ふたりで解く
ふたりで紡ぐ
わたしは、初めて見る光景に驚きと居心地の悪さを感じていた。
打放しコンクリートの壁を、ミラーボールがくるくると照らす薄暗いカフェ内。
長テーブルの上に並べられた色とりどりのパーティー料理を囲みながら、同じ大学の知人達が楽しそうに談笑している。
皆、いつもよりも少し着飾って、これから何かが起こることを期待しているように見えるのは気のせいだろうか。
壁際にあるDJブースでは、DJが流行りの洋楽をかけて今日のクリスマスパーティーに華を添えている。
ダンススペースでDJを見上げながら音楽に身を預けて揺れているのは、学内カーストの上位にいる数人の男女。
キラキラした同期の後ろ姿を、少し離れたテーブル席から眺める女の子達の目は、退屈な講義中とは比べものにならないくらい輝いている。
思わず漏れた小さな溜め息は無音だった。目の前の料理に手を付ける気分には到底なれない。
やけに硬く感じるイスの背にもたれ、静かに俯く。肩で切り揃えた髪が、周りの景色を遮ってくれた。
わたしにはすべてが眩しくて遠い世界だ。視界に映った、普段着のベージュのセーターとジーンズが地味で野暮ったく、場違い感が凄まじい。けれど、これがわたしだ。
大学のクリスマスパーティーが、これだけきらびやかなものだと知っていたら絶対に来なかった。
何も知らない自分が恥ずかしくて、セーターの裾をぎゅっと握る。
「よ。めりくり」
隣のイスがカタンと揺れる。
気の抜けた、どこか安心する掠れた声に引かれてわたしはそっと顔を上げた。
「め、めりくり……」
「まだ飲み物ないの? ドリンクバー、ここから遠いから入れて来よっか。何飲む?」
隣に座った悠李は、わたしの前に置かれた空っぽのグラスを手に取った。
一瞬だけどお互いの距離が近くなって、ドキリと鼓動が高鳴る。
身体をこちらに向けた悠李をまともに見られず、緩いウェーブのかかったセンターパートの前髪と、耳元で揺れるフープピアスを交互に見やった。
「い、いいよ。自分で入れてくるから」
「じゃ、一緒に行く?」
「一人で大丈夫」
「やり方分かる? こうやってピッチャーの取っ手を持って、斜めに傾けたらコップに注いで……」
「ばか、それくらい分かるよ!」
悠李は、優しさの滲んだ愛嬌たっぷりの顔でけらけらと笑い声を立てた。
いつもそうだ。何が面白いのか、こうして事あるごとにわたしをからかっては楽しそうに笑っている。
わたしも本気で怒ればいいのに、たまに見せる悠李の赤ちゃんみたいな笑顔につられて、気が付けば一緒に笑ってしまう。
実は、この瞬間が大好きだったりする。
どうしたって叶わないこの片想いが、少しだけ報われた気分になるからだ。
今日のクリスマスパーティーだって、ちょっとでも悠李に会いたくて参加した。
来て良かった。込み上げてくる嬉しさを必死で隠す。それさえも楽しい。
けれど、それもすぐに終わりを告げた。
「ゆうり〜、こんなとこに座ってないであっちで一緒に踊ろうよ」
甘い声の女の子が、悠李の背後から抱きつく。いつもよりも低い位置にある悠李の頭に自分の胸を押し付けて、すごく大胆だ。
彼女は、目鼻立ちのくっきりした魅力的な容姿で学内でとても目立つ存在だ。
今日はドレスアップして、さらに可愛い。
いきなり抱き着かれた悠李は驚きもせず、身体を離しながら後ろを振り返った。
「は? 酔っ払ってんの? 早くね」
「酔ってないよ。ね、この子と喋ってたって面白くないよ。早く一緒に行こ」
二人は学内で一緒にいるところをよく見かける。
誰とも付き合わない、遊び人の悠李の本命は彼女だという噂も聞いたことがある。
このまま二人は行ってしまうんだろう―――そう思っていたら、悠李は彼女の腕を素っ気なく解いてしまった。
