秋恋 〜愛し君へ〜
この従食は親切で、毎日カレーが常備してあり、ご丁寧にチキン、ポーク、ビーフとある。扉を引き中に入ると、女グループが先に来ており、女たちはちょうど入口付近にあるテーブルを陣取っていた。その中の1人が俺たちの顔を見るなり甘ったるい声で話しかけてきた。

「お疲れさまぁ、あたし達も今来たところななぉ、ちょうど3人座れるしぃ、一緒にたべましょうよぉ」

俺はトレイを右手に「チキンカレーお願いします」と無視した。

「ねぇ、長谷川くんさぁ、どこを希望してるのぉ?」

「…」

「やっばぁ、そのルックスだしぃ、ベルってとこぉ?」

「あたしはぁ、メンクロかなぁ」

ちなみにメンクロとはメインクロークのことで、フロント課に属し、ロビーにあるクロークで客の荷物を預かったり、エレベーターガールのような仕事をする。ベルボーイベルガールに並ぶ人気の職業だ。

「なんかさぁ、レストラン課なんてぇ、結局ぅ、ファミレスと一緒でぇ、バイトでもいいって感じじゃなぁい」

おいおい、ここにはレストラン課の人もいると思うぞ。それにお前の喋り方、本当に研修を受けてきたのかよ。

カレーを受け取りスプーン、フォーク、サラダをセルフでトレーに乗せ、同じグループからなるべく離れた位置に座ろうとしたが、不幸にも空席がなく、渋々奴らを前に座った。

「あれぇ、長谷川くんも日高くんも左利きなんだぁ」

なんだよ悪いかよ。そう思ってはみたが、言葉にするのも面倒だった。

「長谷川くん、どうしたのぉ、さっきから全然喋らないけど体調悪いのぉ?」

俺はお冷の取り忘れに気付き、何も言わず席を立った。

「長谷川くぅん…」

「あいつ元々ああやねん、無愛想ちゅうかなんちゃうか、シャイやねん、シャイ。せやさかい気にすんなや、そうですやろ、ハ・セ・ガ・ワ・クン」

まったくフォローしているのかおちょくっているのかわからない。
お冷を取り戻ってみると、勇次と野添は女達と意気投合し盛り上がっていた。俺は「おう」とか「ふぅん」とかいう言葉以外は話さず、とにかく食べることに集中した。すぐにでもこの場を離れたかったのだ。
最後の一口を食べ終わり、お冷やを飲み干した俺は「んじゃ先に行くわ」と席を立った。
「ごちそうさまでした」と返却口に食器を置き、入口とは逆方向にある出口の扉を引くやいなや、「お先ぃ」と勇次が先に外へ出た。その時だった。

「うわっ!」

勇次の声と同時にドスッと鈍い音がして、俺の目の前を淡いブルーのバッグがスライディングしていた。慌てて外へ出ると、勇次が尻餅をついていた。どうやら誰かとぶつかったらしい。

「平気か?」

「平気や、それよか」

勇次は俺の後方へ視線をやった。俺も勇次の視線を追い目をやった。そこには腕を抑え倒れている女がいた。
勇次は立ち上がり「大丈夫でっか?」と近寄った。

「ええ、大丈夫」

彼女はゆっくり体を起こし、立ち上がろうとしたようで、勇次は手をかしていた。

「ごめんなさい、急いでいたものだから、怪我はない?」

「俺は大丈夫やねんけど、そちらこそほんまに大丈夫でっか?」

俺は2人の会話に耳をやりながら、置き去りにされているバッグと、すぐ近くに落ちていた社員証を拾い上げた。スライディングのせいなのだろう、ざらついてしまったバックの汚れを手ではたきながら、彼女のもとへ近寄り

「あの、これ」と差し出した。

そして、スッと出された彼女の両手は、透き通るような白い肌で、触厳禁!と言われそうな芸術品のように、それはそれは美しかった。

「ありがとう」

彼女は俺の顔を見上げ微笑んだ。その瞬間、俺の体中の血液が流れを止めた。彼女の黒く大きく澄んだ瞳が、優しく俺を見つめている。
俺は自分の中で一体何が起こっているのかわからなかった。ただ、彼女の瞳に、俺の分身が吸い込まれてしまっているのだけははっきりとわかった。どうしても自分自身をコントロールすることができずにいた。

「なにボケーッとしとんねん」

勇次の声でハッと我にかえった。俺は気を取り直し「あっ、ど、どうぞ」とバッグと社員証を手渡した。
彼女の口からもう一度「ありがとう」が流れ出た。
表情は笑顔?だったのだと思う。俺はまだ吸い込まれてしまうのが怖くて、俺の胸元ほどの高さにある彼女の頭上を通り越し、遠くの方へ視線をずらしていたのだ。ガン飛ばしなら日常茶飯事のこの俺が一体どうしてだ!

「どう、いたしまして…」

情けないほどぎこちなかった。

「本当にごめんなさい」

あらゆるものを包み込んでしまいそうな、とてもやわらかい声だ。彼女はほのかにやさしい香りを残し足早に去っていった。ちょっと小柄だけれど色っぽい後ろ姿、揺れるストレートロングの黒髪は本当に艶やかだった。

「ええ感じやがなぁ、えらいべっぴんやし、俺、あの人がおるところがええわぁ、なぁ秋ちゃん」

「んっ?」

俺は勇次の言葉に動揺し、またもやコントロールを失うところだった。

「はいはい、そうですね勇次ちゃん!」

とっさに出たはぐらかしだった。午後の見学が始まった。密かに彼女を探しながらの見学だった。『岩切樹』社員証にそう印字してあった。俺は拾い上げた時チラッと見てしまったのだ。彼女はどこにいるのだろう…
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