異世界召喚 (聖女)じゃない方でしたがなぜか溺愛されてます
33 食わず嫌いは嫌い
トーマスさんに持ちきれないほどの切り花を用意してもらい、屋敷に戻ろうと温室を出たが、アドルファスさんはトーマスさんに呼び止められ、温室の奥へと消えて行った。
温室の奥には切り花にするような花だけでなく、実のなる木もあったが、太い木の幹や大きな葉が邪魔をして奥までは見通せない。
「ありがとう、トーマス」
「いいえ、後は坊っちゃん次第です。頑張ってください」
「そううまく行くかはわからない」
「百戦錬磨の坊っちゃんでも、そうお思いなさるか」
「それは昔の話だ。それにこれは相手次第だから」
五分ほどで二人は奥から出て来た。
「待たせて申し訳ありません」
側に来た彼は深く何かを考え込んでいる。けれど私の顔を見てすぐに彼の強張った顔が緩んだ。
「トーマスがいつでも花が欲しい時に来てくださいと言っていました」
一瞬見えたアドルファスさんの表情は険しかった。何か問題でもあったのだろうか。でもあえて気づかないふりをした。この家の問題なら、居候として超えてはいけないラインがある。
「本当ですか? 嬉しいです」
両手にいっぱい抱えた花に顔を寄せて匂いを吸い込む。
切り取ったばかりで瑞々しく、芳しい香りが鼻孔をくすぐる。
「本当に綺麗ですね」
「ええ、綺麗です」
「人生でこんなたくさんの花を抱えるのは初めてです」
「初めて?」
「はい。生徒から卒業式にもらったことはありますが、学生だから一輪だけか片手で持てるくらいのものがせいぜいで…もちろん、大きさじゃなく、贈ってくれる人の気持ちが一番大事ですから」
担任と違い保健室勤務の私に花をくれる生徒は少ない。それでも毎年何人かは贈ってくれていた。
「昨日から初めてのことばかり。突然知らない世界に召喚されて、魔法を見るのも馬車に乗るのも、ドレスを着るのもエスコートも…男の人に髪を乾かしてもらったり…人生何が起こるかわかりませんね」
「私にとってもあなたとの出会いは驚きでした。花まで食べるとは思いませんでした」
「それはちょっと極端かも知れませんが、食べ物はここと私がいた世界では同じものがあるのに、認識が違います。せっかくたくさん美味しいものがあって、美味しく食べる方法があるのに、知らないのはもったいないです」
「知らないのはもったいない…確かにそうですね。でも人には好き嫌いがありますから」
アドルファスさんは私の持っている花束から一輪抜き取ると、親指と人差し指で茎を挟んでくるくる回す。
「花は綺麗だからこそ飾られる。折れたり曲がったり散った花を誰も飾りたいと思わないでしょ?」
彼が花に例えて自分のことを言っているのがわかった。知らなかったことを知るのは楽しいことではあるけど、必ずしもそれが好ましいことかはわからない。
「でも試してみないとそれが自分に取って好きなものかわかりません。昔は嫌いだったものも年齢とともに好きになることもあります。あくまで食べ物の話ですけど。私、食わず嫌いはイヤなんです」
「食べ物について言うなら、討伐に出れば持ち込める食糧にも限界があり、兵糧が乏しくなれば草でも木の根でも何でも食べていました。多少味は悪くても。だから食べ物で好き嫌いはないです」
「なら、何が食卓に出されても平気ですね」
彼が経験してきた過酷な討伐について私には想像しかできない。生きるため草や木の根を食み、そこまでして命を捧げてきたことを、諦めなければならなかった。さぞ無念だったろう。
なのにその身に残る傷のことで未だ心にも傷を抱えている。
私のことを気遣い親切にしてくれればくれるほど、それだけ彼が他人を思いやれる心の広さと温かさを持っているのがわかるだけに、本当の思いを口に出せないで苦しんでいるのではと感じる。
勉強や人間関係、家族との問題を抱え、保健室にやってきた生徒と彼が重なる。
「何でも食べられるとは言ったが、味の好みはある。同じ食べるなら美味しいと思うものがいい。こう見えて味にはうるさいんです」
「薔薇ジャムがお気に召したなら多分大丈夫だと思います。今夜の食事は期待していてください」
「それは楽しみだ。ここでの滞在をあなたが少しでも楽しんでくれているようで嬉しいです」
「全部アドルファスさんとレディ・シンクレアのお陰です。ありがとうございます」
さっき感じた寂しい気持ちは私の我儘だ。こうやって気にかけてもらって、これ以上何を望むというのだろう。
「私が傍にいる限り、あなたには不自由はさせません。元の世界と全て同じようにとはいきませんが、私が出来ることは何でもして差し上げたいと思っています。だから、思うところがあったら何でも仰ってください」
「そんな、今でも充分すぎるくらいです」
屋敷に戻るとベラさんが待っていた。
「晩餐の用意ができています。レディ・シンクレアが一時間後に食堂へお越しくださいとのことです」
彼女は既に晩餐のための着替えに戻っていると言う。
