世界は今、少年の可愛いお尻に託された ~便意を我慢できたら宇宙最強!? クソ真面目転生者の肛門活躍記~
35. 美しき少年
「いよいよだね、頼んだゾ!」
シアンはベンにファンデーションを塗りながら楽しそうに言った。
ベンは生まれて初めての女装に渋い顔をしながら、ただマネキンのように身をゆだねていた。
シアンは最後に茶髪のウイッグをスポッとかぶせると、
「んー、これでヨシ! 可愛いゾ! きゃははは!」
と、満足げに笑った。
手鏡を見たベンは、そこにキラキラとした可愛い子がいてちょっとドキッとしてしまう。
純潔教の青いローブを身にまとい、胸パッドを仕込んだブラジャーをつけ、ベンは見事に小柄な可愛い女性になったのだ。
「こ、これが……、僕?」
思わず新たな性癖の扉を開きかけ、ベンはブンブンと首を振って雑念を飛ばす。
「ベン君、ささやかだけど、役に立つかもしれない魔法を開発しておいたよ。手を出して」
魔王はベンに笑いかける。
「え? 魔法……ですか?」
魔王はベンの手を取り、手のひらに青く輝く小さな魔法陣を浮かべた。
「これで誰かのおしりを触ると便意を押し付けることができるんだ」
「え? 僕の便意が消えるって……ことですか?」
「そうそう。便意って言うのは脳が『排便しろー!』って必死に腸を動かす脳の働きだからね。これを相手に移転できるのさ。クフフフ」
魔王は楽しそうに言った。
「はぁ……」
「間違えてボタン押しちゃったりしたときに、一回だけリセットできるって感じかな? 使えそうだったら使って」
「あ、ありがとうございます」
ベンは手のひらでキラキラと光の微粒子を放っている魔法陣を見ながら、誰に押し付けたらいいのか、いまいち使いどころがイメージできず、首を傾げた。
「はい、これが招待状。場所は街はずれの教会だよ」
魔王は茶封筒をベンに渡す。
話によると約一万人の信者が集合するらしいが、小ぢんまりとした教会には一万人も入れない。集会用に異空間を作り、そこに教祖が登場するだろうとのことだった。そして、異空間は閉じられてしまうと外からは干渉できなくなる。つまり、ベン一人で一万人の信者の中、教祖を討たねばならない。
「いやぁ、どう考えても上手く行かないですよ」
そう言ってベンは泣きそうな顔で首を振る。
「十万倍を出せば君は宇宙最強、一万人に囲まれてても関係ないさ」
魔王は肩を叩きながら元気づけるが、ベンの表情は暗い。
「十万倍では意識を保ち続けられませんでした」
そう言ってベンは肩を落とし、深くため息をついた。長い茶髪がサラサラと流れる。
魔王は気乗りしないベンをジッと見つめ、ふぅとため息をついた。
元々は自分のわきの甘さから怪しい策略をめぐらされ、窮地に追い込まれたのだ。それをこんな限界を超えた挑戦に託すことになってしまった時点で、本当は負けている。
「本当にすまない……」
魔王はキュッと口を結び、頭を下げて謝る。
「たとえ失敗しても、自分の力の及ぶ限りフォローする。後のことは考えず全力を出してほしい」
魔王はベンの手をギュッと握って言った。
ベンは無言でうなずく。魔王に悪意がある訳じゃない。魔王を責めても仕方のない事だ。だが、誰にも当たれないというのはそれはそれで辛いことである。
はぁぁぁ……。
ベンは息を漏らし、うつろな目で宙を仰いだ。
「教祖が出てきたらすぐに十万倍になって一気に勝負をつけよう。教祖さえ倒してくれれば異空間は崩壊を始めるだろう。そうしたら後は俺たちが何とかする」
魔王は熱のこもった声で言うが、十万倍の便意は殺人的な衝撃を伴っている。気軽には答えられない。
ふぅ……。
ベンは大きく息をつくと、静かに首を振る。
すると、シアンはベンの背中をパンパンと叩き、
「ほら、もうすぐ百億円だゾ! 百億円! きゃははは!」
と、楽しそうに笑った。
「もう! 他人事だと思って!」
ベンはジト目でシアンを見る。
今はもう金の問題じゃないのだ。そんなのは全てが終わってから言って欲しい。
「あ、そうそう、百万倍は出しちゃダメだゾ? 確実に脳みそぶっこわれるから」
