異世界召喚 (聖女)じゃない方でしたがなぜか溺愛されてます

25 いってらっしゃいと行ってきます

アドルファスさんが盛り付けてくれた量は少し多かったが、頑張って食べきった。ホテルの朝食バイキングで、普段は少食なのに、パンやお味噌汁、和洋折衷のおかずや、フルーツにヨーグルトなど、つい食べすぎてしまった時と同じだと思えば、食べられなくもない。

頑張ったつもりでも、私の三倍の量をアドルファスさんが、レディ・シンクレアが二倍の量を食べたのを見て、あそこまでの領域に達するのは登山初心者がエヴェレストに挑むようなものだと思った。
私のお皿が空になったのを見たアドルファスさんが微笑む。子どもに対していっぱい食べたね、と見守る母親のよう。味は悪くないんです。味付けは塩コショウだけだけど、コカトリスという鶏?の卵ももっと大味かと思ったら、烏骨鶏卵並みに濃厚だった。

「残念だが、私は仕事に行かなければならない。後のことはレディ・シンクレアに任せる。厨房見学でも庭の散歩でも好きなことをして過ごしてください」

食事が終わるとアドルファスさんが名残惜しそうに言った。

「屋敷の中は自由にしてくれて構いませんが、外出されるなら必ずレディ・シンクレアか執事のディーターに断ってから出掛けてください」
「財前さん…聖女に会いに行くのにもですか?」
「どこに行くにもです。窮屈でしょうがあなたの安全のためです」

日本でも女性の夜の独り歩きは危なくはあった。でも大抵は好きな時に好きな場所へ好きなだけ行くことが出来た。一人でも色々楽しみを見出し、お一人様なんて言葉も言われていた。アトラクションだってシングルライドで、一人を楽しむことも出来た。

「アドルファスの話は大袈裟ではないのです。この世界のことをまだ知らないでしょう」

レディ・シンクレアも同調する。確かにこの世界に来たばかりで常識も知らない、地理もわかっていない。
言われるのも仕方がない。ここは彼らの言うとおりにするのが妥当だ。

「わかりました。でも、財前さんにいつでも行きたい時に会いに行っていいのですよね」
「もちろん、それがあなたとの約束ですから。ですが、聖女殿はこれから浄化を行うための訓練があります。行く際には彼女の予定を確認してから行かれる方がいいでしょう。せっかく行って忙しくて会えなかったということになりかねません」

何の目的も役割も与えられていない私と違い、財前さんには聖女としてやらなけらばならないこと、与えられた使命がある。この世界で必要とされている財前さん。それに比べて私はアドルファスさんたちの好意に甘えるしかない。

「彼女はもうそこまで頑張っているのですね」
「お約束したのに、水を差すようなことを言ってすみません」
「いいえ、当然のことです」

見るからに意気消沈した私の様子にアドルファスさんが謝った。私が少しでも快適に過ごせるようにと考えてくれているのに、逆に気を使わせてしまう形になってしまった。
これでは自分は厄介者のままだ。少しでも何か彼らの恩に報いることが出来ないだろうか。

「旦那様、馬車を用意させました。そろそろ学園にお出かけになる時刻です」

執事長のディーターさんが出かける時刻だと告げた。

「そうか…わかった。申し訳ないが、お先に失礼します」

行くのが嫌なのか彼の表情が一瞬曇り、なかなか腰を上げようとしない。きっと私がうまくやっていけるのか心配なんだろう。色々大変な人生を歩んでいるのに、私という余計なお荷物を引き受けたことで、彼にも気苦労をかけていると思うと申し訳なかった。

「今日も遅いのかしら」
「いえ…暫くは忙しくありませんので早く帰ります」
「あら、そう…」

レディ・シンクレアの口元がなぜか緩む。()()()()()()()と、レディ・シンクレアが尋ねたということは、いつもは残業続きなのだろう。

「お客様もいることですし、当主として責任がありますから」
「そうね」

二人の会話で、いつも忙しい彼が、私のために早く帰ることを余儀なくされているのだとわかる。今のところ、迷惑しか掛けていない。無理矢理異世界に連れてきたという負い目故なのはわかるけど、日本では仕事をして、自分のお給料で生活を営む自立した人間だった自分が、ここでは人に心配をかけ、気を遣わせるだけの存在であることが辛い。

「コホン…それでは行ってまいります」
「あ、あの、アドルファスさん」

ふと思い立って部屋を出ていくアドルファスさんに声をかけた。

「何でしょう」

騎士としての将来が絶たれた後に得た仕事である教師としての仕事は、彼にとって本当にやりたかったことではないのかも。
だから嫌嫌ながら行くしかないのもわかる。
けれど、教師として人を教え導く仕事も尊い仕事だ。教えたことを身に付け成長していく若者たちの姿に、いつかきっと遣り甲斐を見いだせる筈だ。少しでも励ませたら。

「人を教えるということは素晴らしいことです。どうか誇りを持ってお仕事、頑張ってください」

そう言って思わずガッツポーズをしたのだが、アドルファスさんはアイスブルーの目をパチクリさせて、私を見返している。
やばいこれは外したな。余計なお世話だったかも。お笑いは得意じゃないし、ここでは文化や風習の違いで、感覚にもズレがあるのかも知れない。

「あの…その、私も一応教師の端くれですから…人を教えるという仕事の意義は理解できると言うか…と、とにかく私のことは気にせず、気をつけて行ってらっしゃいと…お仕事、頑張ってくださいね」

恥ずかしくなってしどろもどろになる。言いかけたものはどうしようもない。最後まで言いたいことを言い切った。

「ありがとうございます。行ってきます」

私の言動が可笑しくてか、彼は満面の笑みを湛え、そう言って出て行った。

「アドルファスはなぜ今の仕事をするようになったか、あなたに話したの?」

二人きりになりレディ・シンクレアが訊ねた。

「はい。昨日ここに来る馬車の中で教えてくれました」
「怪我のことは?」
「はい。それも教えてくれました。大変な目に遭われたようですね。でも、命が助かって良かったです」
「ええ。生きていてくれたのは何よりですが、あの怪我であの子の人生は何もかも変わってしまいました」

孫のことを想い、過去の出来事を思い出しているのか、レディ・シンクレアは遠い目をする。

「あの子の母親は体が弱くて、アドルファスを産んだ後、次の子はもう望めないと言われました。とても難産で、一時は母体の命も危うかった」

出産は命がけだ。技術は進んでも何があるかわからない。

「幸いあの子は健康に生まれ、優秀で後継ぎとして申し分ない子だった。今はあんな風ですけど、我が孫ながら見目も良くて、多くの女性を虜にしてきたのよ」

辛辣な物言いでアドルファスさんに接していても、やはりそこは孫が可愛らしい。でもそれは誇張でも何でもなく事実なのだろうと思う。

「私の世界でも彼ならきっと誰もが素敵だと言うでしょう」
「本当にそう思う?」
「はい」

ただ私はそれを遠くから眺めている側の人間で、あっちでも彼は違う世界の人間だったろう。

「あの子の仮面の下の顔を、いつか受け入れてくれる人が現れてくれると嬉しいのだけどね」

レディ・シンクレアの言葉はとても切実だった。

「ご領地にいらっしゃるというご両親も、きっと同じ気持ちなのでしょうね」

療養に付き添うほど妻を愛しているのだから、きっと彼の父上も愛情深いに違いない。

「そうね…そうだと思うわ」

けれど彼の両親の話を聞いたレディ・シンクレアの表情には翳りがあった。
私が詮索することではないかもしれないが、もしかしたら母上の病状が思わしくないのかも知れないと思った。
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