もし君の世界から僕だけが消えても。
「…緊張するね」
ふふ、と君は照れくさそうに笑う。
何で舞台袖の私が?
そんな君の心の声が、僕の耳まで聞こえる。
「僕も、緊張してる。」
「え、慈って意外とそういうの、しないタイプかと思ってた」
「僕が書いたから…脚本」
ドキドキしながら、欠伸を噛み殺す。
緊張はしていても眠気は来るものなんだと、遠い頭で考えながら。
昨日。
予定通り文化祭3日前に必要なものを揃えた僕は、てるてる坊主作りに取り掛かった。
ティッシュの枚数も申し分ない。輪ゴムもティッシュの倍の数ある。
もちろん、顔を書くためのマーカーだって新品を用意した。
誤算だったのは思ったより僕の手が不器用だったこと。
朝の6時までかかって、ようやく最後の1つを作り上げた頃には、
─とっくに、綺麗な朝焼けが空に映っていた。
「今日、晴れて良かった~」
朝7時、集合時間。
実行委員の僕と君、それから主役の2人。
4人だけのちょっぴり早いその時間、君は何気なくそう呟いていた。
「賀綿、劇って屋内でやるもんじゃん」
と、王子様役の花見くん。もう既に衣装を着ている。
「摘香って天気予報とかちゃんと見るタイプだもんね!」
これは、佐野さん。お姫様役だ。佐野さんはまだ制服のまま。
「今日は雨だ、って先週から言ってましたからね」
そしてこれは僕。もしやと思って先週からずつと天気予報を確認していた。
案の定予報は雨。だけど、最後の望みにかけて作ったてるてる坊主のおかげか、
「うん。でも、晴れて良かった!」
今日はものすごい快晴だった。
そして今、舞台袖。
ここは体育館で、あと5分後に僕たちのクラスの劇が始まるというところだ。
数日前から噂になっていた、僕たちの劇を一目見ようと体育館には全校生徒が集まっている。
2年5組、劇やるんだって!とどうやら噂は一瞬で広まり、職員室でもその話題で持ち切りだったらしい。
3年生のイカつめの集団に、脚本、お前が書いたんだってな。と言われた時は焦ったけれど。
なんでも、開校以来文化祭で劇をするクラスは初めてなんだとか。
わざわざ出番を一番最後にしてもらった甲斐があった。
案の定他のクラスの出し物は合唱がほとんど。
ありきたりで被るだろうという君の予想通り、合唱どころか曲まで被っているクラスもあった。
漫才をしたり、大きな紙芝居をしたり、クラス全員で短編映画を撮ったところもあった。
正直、これが競走じゃなくて良かったと安堵したくらい。
もし順位がつけられたなら…なんて、考えたくもない。
特に映画のクラスなんて、圧倒されるクオリティだった。
悔しい。
─だけど、僕たちのクラスも負けてない。
きっと先月なら考えもしなかった、そんな信頼に近い感情が僕の中に沸き起こる。
全部君のせいだ。
台本を握りしめながら、役者と最後の確認をする君。
何度も読み返されてぼろぼろになったそれを、尚も君は握り続ける。
出会ってからずっと、君は僕に新しい感情を教えてくれた。
話を共有できる喜び、
クラスに友達がいる楽しさ、
2人でいる時のドキドキ、
褒められた時の嬉しさ、
舞台袖の緊張、悔しさ、
─そして、愛しい気持ち。
全部全部君のせいだ。
本当ならそんなの知る由もなかった。僕も僕で諦めていた。
どうせ自分の人生はこんなものだから。
孤独で、強がって、格好つけて、
寂しくて、辛くて、切ない。
それで納得するつもりだったのに。
「…慈?」
いつの間にか、僕は泣いていた。
誰もいなくなった舞台袖の通路で、わけも分からないまま。
はぁはぁと吐く息が熱い。
吸って、もう一度吸って、また吸うのに苦しかった。
「慈、どうしたの?緊張してるから?ねえ、」
僕は苦しくて、膝から崩れ落ちるようにしてしゃがみこんでしまう。
胸元と喉を掴む。何故だか息が吸えない。
いつの間にか5分経っていたのか、開幕のブザーが耳を刺した。
─始まってしまう。
僕を置き去りにして、僕が描いた世界が始まってしまう。
焦って立ち上がろうとして、気づけば頭が地面に着いていた。
視界が揺れていて、暗い。完全に横になっていることに少しして気づいた。
「聞こえてるなら返事して!ねえ、どうしたの?慈ってば、」
どうして?
僕の中にもその言葉が浮かんだ。
ゆさゆさと体が揺れる。
君が、揺さぶってるの?そんなに叫ぶと、観客席まで聞こえちゃうのに。
薄れゆく意識の中で、花見くんが上手から歩いてくるのが見える。
スポットライトが彼を照らす。
耳鳴りのする鼓膜を、花見くんの澱みない台詞が横切った。
さすがだね、練習通りだ。
劇が閉幕するように、僕も瞼を閉じた。