シアンは急に真面目な顔をして忠告する。
「十万倍で気を失うので大丈夫です!」
ベンはムッとしながらそう答え、そっぽを向いた。
「あのぉ……」
ベネデッタが横から声をかけてくる。ベネデッタは少しやつれた様子で目の下にクマを作りながら、それでも強い芯を感じさせる視線でベンを見た。
「ど、どうしたんですか?」
「わたくしも、集会に参加させていただけないかしら?」
ベネデッタは伏し目がちにそう言った。
「ダ、ダメですよ。命の保証ができません」
「わたくしのことは守らなくていいですわ。どっちみちベン君が失敗したらわたくし達は殺されるんですのよ?」
ベンは言葉に詰まった。そう、自分がミスればトゥチューラの人達含めてこの星の人たちは全滅なのだ。改めてその重責に押しつぶされそうになる。
「実はわたくし、あの後毎日特訓したんですのよ」
ベネデッタはニコッと笑う。
「特訓?」
「そうですわ。トイレに籠って何度もボタンを押したんですの。そしてついに千倍に耐えられるようになりましたわ!」
ベネデッタは少し誇らしげにそう言って胸を張った。
シアンはそれを聞いて、
「千倍出せたの!? すごーい!」
と、ベネデッタの手を取ってブンブンと振る。
「いや、でも千倍止まりなんですわ」
「それでもすごいよ!」
ベンは叫び、こぶしをギュッと握った。そして、そのベネデッタの根性に目頭が熱くなる思いがして唇をキュッとかむ。便意を我慢するというのは本当に苦しい。胃腸がねじれんばかりに暴れまわり、それを括約筋一つで押さえつけ続けるのだ。その苦痛は筆舌に尽くしがたいものがある。
そんな苦痛に耐え、失敗して暴発する事を繰り返す。そんな地獄の修業は、やったものではないと分からない自己の尊厳にかかわる凄惨な色がにじんでいる。
その話を聞いてはもうベネデッタの好きにさせるしかなかった。
「いいですよ、行きましょう。一緒に教祖を討ちましょう!」
ベンは自然と湧いてくる涙を手のひらで拭うと、ベネデッタに優しくハグをする。
ベネデッタも嬉しそうにそれを受け入れた。公爵令嬢だからとしてではなく、ベンの仲間としてベンを支えながらこの星を守ることができる。それは彼女にとって大いなる自立の一歩だった。
36. 私が魔王です
青いローブ姿の二人は教会までやってきた。
すでに陽は落ち、こじんまりとした三角屋根の建物には煌々と明りが灯り、暮れなずむ街の景色の中で異彩を放っている。
入口にはすでに大勢の純潔教の信者が行列を作り、ベンもベネデッタと共に最後尾についた。
ベンは男だということがバレないように、辺りを気にしながらそっとフードを深くかぶりなおす。
前に並んでいる女の子は友達と一緒に来たようで、楽しげにガールズトークをしながら順番を待っていた。
これから街の人たちを虐殺するテロリストのはずなのに、なぜこんなに楽しげなのかベンには理解できない。この軽いノリで次々と人々を殺していくのだろうか?
彼女たちが自分を襲って来るのなら殺すしかない。しかし、ためらうことなくこの娘たちを粉砕なんてできるものだろうか? 彼女たちはゴブリンじゃない、可愛い女の子なのだ。社会の理不尽さ、狂った現実にベンは押しつぶされそうになる。
すると、ベネデッタが震えるベンの手をそっと握り、優しく微笑んだ。その瞳には確かな覚悟と限りなき慈愛がこもっている。
ベンはハッとして大きく息をついた。
そう、自分たちは街の人を、この星を救うためにここにいるのだ。敵は教祖ただ一人、心を乱してはならない。
ベンは何度か大きく深呼吸をし、グッとこぶしを握り、ベネデッタを見てうなずいた。
◇
やがて二人の番がやってくる。
シアンに髪の色と目の色を変えてもらったベネデッタが、おずおずと招待状を受付嬢に渡す。ブロンド碧眼は茶髪黒目になってしまったが、それでも気品ある美しさは変わらなかった。
受付嬢は、チラッとベネデッタの顔を見て、招待状の番号を確認し、
「はい、9436番! お名前は?」
と、いいながらシートに何かを書き込んでいる。
えっ?
