まあ、食ってしまいたいくらいには。
今わたしは目の前で、大切なひとを失いかけている。
自分じゃなくて誰かが、こんなふうになっているのは初めてで。
その恐怖に堪えきれなくなって、泣きながら名前を呼んだ。
何度目かで愔俐先輩が煩わしげに眉宇を寄せた。
「お前は本当にうるさいな」
またしても腕をひかれる。
それは、さっきよりも弱い力だったけれど。
油断していたわたしを引き寄せるのには充分だった。
「……んっ、ぅ」
柔らかく微かに温かいものが、唇に触れた。
それは時間にすれば一秒にも満たない短いもので。
「甘ったるい」
理解が追いついた瞬間。
ひとつの感情に支配されていた頭に、じわじわと流れ込んでくるそれは。
長らく、わたしが知り得なかったものだった。
「……ちゃんとキスするの、初めてだったんですけど」
すると、あろうことかこの男。
いつかと同じように、愉しげに唇の端を歪めてから。
「面白い」
そこにあるはずのない温かさを感じたのは。
きっと、気のせい、なんかじゃなくて。
わたしが微かに笑ったのを見届けてから、
愔俐先輩は役目を終えたように瞼を下ろした。