークレットプロジェクトに参加することになったの」
「シークレットプロジェクト?なんだそれ」
「ごめんね、詳しくは話せないの」
「そうか」
「しばらく離れなきゃいけないから、マンションにも戻れないの」
「どこに行くの?」
「今は言えない。だから電話は私がするね。いいかな?」
「それは構わないけどさ」
「それから、もし、何かあったら陽子さんに連絡して」
「ああ、わかった」
「秋ちゃん、私…」
「ん?」
「私、秋ちゃんの声聴くと元気が出る」
「俺もだよ」
「それじゃあブラウン夫妻によろしくね」
「了解。樹、無理するなよ」
「うん」
俺は受話器を置いた。どうしてなのか、胸の中にできものができてしまったようで気持ち悪かった。
次の日も気持ち悪さは消えず、仕事を終えると陽子さんに電話を入れた。
「長谷川くん久しぶり、頑張ってるみたいね。総支配人が言ってたわよ」
「はい、なんとか自分なりに…それで…あの…」
「何?」
「えーっと」
俺はなかなか切り出せなかった。
『シークレットプロジェクト』ストレートに訊いて良いものか躊躇していたのだ。そうしていると陽子さんが口を開いた。
「樹ちゃんから電話があったのね」
「はい、それで…」
「プロジェクトの事でしょ。今極秘で進めていることがあるの。限られた人しか知らないわ。だから、表向き樹ちゃんは長期研修ということになっているのよ」
「そうなんですか」
「長谷川くん、あなたが今一番やらなければならない事は何?研修に集中しなさい。わかった?」
「分りました」
「それじゃあ頑張って」
話は終わった。
まだ気持ち悪さは残っているけれど、どうすることもできない。陽子さんの言う通り、俺は研修に集中するしかなかった。
樹からはちゃんと電話がかかってきた。かかってくるのは決まって午後8時で、この時間にかかってくるのは樹からだとつい反応してしまった。それは夫人も同じで、なんとなくそわそわしているように見えた。ベルが鳴るとすぐに電話口に飛んでいき、それが樹からのものだと、俺に受話器が渡るまでかなりの時間がかかった。いつも2人で長話をするのだ。俺は早く代わって欲しいのだけれど、なかなかそうもいかなかった。でも、楽しそうに話をしている夫人を見ているとなんだか嬉しかった。