天秤は愛に傾く ~牙を隠した弁護士は不器用女子を甘やかしたい~
(あれは芝崎さんが書いたメモのはず。
何が書いてあったの?)
馬場はその日一日イライラしているのに、素子へ表立って怒鳴りつけることはしなかった。
近くを通るときに、遅い、字が汚いなどよくわからない言葉を投げつけるだけ。
周囲もあの調子なら怒鳴りつけるモードに入るだろうと覚悟していたので、何があったのかといぶかしそうにしていた。
そしてその日は素子も定時過ぎに仕事を終えることが出来た。
定時ジャストに馬場が帰ったので、皆もすぐさま帰っていったのだが、元々馬場は仕事があまり与えられていないためにお飾りみたいな物だ。
なのにちまちま仕事を作り出し、周囲を巻き込んで上から目線をするのだから周囲としてはいい加減飛ばされないかなと思っている。
美々は合コンだと就業前に化粧室に籠もって化粧を直すと定時に退勤してしまった。
静かになったフロアで、素子は両手を上に上げ伸びをした。
「福永さん一人?」
両手を挙げたままの素子を覗き込むように誠が現れ、驚いた素子が椅子から落ちそうになった。
「わ!」
「っと、あぶな」
すぐさま誠が素子を横から抱きしめるように受け止めた。
すっぽりと素子はその腕に収まり、思わず硬直する。
「驚かせてごめんね」
誠は申し訳なさそうに抱きしめたまま椅子に座らせた。
思ったよりある厚い胸板に、素子は顔が熱くなってしまう。
初めて体温を感じるほど側で心臓が激しく音を立てる。
ふわっと爽やかな香りがして、その香りを嗅いでしまった事に素子は何故かいけないことをした気がした。
そもそも男性に免疫の無い素子からすると、男性に抱きしめられるなど恥ずかしい感情が渦巻いてどうしていいのかわからない。
「大丈夫?」
心配そうに覗き込む誠にまた素子が後ろにのけぞりそうになるのを、まだ肩を掴んでいた手がぐっとそれを押さえる。
大きな手。
身長はあると思っていたが、胸板の厚さや大きな手が否応なしに誠が大人の男性であることを素子に知らしめる。
仕事だけの付き合い、そう思えば男性をどうこう見ることは無かった。
そもそも素子の会社の男性は年齢層が高く、素子に近い年齢の男性は既婚かセクハラをする男性もいてあまり近づきたくは無い。
そして素子がパワハラを受けていても助けることが無いのだから、興味も湧かない。
それがこういうふうに、自分の年齢に近い男性から初めて女性扱いをされているようでやはり恥ずかしさが襲う。