一夜の過ちで懐妊したら、溺愛が始まりました。
「……あ、え……っと。わ、かりました。……じゃあ、洗ってお返し……しますね?」
驚きつつもとりあえずそう答えて受け取ると、
「はい」
とても嬉しそうに笑った。
その笑顔に心臓が鷲掴みにされたようにドクン、と大きく一つ高鳴る。
可愛らしい笑顔。
子どもみたい。心の底から嬉しそうな笑顔に、胸が高鳴った。
受け取ったハンカチは、大人の男性を感じさせるシンプルかつ高級なブランド物のよう。
きっと相当良い企業にお勤めなのだろう。
「……あ、申し遅れました。僕、蒼井と申します」
「……あ、すみません。私今名刺持ってなくて……」
「いえ、大丈夫ですよ」
「すみません、頂戴します」
渡された名刺を受け取る。
そこに記載された名前を見て、驚いて叫びそうになった。
【AOI.corporation
代表取締役副社長:蒼井 彼方 kanata Aoi】
見慣れた社名と、普段見慣れない副社長の文字。
蒼井……彼方?
その名前は、どこか聞き覚えがあった。
「……AOI.corporation……副社長……」
思わず呟くと、彼は少し恥ずかしそうに微笑んだ。
「えぇ、お恥ずかしいことにまだ就任したばかりで、その職に見合うだけの働きはまだできていないのですが」
「……そんな、ご謙遜を」
ぐるぐると、頭の中をたくさんの情報が駆け巡る。
まさか、この人がうちの会社の副社長だったなんて。
たしか、副社長は現会長のお孫さんで現社長の御曹司だと聞いたことがある。
元々は別の支社にいたものの、数ヶ月前に本社の副社長に就任。まだ副社長としての仕事には慣れていなく、日々忙しそうに働いていると聞く。
直接お会いするのは初めてだからか、当たり前だが私のことはどうやら気が付いていない様子だった。
そんな噂の副社長なのだとしたら、顔が良いのも納得だ。
うちの会社では"蒼井家は皆美形だ"というのは有名な話。
支社にいた頃から女性からのお誘いは絶えなかったと聞く。
どうしよう。そんな副社長と一緒にバーでお酒を飲んで、さらには私物のハンカチまでお借りしてしまった。
うちの総務課でも副社長のファンは多く、色々な噂が飛び交っているのを知っている。
……バレたら、確実にやばい。私の平凡な人生が崩れ去る。それだけは避けなければ。
私が同じ会社の部下だということを、どうにか隠さないといけない。
どうしよう。どうしよう。
頭の中がぐわんぐわんと揺れる。焦りと不安が視界を揺らし、酔いが回って何も考えられなくなる。
「……貴女のお名前も、お伺いしてよろしいでしょうか」
そっと問いかけるような視線が、私を射抜く。
「……鮎原、です」
苗字だけを答えた自分をほめてあげたい。
「鮎原、さん」
「……はい」
呼ばれた声に、返事をする。
しかし頭はボーッとしたまま。副社長の顔をじっと見つめたまま動けない。
それに何を思ったのか、副社長はほんの少し頰を染めたような気がした。