夫婦間不純ルール


「私はもう休むわね、ご馳走様」

 気まずい雰囲気から逃げるように、手にしていた椀を洗うためキッチンへと向かう。岳紘(たけひろ)さんは背中を向けた私に何も言ってはくれなかった。
 結婚して一年経った今も、私たちは喧嘩すら出来ない関係のままなんだと思い知らされる。
 洗い物を終えて寝室に向かうためにリビングを横切ると、そこに岳紘さんの姿はなかった。玄関の扉が閉まる音が奥から聞こえて、彼が外に出たことに気付く。やっぱりあの言い方は良くなかったかもしれない、謝ろうと後を追いかけたところで岳紘さんの話声が聞こえてきた。

「……ああ、言ったよ。あの時にお前に言われたとおりに、さりげなく聞いたつもりだったんだが」

 言ったって、いったい何の話? 聞いたって、もしかして私への質問の事だったりするの?
 岳紘さんが相手を『お前』と呼ぶのは珍しい、余程親しい間柄の人にだけのはずなのに。話している内容が気になって、私は玄関の扉に隠れたままその会話に耳を澄ませた。

「……は? お前がそうしろって言ったんだぞ、俺はお前を信じて慎重に行動してるのに」

 彼が誰かを信じて行動する、それは私にとってはとても意外な言葉だった。良くも悪くも自分の考えを曲げないタイプの岳紘さんが、誰かに言われるままの言動をとるなんて。
 どんな人が彼をそんな風に扱えるのだろう?  私の知っている人物だろうか、それとも……

「……分かってる、もう間違えたくないんだ。やっと()()()()に気付いたから」

 時間が、一瞬だけ止まったのかと思った。緊張でドキドキと鳴っていた心臓が、その瞬間に凍ってしまったように感じて。
 彼は……今、なんと言ったの?


< 55 / 144 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop