ふたりで解く

尖った三日月




 カーテンの隙間から窓の外を覗くと、澄み切った夜空に冷たく尖った三日月が横たわっていた。
 窓から伝わる空気が肌に刺さる寒い夜。
 お風呂上がりの、ぽかぽかに温まった身体でベッドに入る。
 ネットサーフィンでもしながら寝ようと携帯電話を見れば、着信が入っていたことに気が付いた。
 相手は悠李だ。一時間近く前に電話がかかってきていたらしい。すぐに折り返そうとするも、お風呂に入る前に目にしたインスタの写真がふと浮かぶ。
 発信ボタンを押す指がピタリと止まった。

 うつ伏せて、毛布を頭まで被る。このまま寝てしまえばいいのに、画面に映った『ゆうり』の文字から目が離せない。無機質に浮かんだ文字は、ぴかぴかと光を放ち、わたしの心の裏側に小さな影を落として好き勝手に掻き乱す。
 それでも、わたしの視線はがっちりと固められたように、そこから少しも動かすことができなかった。

 今、悠李は高校が同じだった友達とスノボ旅行中だ。
 友達は男の子が大半とはいえ、女の子も少なからず何人かいる。わたし達が付き合う前から予定を立てていたらしく、急に断ると迷惑がかかるからと今朝出かけて行った。
 皆と楽しい思い出ができればいいなとわたしも快く思っていた。
 ついさっき、悠李がタグ付けされたインスタの写真を見るまでは。

 大きなフードの付いた黒いスノボウェアを着た悠李と、ピンクのスノボウェアを着た綺麗な女の子が一緒に映った写真。晴天のゲレンデをバックに、悠李はゴツめのゴーグルを手に持って女の子と向かい合っている。
 喋っているところだろうか。二人とも笑っていて、特に女の子の顔がとても嬉しそうなのが印象的だった。
 きっと、写真をアップして悠李をタグ付けしたのもその女の子だろう。

 こういう時の女の勘は、自分でもむかつくほど当たっている。
 あの子は悠李のことが好きだ。今もあの子と一緒にいるんだろう。もしかすると、悠李のことが好きな女の子は他にもいるかもしれない。いたって一つも不思議じゃない。
 写真を見た途端、胸の中にモヤモヤとした仄暗い感情が広がって、いてもたってもいられなくなった。

 携帯電話の画面が着信画面に切り替わる。
 悠李からだ。出るべきなんだろうけど、今出たら確実に可愛くない態度を取ってしまう。心の狭いやつだと思われたくない。
 でも出たい。声が聞きたい。そう思い始めたら数秒間の葛藤はあっさりと終わり、その場で通話ボタンを押した。

『寝てた?』
「ううん、お風呂に入ってた。悠李は?」

 わたしの葛藤をよそに、悠李の声は優しくて心地よくてびっくりするくらい普段通りだった。
 電話での会話は慣れていなくて耳の奥がくすぐったい。

『部屋で一人でボーッとしてる』
「え、みんなは?」
『ご飯食べてたら身体冷えたから、風呂入り直しに行った』
「悠李は行かなかったんだ。寒くない?」
『寒い』
「なら行けば良かったのに」
『この電話に出なかったら行こうと思ってた』
「え、」

 悠李はわたしの電話を一時間も待っていてくれたらしい。
 こんなに寒い夜に。皆と旅行に来ているのに。
 わたしがくだらない嫉妬をして寝ようとしていた間も、悠李はずっと待ってくれていたのだ。

『嫌? こういうの』
「嫌なわけないじゃん。ごめんね、すぐに電話できなくて」
『そんなんで謝んなよ。こっちが勝手に待ってただけだから』
「ううん、待っててくれてたんでしょ。だって、あのね」
『ん?』
「悠李の心の隅っこに、ちょっとでもわたしを置いててくれて嬉しい」

 少し間を置いて、悠李は呟くように答えた。

『……隅っこなんかじゃねぇよ』
「わたしの心にも、ずっと悠李がいるよ。離れてても、会えなくてもずっといるよ」
『ただいま〜! おまえ結局風呂来なかったじゃん』
『お、誰と電話してんの?』

 急に電話の向こう側が騒がしくなる。
 友達が帰ってきたようだ。悠李の舌打ちの音が聞こえた。

『邪魔すんなよ』
『待って! 悠李、顔真っ赤じゃん! そんな顔初めて見た』
『電話の相手、誰? さっき言ってためっちゃ可愛い彼女?』
『うるせぇな、黙れよ』

 可愛い、彼女?
 悠李が友達の前でそんなことを言っていたなんて。
 驚く間もなく、悠李は急いだ様子でわたしに告げた。

『ごめん、皆帰って来たからまたラインする』
「分かった、またね」

 通話を切ると、わたしの部屋はとても静かだったことを思い出す。その静かな部屋で、悠李との会話や悠李の友達が言っていた言葉を耳の奥に刻むようにうんと沈めた。
 ベッドに潜り込み、部屋の電気を消したのと同時に携帯電話が震える。悠李からのラインだった。

『おれもずっと彩月のこと考えてるよ。おれのことだけ見てて』

 思わず顔が綻ぶ。
 携帯電話をぎゅっと握りしめて窓の外に目をやると、尖った三日月が悠李の笑った顔に見えた。
 三日月に向かって微笑んでみる。
 つんと突き刺す空気が和らぎ、はちみつ色の唇がそっと揺れたような気がした。
 









 


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