名前を聞かれるなんて聞いていなかったベネデッタは、引きつった顔でベンと目を合わせる。
しかし、ベンもそんなことは聞いていないからどう答えたらいいか分からない。この招待状を捏造したときに使った名前、それが何かだなんて分かりようもなかった。
ベンは顔面蒼白になってブンブンと首を振る。二人は極めてヤバい事態に追い込まれた。
すると、ベネデッタは意を決して、
「シアンです」
と、目をつぶったまま言い切る。
「えーと、シアンちゃんね。ハイ、OK!」
そう言ってベネデッタにネックストラップを渡した。
なんという洞察力と度胸。ベンは目を丸くしてベネデッタが通過していくのを眺めていた。
しかし、自分は何と答えたらいいのか?
【ベン】は明らかに男の名前だから違う。だとしたら何だろうか?
魔王が登録しそうな女の名前……。
全く分からない!
ベンは頭が真っ白になった。
「はい、9435番! お名前は?」
受付嬢が聞いてくるが、答えようがない。ベンは目をギュッとつぶり、途方に暮れる。
名前が違うということになれば明らかに不審者だ。警備の者が呼ばれ、ここでドンパチが始まってしまう。
そうなると、もう二度と集会潜入などできなくなり、テロの阻止の難度はグッと上がってしまう。
くぅぅぅ……。
万事休す。
ベンは大きく息をつき、意を決すると金属ベルトのボタンに手をかけた。
騒がれたらすかさずボタンを押し、入り口をダッシュで突破し、一気に会場に突入。そして、教祖を見つけ次第もう一回ボタンを押して瞬殺する……。
できるのかそんなこと?
ドクンドクンと心臓が激しく高鳴り、冷汗がたらりとたれてくる。
「早く、名前!」
受付嬢はイライラした声をあげる。
仕方ない、勝負だ。
ベンは大きく息をつき、覚悟を決め、受付嬢をじっと見据えると。
「魔王です」
と、言ってニヤッと笑った。潜入する受付で【魔王】を自称するとは余程のお馬鹿だが、もう女の子の名前なんて一つも思い浮かばなかったのだ。
受付嬢はギロリとベンをにらみ……、ニコッと相好を崩すと
「ハイハイ、マオちゃんね。ハイ、OK!」
そう言ってストラップをベンに渡した。
え?
殺し殺される凄惨なシーンを覚悟してたベンは肩透かしを食らい、目を真ん丸に見開いて固まる。
「早く受け取って!」
受付嬢はキッとベンをにらみ、ベンはキツネにつままれたように呆然としながらそっとストラップを受け取った。
正解が【魔王】とか、あの人はいったい何を考えているのだろうか? ベンは無駄に気疲れてしまった重い足取りでベネデッタの後を追った。
◇
ベンは会場内に入り、コンサート会場のような観客席に座ると、
「ちょっと、魔王たち何なんですかね? 情報はしっかり伝えるのが社会人の基本じゃないんですかね?」
と、小声でベネデッタに愚痴を言う。
「きっと名前のチェックがあるなんて思ってなかったのですわ」
ベネデッタはなだめるように返す。
ベンは肩をすくめ、渋い顔で首を振った。
見回すと大きなステージに広い観客席。もう七割くらいは席が埋まっているだろうか? あの小さな教会の中がこうなっているだなんて明らかに異常である。やはり管理者権限を使った異空間なのだろう。一度閉じられたらもう教祖を倒すまで逃げられないし、助けも期待できない。
見渡す限り全ての女の子が敵なのである。ベンは改めて強烈なアウェイにいることを感じ、胃がキリキリと痛んだ。
そんな様子を見ながらベネデッタは、
「これが終わったら日本ですわ。大きなお屋敷を買って一緒に暮らすっていかがかしら?」
そう言ってニコッと笑った。緊張をほぐそうとしているのだろう。少女に気を使われる三十代のオッサンという構図にベンは苦笑いしてしまう。
ただ、ベネデッタがイメージしているのは離宮のような屋敷なのだろうが、日本にはそんなのは売ってない。
建てるか? 百億で? どんな成金だろうか?
