桜の鬼【完】
「! 湖雪! 何を馬鹿なことを……」
「馬鹿なことではありません。惣一郎様がいらっしゃらなければ、私が生にしがみつく理由はないのです。惣一郎様と一緒なら、冥府魔道(めいふまどう)でも歩けます」
惣一郎は、一度湖雪の身体を離した。湖雪は抗わず、真っ直ぐに惣一郎を見上げてくる。……湖雪に出逢ってから、初めて自分を見た。自分の姿。鏡や己の内に探す自分ではなく、誰かの瞳に映る自分の姿。……湖雪はいつも真っすぐに、真っ正面から自分を見てくる。その瞳がどれほど怖く、そして心地いいものか……湖雪に伝えていなかった。
「惣……」
二人のやり取りを目にした悟は、小さく呟いた。弟は……死ぬほど愛する女性と巡り合えたのだ。それは、血に縛られ地に縛られ、しがらみと歪(ゆが)みの中で生きる自分たちのような家では難しいことだ。それほど想い合っている二人を――死が引き裂くしかなのか? 俺に、弟のために出来ることはないのか?
正妻と妾腹の兄弟は、しかし途轍もなく仲がよかった。惣一郎の母は悟とその母を忌んでいたが、惣一郎は純粋な瞳で悟を兄と呼んだ。悟は惣一郎こそ後継ぎだと思っていたし、惣一郎も母の願いより悟が当主になる道を望んでいた。
夏桜院と惣一郎の縁談は、まさに政略結婚。悟は阻止しようとしたが、父が絶対の虹琳寺家ではまだ後継者に認められていない悟の発言力はなかった。
「……貴方が」
ぽつりと、悟は呟いた。
「ん?」
腕を組んだ櫻はゆったりと振り返った。
「貴方が本当に湖雪様の父君ならば、魔怪と呼ばれる夏桜院の血筋ならば――二人が倖せになれる方法はないのですか……?」