アドルファスさんは仕事から帰ったばかりだから着替えるのはわかるが、本当に食事のためだけに着替えをするような世界なんだ。
これもまた初めてのことだった。
温室の奥には切り花にするような花だけでなく、実のなる木もあったが、太い木の幹や大きな葉が邪魔をして奥までは見通せない。
「ありがとう、トーマス」
「いいえ、後は坊っちゃん次第です。頑張ってください」
「そううまく行くかはわからない」
「百戦錬磨の坊っちゃんでも、そうお思いなさるか」
「それは昔の話だ。それにこれは相手次第だから」
五分ほどで二人は奥から出て来た。
「待たせて申し訳ありません」
側に来た彼は深く何かを考え込んでいる。けれど私の顔を見てすぐに彼の強張った顔が緩んだ。
「トーマスがいつでも花が欲しい時に来てくださいと言っていました」
一瞬見えたアドルファスさんの表情は険しかった。何か問題でもあったのだろうか。でもあえて気づかないふりをした。この家の問題なら、居候として超えてはいけないラインがある。
「本当ですか? 嬉しいです」
両手にいっぱい抱えた花に顔を寄せて匂いを吸い込む。
切り取ったばかりで瑞々しく、芳しい香りが鼻孔をくすぐる。
「本当に綺麗ですね」
「ええ、綺麗です」
「人生でこんなたくさんの花を抱えるのは初めてです」
「初めて?」
「はい。生徒から卒業式にもらったことはありますが、学生だから一輪だけか片手で持てるくらいのものがせいぜいで…もちろん、大きさじゃなく、贈ってくれる人の気持ちが一番大事ですから」
担任と違い保健室勤務の私に花をくれる生徒は少ない。それでも毎年何人かは贈ってくれていた。
「昨日から初めてのことばかり。突然知らない世界に召喚されて、魔法を見るのも馬車に乗るのも、ドレスを着るのもエスコートも…男の人に髪を乾かしてもらったり…人生何が起こるかわかりませんね」
「私にとってもあなたとの出会いは驚きでした。花まで食べるとは思いませんでした」
「それはちょっと極端かも知れませんが、食べ物はここと私がいた世界では同じものがあるのに、認識が違います。せっかくたくさん美味しいものがあって、美味しく食べる方法があるのに、知らないのはもったいないです」
「知らないのはもったいない…確かにそうですね。でも人には好き嫌いがありますから」
アドルファスさんは私の持っている花束から一輪抜き取ると、親指と人差し指で茎を挟んでくるくる回す。
「花は綺麗だからこそ飾られる。折れたり曲がったり散った花を誰も飾りたいと思わないでしょ?」
彼が花に例えて自分のことを言っているのがわかった。知らなかったことを知るのは楽しいことではあるけど、必ずしもそれが好ましいことかはわからない。
「でも試してみないとそれが自分に取って好きなものかわかりません。昔は嫌いだったものも年齢とともに好きになることもあります。あくまで食べ物の話ですけど。私、食わず嫌いはイヤなんです」
「食べ物について言うなら、討伐に出れば持ち込める食糧にも限界があり、兵糧が乏しくなれば草でも木の根でも何でも食べていました。多少味は悪くても。だから食べ物で好き嫌いはないです」
「なら、何が食卓に出されても平気ですね」
彼が経験してきた過酷な討伐について私には想像しかできない。生きるため草や木の根を食み、そこまでして命を捧げてきたことを、諦めなければならなかった。さぞ無念だったろう。
なのにその身に残る傷のことで未だ心にも傷を抱えている。
私のことを気遣い親切にしてくれればくれるほど、それだけ彼が他人を思いやれる心の広さと温かさを持っているのがわかるだけに、本当の思いを口に出せないで苦しんでいるのではと感じる。
勉強や人間関係、家族との問題を抱え、保健室にやってきた生徒と彼が重なる。
「何でも食べられるとは言ったが、味の好みはある。同じ食べるなら美味しいと思うものがいい。こう見えて味にはうるさいんです」
「薔薇ジャムがお気に召したなら多分大丈夫だと思います。今夜の食事は期待していてください」
「それは楽しみだ。ここでの滞在をあなたが少しでも楽しんでくれているようで嬉しいです」
「全部アドルファスさんとレディ・シンクレアのお陰です。ありがとうございます」
さっき感じた寂しい気持ちは私の我儘だ。こうやって気にかけてもらって、これ以上何を望むというのだろう。
「私が傍にいる限り、あなたには不自由はさせません。元の世界と全て同じようにとはいきませんが、私が出来ることは何でもして差し上げたいと思っています。だから、思うところがあったら何でも仰ってください」
「そんな、今でも充分すぎるくらいです」
屋敷に戻るとベラさんが待っていた。
「晩餐の用意ができています。レディ・シンクレアが一時間後に食堂へお越しくださいとのことです」
彼女は既に晩餐のための着替えに戻っていると言う。
アドルファスさんは仕事から帰ったばかりだから着替えるのはわかるが、本当に食事のためだけに着替えをするような世界なんだ。
これもまた初めてのことだった。