垢玉
薄暗い部屋の中で、彼女が放った一言は、僕の心を躍らせた。垢玉の掘り師というのは、入れ墨とは違って医師免許が必要なものではないが、代わりに掘り師たる才能が必要なのだ。
人間の垢というのは、集中力がないと、見えるものではない。それにどの掘り師も男性が多く、まだ女性の割合は少ない。掘り師の人数も社会的に見れば少ない。
修行も必要だ。その境遇の中に、彼女は自ら身を置きたいというのは余程、垢玉の存在に魅力を感じているからに他ならない。
「素晴らしい意気込みだと思う。応援しているよ」
僕は力強くそう言ってから、ほほ笑んだ。しかし彼女は、まだ何か言いたそうである。
「瀬戸くん、私が垢玉の掘り師になったら、アナタが最初のお客さんになってね」
心が温かくなった。藍ちゃんのように美しい人にそう言われると、照れくさい。僕が垢玉を作るのは、とうぶん先のことのようだ。
と思った。彼女が立派な垢玉の掘り師になったら、きっと僕は自分のことのように喜ぶだろう。いや、僕は今この瞬間から、彼女と一緒に垢玉の掘り師になる道を選んでも良いのかもしれない。
もう陽は沈んだ。僕らは部屋の電気をつけないまま、二人で向かい合ってジッとしている。
そうして、垢玉の奇跡を噛み締めている。垢玉の掘り師を自分も目指そうと思う。と彼女に伝えた。彼女は喜んでいた。暗くてよく顔が見えない。しかしこっちのほうが、何となく雰囲気があって楽しい。
垢玉を見物し終えると、僕らは再び階段を下りて一階に戻る。そろそろ両親が帰ってきそうなんだ。と彼女は言った。その前に玄関の絵、また見ていい? と僕が聞くと、彼女は喜んで、絵をライトアップしてくれた。
天井には満点の光の粒がちりばめられていた。しかし、垢玉ほどの美しさは無かった。垢玉で目が肥えてしまったんだ。と僕は内心思ったが、藍ちゃんも同じようなことを言っていた。
「垢玉を見ると、世界の本質が見えてくるような気がするんだ」
と、藍ちゃんは言った。おそらくその言葉は正しい。垢玉は人間の垢の結晶である。そして世界は人間の垢でまみれている。
垢玉を覗き見るというのは、人間の本質を覗き見るということである。残酷であり、醜悪であり、そして神秘そのものだった。
次の日は学校が休みだったので、藍ちゃんと学内で出会うということは無かった。その代わりに、僕は一人で新宿の街を歩いた。