秋恋 〜愛し君へ〜
朝が来ておふくろさんがやってきた。

「おはようございます」

「秋さん!もう帰って来なさったと⁉︎」

「はい」

「とんぼ返りやったが!あらぁ、すみませんねぇ」

「いいえ、とんでもないです。僕が早く来たかったんです」

「今日は家に来てくれますね?」

「はい、お邪魔させて貰います」

「よかったわ。昨日お父さんに怒られたとよ。なんで連れて来んかったとかって。内心はドキドキしちょるくせにねぇ」

「お父さん緊張して何も喋れなくなるんじゃない?目に浮かぶあの顔で」

「ホントホント、お母さんも目に浮かぶあの顔で」

「あの顔で?」

またもや二人で顔を見合わせ笑っていた。


その日の午後、俺はおふくろさんの運転する車に乗り樹の実家へと向かった。

「あの、窓開けていいですか?」

「どうぞ、どうかしなさった?」

「外の空気美味しそうだなぁと思って。樹さんが前に教えてくれたんです。緑がいっぱいあって空気がとっても綺麗だって」

「そうやったとね」

窓から飛び込んできたのは、立ち並ぶ高層ビルをあたりまえに見て育ってきてた俺にとって、生まれて初めて目にする高い建物なんか一切ない、のんびりとした、まさしく田舎の風景だった。
俺は自分のイメージしていた宮崎というのをお袋さんに伝えた。思った通り笑われた。南国というのは確かだが、ジープなんか走っちゃいない。そのかわり軽トラは結構走っていた。

「ショウヨウジュリンって知ってなさる?」


「ショウヨウジュリンって、照に葉っぱって書くんですよね」

「そう、照葉樹林。家に行く前にちょっと今から行ってみましょうかね」

おふくろさんは俺を乗せ、山の上へと車を走らせた。そしてしばらくすると、俺の視界に大吊り橋が入ってきた。

「あの吊り橋に行くんですか?」

「そうよ。あそこから綾の樹林を見るといいわ」

車を降り、二人で吊り橋まで歩いた。

「すっげーっ、この橋スケルトンじゃん!」心の中で呟いた。

「この橋、高所恐怖症の人は絶対無理ですよね」

「そうやね」お袋さんは笑った。

俺たちは、吊り橋の真ん中ぐらいまで行ったところで立ち止まり、辺りを見渡した。

「凄い!」

青空に、どこまでも続く緑の木々、聖水の流れる川、広大な自然がここにある。俺は今まさしく日本の宝を目にしているのだと心からそう思った。

「照葉樹は、カシ、シイ、タブ、クスとかいった一年中緑の葉つけちょる広葉樹で、葉は厚く光沢があってね、冬の寒さに比較的強いのが特徴やと。この樹林もイチイガシとかタブノキとかいった照葉ていわれる高木、ヤマツバキとか、ヤマモモとかいった亜高木、サカキとか、サザンカとかいった低木の林相になっちょってね、200以上の野生植物から構成されちょるとよ。国内では最大級の規模を誇る樹林なんやって。それからこの吊り橋、142メートルの高さがあるとよ」

「凄いですホントに」

日本中の二酸化炭素がこの広大な樹林に吸収され、大量の酸素が放出される。そして俺たちは生きている。俺のシワの少ない脳みそでこんなことを考えるなんてなんかちょっと凄くないか?心の中で自分自身に問い掛けてみた。な〜んて日本中は大げさだが。

「あっ、そうか!」

「どうなさったと?」

「樹さんの名前、樹林から?」

「そう、この照葉樹林を作り上げちょる一本々の樹木のように、しっかりと地に根を張って生きてほしい。そんな願いを込めてつけたとよ。ちなみにコウキは広い樹と書いて広樹」

「そうだったんですか、名前の通り育ったんですね」

「そうやろうかねぇ?」

「はい」

「ありがとう、秋さん」

遠くを見つめるお袋さんの瞳には、太陽の光に照らされた涙が薄っすらと浮かんでいた。


俺は岩切家にお邪魔した。平屋の一戸建てで、庭は丁寧に手入れされ、屋内も隅々まできれいに整理整頓されていた。

「もうすぐお父さんも広樹も帰ってくるかい、そしたら夕食にしましょうかね」

「あのぉ、お兄さは結婚されてると聞いたんですが」

「そうよ。アキちゃんは出産でね、実家に帰っちょるとよ」

「アキさんっていうんですか?お嫁さん」

「そう、アキホちゃん。秋さんと同じ秋に稲穂の穂」

「やっぱり秋って女ですよね。僕は自分の名前が凄く嫌いでした。漢字で名前を書くといつも女に間違われて最悪でした。嫌で嫌でたまらなかった。でも最近は気に入ってるんです。何故だか分かんないんですけど」

「樹は季節で秋が一番好きなとよ。一年の内で一番空気が澄んじょって、食べ物も美味しく実るでしょう。それに、一番心地良い季節やから、やって」

「そうですか」

「あの子は幸せ者やねぇ、大好きな秋に愛されちょるんやから。やだ、私ったら、何言いよっとやろか、恥ずかしいわ」

俺はこの日ほど、自分の名前を誇らしく思った事はない。

親父さん達が帰ってくる間、俺は樹のアルバムを見せてもらった。生まれた時からイベント毎に撮り続けられていた写真には、俺の知らない樹の姿がたくさん収められていた。その全てが俺にとってとても愛しいものだった。
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