天秤は愛に傾く ~牙を隠した弁護士は不器用女子を甘やかしたい~
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フロアは節電と言うことで最小限の電気しかつけられていないので薄暗い。
そんな中、今日も素子だけが残業をしていた。
タイムカードは馬場の指示で退勤時間きっちりに押させられ、そして渡されたのは何故か馬場のプライベートの年賀状の束。
『もっと仕事に慣れるために訓練だと思ってやるんだ。
もちろんこれは個人情報だからな、社外に持って行くなんて不可だ。
法律をかじっていたんならわかるだろう?
そういうのが漏れたら福永、お前が大変だぞ』
三年分自分がプライベートでもらった年賀状の個人情報をエクセルでまとめるように指示をして、馬場は帰っていった。
何枚在りますか、後で照合したいのですがという素子の質問に、わからないからさせるんだろうが!と馬場が逆ギレをしたのでそれ以上素子は聞けず仕舞い。
周囲は巻き込まれたくないので素子に声をかけることも無く、さっさと退勤してしまった。
そもそもこれは業務外の仕事、個人情報保護法とは無関係だ。
だがそれを言えば馬場が激怒するのは何度もやってわかっている。
文句を言わずに済ませた方がいいと思ってやっていたら、今度は便利屋扱い。
そして意味不明な内容で脅すことも忘れない。
ここで、貴方は個人情報取扱事業者なのですかなどと言えば火に油を注ぐだけだ。
そんな気持ちを押し殺し無心にただ打ち込んでいてふとパソコンの時間を見るともう夜の10時近い。
なんとか終電までには終わりたいところだが残りを見れば怪しい。
何せぐちゃぐちゃの年賀状を入力できる状態までまとめるのに時間がかかってしまった。
ぐーと静かなオフィスにおなかの音が鳴り、素子はお腹をさする。
そういえばお昼以降は飲み物しか取っていない。
「お腹減った」
「何がいい?」
急に後ろから声がして素子は思い切り振り向く。
そこには笑顔の誠が立っていた。
「何がいいかな?
まだかかるならサンドイッチにでもする?
具の好き嫌いは?飲み物はどの種類が良い?」
「あの」
笑顔で迫りながら誠が質問していく。
そして素子に顔が近づいた途端、にっこり笑うと誠の視線は素子の机の上とパソコンの画面に移った。
「感心しないなぁ、こういうのを仕事場でやるのは」
笑顔の誠からは正反対の非難する声。
私のではありません、そう言いたいが素子は押し黙る。
誠はそんな素子に気付きながら一枚年賀状を取り上げ、その宛先を見る。
案の定それは総務部課長の馬場宛だった。
(こういうこともさせているのか)
黙って何も言わない素子に、
「さすが、福永さんは黙秘が一番強いってわかっているね」
「どういう意味でしょうか」
「ん?そのままだよ。
逮捕されていても黙秘権を行使するのが一番だからね。
代理人弁護士もすぐにそれを指示するし。
福永さんならよく知っているでしょう?」
またか。
にこにこと人の良さそうな顔で私のことをこの人も馬鹿にするんだ。
私はロースクールを出たのに司法試験に落ちてこんなところにいる。
だが相手は司法試験に受かり、親会社の法務部でインハウスロイヤーとして活躍している立場。
まさに天と地の差。
羨ましくても手が届かなかった世界。
素子は奥歯をかみしめて俯いた。