夫婦間不純ルール
この人の優しさが辛くなる時が来るなんて結婚当初は思いもしなかった。あの頃は微笑まれて私を見つめてくれるだけで幸せの絶頂でいられた、こんな未来が待ってるなんて考えたこともなくて……
「ありがとう、岳紘さん」
「次はチェリーパイが人気の店に連れて行くよ、それも好きだっただろう?」
悪気があるとは思えない言い方に、作り笑顔で頷くことしかできない。なぜそんな店を知ってるの、誰に教えてもらったの? なんて聞けるはずもなく。
でも、そのまま黙っているのも辛くて……
「岳紘さん、あのね……」
「あ、すまない。仕事先からの電話だ、ちょっとだけここで待っててくれないか」
なにを言えばいいのか迷ったままの私の言葉を、夫はスマホの画面を確認して遮った。仕事先から連絡なんて、こんな時間にあったことはなかったのに。なぜだが妙に胸が騒ついた、彼の様子がどこか不自然なのを感じて。
「珍しいのね、いつもは仕事をプライベートには持ち込みたくないって言ってるのに」
「仕方ないよ、新しい企画を任されたんだ。部下に全部任せきりというわけにはいかないから」
「……そう、なのね」
新しい企画なんて初めて聞いた、普段彼はめったに仕事の話をしてはくれないから。納得できるかと聞かれれば答えはノーだが、それを岳紘さんに言う事はできなかった。
椅子から立ち上がり席を離れていく彼の後ろ姿を見ながら、なんとも言えない不安に襲われた。
『俺知ってるよ、アイツが別の女性と会っていること』
……少し前の奥野くんのその言葉が、頭の中で何度も再生されて消えてくれない。岳紘さんは本当は今、誰と電話をしているの?