そんなことを考えてベンは思わずクスッと笑ってしまった。
「あら、お嫌ですこと?」
ベネデッタは口をとがらせる。
「あ、いやいや、楽しみになってきました。ベネデッタさん好みの素敵なお屋敷を建てましょう。バーンとね!」
ベンは両手を広げ、ニコッと笑って言った。
ベネデッタはほほを赤く染め、うなずく。
と、その時、急に照明が落とされ、ステージの女性にスポットライトが当たった。いよいよ運命の時がやってきたのだ。
二人はハッとして食い入るようにその女性を見つめた。
シアンはベンにファンデーションを塗りながら楽しそうに言った。
ベンは生まれて初めての女装に渋い顔をしながら、ただマネキンのように身をゆだねていた。
シアンは最後に茶髪のウイッグをスポッとかぶせると、
「んー、これでヨシ! 可愛いゾ! きゃははは!」
と、満足げに笑った。
手鏡を見たベンは、そこにキラキラとした可愛い子がいてちょっとドキッとしてしまう。
純潔教の青いローブを身にまとい、胸パッドを仕込んだブラジャーをつけ、ベンは見事に小柄な可愛い女性になったのだ。
「こ、これが……、僕?」
思わず新たな性癖の扉を開きかけ、ベンはブンブンと首を振って雑念を飛ばす。
「ベン君、ささやかだけど、役に立つかもしれない魔法を開発しておいたよ。手を出して」
魔王はベンに笑いかける。
「え? 魔法……ですか?」
魔王はベンの手を取り、手のひらに青く輝く小さな魔法陣を浮かべた。
「これで誰かのおしりを触ると便意を押し付けることができるんだ」
「え? 僕の便意が消えるって……ことですか?」
「そうそう。便意って言うのは脳が『排便しろー!』って必死に腸を動かす脳の働きだからね。これを相手に移転できるのさ。クフフフ」
魔王は楽しそうに言った。
「はぁ……」
「間違えてボタン押しちゃったりしたときに、一回だけリセットできるって感じかな? 使えそうだったら使って」
「あ、ありがとうございます」
ベンは手のひらでキラキラと光の微粒子を放っている魔法陣を見ながら、誰に押し付けたらいいのか、いまいち使いどころがイメージできず、首を傾げた。
「はい、これが招待状。場所は街はずれの教会だよ」
魔王は茶封筒をベンに渡す。
話によると約一万人の信者が集合するらしいが、小ぢんまりとした教会には一万人も入れない。集会用に異空間を作り、そこに教祖が登場するだろうとのことだった。そして、異空間は閉じられてしまうと外からは干渉できなくなる。つまり、ベン一人で一万人の信者の中、教祖を討たねばならない。
「いやぁ、どう考えても上手く行かないですよ」
そう言ってベンは泣きそうな顔で首を振る。
「十万倍を出せば君は宇宙最強、一万人に囲まれてても関係ないさ」
魔王は肩を叩きながら元気づけるが、ベンの表情は暗い。
「十万倍では意識を保ち続けられませんでした」
そう言ってベンは肩を落とし、深くため息をついた。長い茶髪がサラサラと流れる。
魔王は気乗りしないベンをジッと見つめ、ふぅとため息をついた。
元々は自分のわきの甘さから怪しい策略をめぐらされ、窮地に追い込まれたのだ。それをこんな限界を超えた挑戦に託すことになってしまった時点で、本当は負けている。
「本当にすまない……」
魔王はキュッと口を結び、頭を下げて謝る。
「たとえ失敗しても、自分の力の及ぶ限りフォローする。後のことは考えず全力を出してほしい」
魔王はベンの手をギュッと握って言った。
ベンは無言でうなずく。魔王に悪意がある訳じゃない。魔王を責めても仕方のない事だ。だが、誰にも当たれないというのはそれはそれで辛いことである。
はぁぁぁ……。
ベンは息を漏らし、うつろな目で宙を仰いだ。
「教祖が出てきたらすぐに十万倍になって一気に勝負をつけよう。教祖さえ倒してくれれば異空間は崩壊を始めるだろう。そうしたら後は俺たちが何とかする」
魔王は熱のこもった声で言うが、十万倍の便意は殺人的な衝撃を伴っている。気軽には答えられない。
ふぅ……。
ベンは大きく息をつくと、静かに首を振る。
すると、シアンはベンの背中をパンパンと叩き、
「ほら、もうすぐ百億円だゾ! 百億円! きゃははは!」
と、楽しそうに笑った。
「もう! 他人事だと思って!」