「べたべた触んな。一人で行けよ」
後ろを向いた悠李の顔は、わたしには見えなかった。
代わりに、悠李としっかり目を合わせた彼女の顔は真正面からよく見えた。
またたく間にその表情は沈んだものに変わり、彼女から発せられていた輝くようなオーラが消えていく。
彼女は何も言わず、悠李の元を去って行った。
「……ごめん」
「何で彩月が謝んの」
わたしのせいで、とは何となく言えなかった。
ソワソワと落ち着かないまま、隣に目をやる。
悠李もわたしを見ていたようで、お互いの視線がパチリと重なった。
今日、初めて目を合わせたかもしれないと思ったのも束の間、悠李がサッと顔を背ける。
悠李の横顔は鼻筋の通った、上品な曲線を描いていてとても綺麗だ。
表情の消えたこの冷たい横顔から、何を考えているのかいつも読み取ることができない。
ただ分かるのは、気まずい雰囲気が流れ始めているということだけだ。
それをどうにかしたくて、取り留めのない話題を口にする。
「わ、わたし、こういう場所って初めて来たよ。DJも初めて見た。か……かっこいいね」
悠李はイスの背にどかりともたれ、壁際のDJブースに視線を向けた。
DJブースの中では、キャップを被ったやんちゃそうな雰囲気の男の人が、次の曲を流し始めたところだった。
「そう? ああいうのがタイプ?」
むすっとした声が、ハンドクラップのきいたお洒落な音楽に混じって聞こえてくる。
戸惑ったわたしは、その場ですぐに否定した。
「そういう意味じゃないよ。難しそうじゃん、DJって。自分にできないことができるのがかっこいいって意味だよ」
「見慣れてないだけだろ。誰にでもできるよ」
「そうかなあ」
「じゃあ彩月の好きな曲、おれに教えて」
「え、何で?」
「何でも。いいから教えて」
どうして急にそんなことを聞くのかと疑問を抱くも、わたしは少し考えてから悠李の質問に答えた。
「Moonlightかな。ほら、わたし達が仲良くなってすぐの頃、悠李がよく聴いてたじゃん。それからわたしもはまっちゃってさ」
「分かった。待ってて」
悠李は席を立つと、まっすぐDJブースに向かった。
状況が掴めずそのまま眺めていると、中にいたDJに何か耳打ちをしている。
DJからヘッドフォンを受け取った悠李は、自分の頭に付けると片耳だけはずした状態でターンテーブルの前に立った。
手慣れた様子でターンテーブルを扱う悠李の姿はとても絵になる。
周りにいた女の子達が、一斉にきゃあきゃあと騒ぎ出した。
わたしも表情が変わらないように努力はしているものの、内心、女の子達と一緒に騒ぎたくて仕方がなかった。
悠李の姿に見惚れている間に、スムーズに曲が変わっていく。
DJブースの両側にある、大きなスピーカーから流れ始めたメロディーは、さっきわたしが悠李に伝えた曲の中で一番好きなサビの部分だった。
悠李は、わたしの方を見てふわりと柔らかな笑みを浮かべた。
やっぱりあの笑顔は赤ちゃんみたいだ。
わたしも笑みを返したつもりだけど、ちゃんと悠李に伝わっただろうか。
近くて遠い―――届きそうで届かない、悠李とわたしの距離。
なぜか視界がじわりと滲んだ。
DJブースの真上では、ミラーボールの丸い光が店内を隅々まで照らしている。
光を浴びた皆はいつもよりも輝いて見えた。
だからわたしにはすべてが眩しくて、ここは遠い世界だと思っていた。
けれど、居心地の悪さはいつの間にか消えている。
ミラーボールの光は、わたしにも当たっていたことに気が付いた。
「悠李、ありがとう」
―――わたしの小さな溜め息に気付いてくれて。
誰にも聞こえないように密かに呟く。
悠李がくれた幸せな時間を、わたしは噛み締めるように過ごした。