ふたりで解く
ミッドナイトブルー
冷たい風がビルの隙間を鳴らす夜。
玄関の扉を開けると、そこには悠李が立っていた。
「急にどうしたの?」
悠李は、黒のスタジャンとパーカーを重ね着した袖から覗く指先を口元に当て、小さな咳払いをした。
「……ちょっと寄りたくて」
「悠李の家とうちのマンションって真逆じゃん。ちょっと寄るって距離じゃないと思うけど」
「顔が見たかったんだよ」
「え、顔……? わたしの?」
「そう、彩月の」
いかにも恋人らしい理由で何だか恥ずかしい。
わたしは悠李から逃げるようにして視線を落とし、深く頷いた。
「こんな理由で会いに来たのだめだった?」
「ううん、違うよ。違うの、そういうのじゃなくて」
「いきなり来てごめん。じゃあ、また明日大学で」
悠李が行ってしまう。
わたしは背を向けた悠李を追いかけて玄関を出た。
後ろでガチャンと扉が閉まる音を聞きながら、悠李のパーカーの裾を控えめに摘んで引っ張る。
「今日、黙って先に帰っちゃってごめんね。それで来てくれたんでしょ? わたしも会いたかったの。でも恥ずかしくて……ごめんね。会いに来てくれて嬉しかったよ、凄く」
堰を切ったように溢れ出た自分の言葉が恥ずかしくて、再び俯いた。
服を引っ張る手に、自然と力がこもる。
「いいよ、おれも昼間はごめん。そんなにクラブに行きたかった?」
わたしは首を横に振った。
「悠李のことがもっと知りたかった……んだけど、それは建前で。ほんとはクラブでよく女の子と遊んでたって聞いてやきもちやいちゃったの。ごめんね」
「え、まじ……?」
悠李の驚いた声に顔を上げると、視界が何かに覆われる。
目元に手をやると、悠李の手の甲が当たった。
「何? この手、離して。悠李の顔が見えない」
「だめ。今おれのこと見ないで」
「何で? やだ見たい」
「だめ」
「お願い」
「じゃあ、今日はもうちょっとだけ触ってもいい?」
「……? いいよ?」
悠李に引き寄せられ、そのまま目の前の首筋に顔を埋める。
嗅ぎなれた名前の知らない香水の匂いが鼻を掠め、悠李の熱い体温がわたしの身体を包み込んだ。
顔を上げると、滑らかなシルクで出来たカーテンが、わたし達の周りをぐるりと取り囲んでいるような夜空が広がっている。
何となくこの世界にはわたし達だけしかいない気がして、少し笑みが零れた。
「ん?」
「ううん。幸せだなって思って」
「……おれも」
悠李の背中にそっと手を置くと、わたしの背中に回った腕にぎゅっと力が入る。
昼間の不安が嘘のように消えていく。
「わたし、悠李のこともっと知りたい」
「おれも彩月のこともっと知りたい」
「一緒だね」
わたしが笑うと、悠李はわたしの耳元に唇を寄せた。
「好き。どうしようもないくらい」
「わ、わたしも……好きだよ」
夜の匂いを乗せた冷たい風が勢いよく通り抜ける。
悠李の体温が温かくて、ちっとも寒くなかった。
頭上では夜色に輝くカーテンが広がり、わたし達はこの寒空の下でふたりきりだ。
静かな夜。
わたしの鼓動以外、とても静かな夜。
初めて悠李に抱きしめて貰ったこの夜を、わたしはずっと忘れないだろう。