ベンはジト目でシアンを見る。
今はもう金の問題じゃないのだ。そんなのは全てが終わってから言って欲しい。
「あ、そうそう、百万倍は出しちゃダメだゾ? 確実に脳みそぶっこわれるから」
シアンは急に真面目な顔をして忠告する。
「十万倍で気を失うので大丈夫です!」
ベンはムッとしながらそう答え、そっぽを向いた。
「あのぉ……」
ベネデッタが横から声をかけてくる。ベネデッタは少しやつれた様子で目の下にクマを作りながら、それでも強い芯を感じさせる視線でベンを見た。
「ど、どうしたんですか?」
「わたくしも、集会に参加させていただけないかしら?」
ベネデッタは伏し目がちにそう言った。
「ダ、ダメですよ。命の保証ができません」
「わたくしのことは守らなくていいですわ。どっちみちベン君が失敗したらわたくし達は殺されるんですのよ?」
ベンは言葉に詰まった。そう、自分がミスればトゥチューラの人達含めてこの星の人たちは全滅なのだ。改めてその重責に押しつぶされそうになる。
「実はわたくし、あの後毎日特訓したんですのよ」
ベネデッタはニコッと笑う。
「特訓?」
「そうですわ。トイレに籠って何度もボタンを押したんですの。そしてついに千倍に耐えられるようになりましたわ!」
ベネデッタは少し誇らしげにそう言って胸を張った。
シアンはそれを聞いて、
「千倍出せたの!? すごーい!」
と、ベネデッタの手を取ってブンブンと振る。
「いや、でも千倍止まりなんですわ」
「それでもすごいよ!」
ベンは叫び、こぶしをギュッと握った。そして、そのベネデッタの根性に目頭が熱くなる思いがして唇をキュッとかむ。便意を我慢するというのは本当に苦しい。胃腸がねじれんばかりに暴れまわり、それを括約筋一つで押さえつけ続けるのだ。その苦痛は筆舌に尽くしがたいものがある。
そんな苦痛に耐え、失敗して暴発する事を繰り返す。そんな地獄の修業は、やったものではないと分からない自己の尊厳にかかわる凄惨な色がにじんでいる。
その話を聞いてはもうベネデッタの好きにさせるしかなかった。
「いいですよ、行きましょう。一緒に教祖を討ちましょう!」
ベンは自然と湧いてくる涙を手のひらで拭うと、ベネデッタに優しくハグをする。
ベネデッタも嬉しそうにそれを受け入れた。公爵令嬢だからとしてではなく、ベンの仲間としてベンを支えながらこの星を守ることができる。それは彼女にとって大いなる自立の一歩だった。
36. 私が魔王です
青いローブ姿の二人は教会までやってきた。
すでに陽は落ち、こじんまりとした三角屋根の建物には煌々と明りが灯り、暮れなずむ街の景色の中で異彩を放っている。
入口にはすでに大勢の純潔教の信者が行列を作り、ベンもベネデッタと共に最後尾についた。
ベンは男だということがバレないように、辺りを気にしながらそっとフードを深くかぶりなおす。
前に並んでいる女の子は友達と一緒に来たようで、楽しげにガールズトークをしながら順番を待っていた。
これから街の人たちを虐殺するテロリストのはずなのに、なぜこんなに楽しげなのかベンには理解できない。この軽いノリで次々と人々を殺していくのだろうか?
彼女たちが自分を襲って来るのなら殺すしかない。しかし、ためらうことなくこの娘たちを粉砕なんてできるものだろうか? 彼女たちはゴブリンじゃない、可愛い女の子なのだ。社会の理不尽さ、狂った現実にベンは押しつぶされそうになる。
すると、ベネデッタが震えるベンの手をそっと握り、優しく微笑んだ。その瞳には確かな覚悟と限りなき慈愛がこもっている。
ベンはハッとして大きく息をついた。
そう、自分たちは街の人を、この星を救うためにここにいるのだ。敵は教祖ただ一人、心を乱してはならない。
ベンは何度か大きく深呼吸をし、グッとこぶしを握り、ベネデッタを見てうなずいた。
◇
やがて二人の番がやってくる。
シアンに髪の色と目の色を変えてもらったベネデッタが、おずおずと招待状を受付嬢に渡す。ブロンド碧眼は茶髪黒目になってしまったが、それでも気品ある美しさは変わらなかった。
受付嬢は、チラッとベネデッタの顔を見て、招待状の番号を確認し、
「はい、9436番! お名前は?」
と、いいながらシートに何かを書き込んでいる。
えっ?
