桜の鬼【完】

その笑みが、桜の夢に見たものと同じで。あの人に見せていたものと寸分違わず、湖雪は気づいた。

……自分じゃない、早子を助けたのは、自分じゃない。でも、誰だか思い出せない。……頭の中にモヤがある。

判然としない記憶。湖雪には誰か、とても大事な人がいたはずだ。今もすぐそばにいてくれるような気さえするほど、とても大事な存在。なのに……それが誰だか、わからない。

湖雪はふうと息をついた。

「……お母さんは……幹人様の妹、だったのですか……?」

早子は一度だけ目を見開くと、すっと細めた。

「ええ。深雪は先代が妾(めかけ)に産ませた子よ。表立っては知られてはいなかったけど、深雪と幹人様、私は知っていたわ。……どこで、それを?」

「あの、樹が教えてくれました。……早子様を助けてくれたのもあの古木です」

櫻の意思の宿る、あの古木。そして……確かにもうひとり、いたはずだ。早子を助けてくれた誰か……。

湖雪が視線を障子戸の向こうに遣れば、早子も追った。

「夏桜院が魔怪とは聞いていたけど……私は樹に助けられていたの」

呆然とした声を聞けば、湖雪はくすっと笑ってしまった。いつものぴしっとした早子からは想像できないものだったからだ。

「湖雪は、桜の娘なのよね」

早子の視線が湖雪に向く。

その手が優しく湖雪の頭を撫でた。

桜の娘……湖雪は何度かそう呼ばれた。夏桜院にある、咲かない桜の古木が花をつけたとき生まれた子供がそう呼ばれる。――だが、何かの意味が違っていた。具体的にどう違うのかははっきりしないが……。

「深雪は夏桜院の娘よ。公表はされずに深雪は使用人の一人の娘としてこの家で育ったけど、家の者たちは気づいていたようね。虐げられ、視界に入れられず、下賤な娘と罵られていたわ」

「……早子様は、お母さんをご存知なのですか?」

「私の友人よ」

「……え、でも、私が来た時……」

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