名前を聞かれるなんて聞いていなかったベネデッタは、引きつった顔でベンと目を合わせる。
しかし、ベンもそんなことは聞いていないからどう答えたらいいか分からない。この招待状を捏造したときに使った名前、それが何かだなんて分かりようもなかった。
ベンは顔面蒼白になってブンブンと首を振る。二人は極めてヤバい事態に追い込まれた。
すると、ベネデッタは意を決して、
「シアンです」
と、目をつぶったまま言い切る。
「えーと、シアンちゃんね。ハイ、OK!」
そう言ってベネデッタにネックストラップを渡した。
なんという洞察力と度胸。ベンは目を丸くしてベネデッタが通過していくのを眺めていた。
しかし、自分は何と答えたらいいのか?
【ベン】は明らかに男の名前だから違う。だとしたら何だろうか?
魔王が登録しそうな女の名前……。
全く分からない!
ベンは頭が真っ白になった。
「はい、9435番! お名前は?」
受付嬢が聞いてくるが、答えようがない。ベンは目をギュッとつぶり、途方に暮れる。
名前が違うということになれば明らかに不審者だ。警備の者が呼ばれ、ここでドンパチが始まってしまう。
そうなると、もう二度と集会潜入などできなくなり、テロの阻止の難度はグッと上がってしまう。
くぅぅぅ……。
万事休す。
ベンは大きく息をつき、意を決すると金属ベルトのボタンに手をかけた。
騒がれたらすかさずボタンを押し、入り口をダッシュで突破し、一気に会場に突入。そして、教祖を見つけ次第もう一回ボタンを押して瞬殺する……。
できるのかそんなこと?
ドクンドクンと心臓が激しく高鳴り、冷汗がたらりとたれてくる。
「早く、名前!」
受付嬢はイライラした声をあげる。
仕方ない、勝負だ。
ベンは大きく息をつき、覚悟を決め、受付嬢をじっと見据えると。
「魔王です」
と、言ってニヤッと笑った。潜入する受付で【魔王】を自称するとは余程のお馬鹿だが、もう女の子の名前なんて一つも思い浮かばなかったのだ。
受付嬢はギロリとベンをにらみ……、ニコッと相好を崩すと
「ハイハイ、マオちゃんね。ハイ、OK!」
そう言ってストラップをベンに渡した。
え?
殺し殺される凄惨なシーンを覚悟してたベンは肩透かしを食らい、目を真ん丸に見開いて固まる。
「早く受け取って!」
受付嬢はキッとベンをにらみ、ベンはキツネにつままれたように呆然としながらそっとストラップを受け取った。
正解が【魔王】とか、あの人はいったい何を考えているのだろうか? ベンは無駄に気疲れてしまった重い足取りでベネデッタの後を追った。
◇
ベンは会場内に入り、コンサート会場のような観客席に座ると、
「ちょっと、魔王たち何なんですかね? 情報はしっかり伝えるのが社会人の基本じゃないんですかね?」
と、小声でベネデッタに愚痴を言う。
「きっと名前のチェックがあるなんて思ってなかったのですわ」
ベネデッタはなだめるように返す。
ベンは肩をすくめ、渋い顔で首を振った。
見回すと大きなステージに広い観客席。もう七割くらいは席が埋まっているだろうか? あの小さな教会の中がこうなっているだなんて明らかに異常である。やはり管理者権限を使った異空間なのだろう。一度閉じられたらもう教祖を倒すまで逃げられないし、助けも期待できない。
見渡す限り全ての女の子が敵なのである。ベンは改めて強烈なアウェイにいることを感じ、胃がキリキリと痛んだ。
そんな様子を見ながらベネデッタは、
「これが終わったら日本ですわ。大きなお屋敷を買って一緒に暮らすっていかがかしら?」
そう言ってニコッと笑った。緊張をほぐそうとしているのだろう。少女に気を使われる三十代のオッサンという構図にベンは苦笑いしてしまう。
ただ、ベネデッタがイメージしているのは離宮のような屋敷なのだろうが、日本にはそんなのは売ってない。
建てるか? 百億で? どんな成金だろうか?
そんなことを考えてベンは思わずクスッと笑ってしまった。
「あら、お嫌ですこと?」
ベネデッタは口をとがらせる。
「あ、いやいや、楽しみになってきました。ベネデッタさん好みの素敵なお屋敷を建てましょう。バーンとね!」
ベンは両手を広げ、ニコッと笑って言った。
ベネデッタはほほを赤く染め、うなずく。
と、その時、急に照明が落とされ、ステージの女性にスポットライトが当たった。いよいよ運命の時がやってきたのだ。
二人はハッとして食い入るようにその女性を見つめた。