虹色のバラが咲く場所は
165話 生き別れ
お兄ちゃんが手を振り払ったあの日
私は生死を彷徨った。
意識はあるけど目は開かず
体も動かない。
お父さんの頼りない声、
お母さんの甲高く先生に縋る声が
聞こえる。
担当の先生が言うには心拍、血圧、呼吸
など安定しているらしい。
(私自身、今は苦しいとかは感じないし、
でも安定するまではかなり痛くて
苦しんだしな)
苦しんだ分体力回復のために動かないのかなと楽観視していた。
次に目を覚ました時はあれから2週間
経っていたらしい。
それから検査したり
ずっとベットで体力が衰えているから
リハビリして約2ヶ月後。
先生から退院の許可が降りて、
私は久しぶりに病院の外へ。
「今日からおばあちゃんの家に住むの。田舎だから空気が澄んでいて
とても気持ちがいいところよ。」
お母さんはにっこりと微笑んだ。
「良かったな、今回の入院は長引いた
からやりたいことたくさんあるだろう?」
「う、うん。でもがっこ、」
「学校は残念だけど転校しないと
いけないの。ここの空気は茉里の体には少し苦しいと思うの」
「・・・うん。新しい場所でも
友達つくるよ」
寂しかったが我慢した。
田舎でおばあちゃんに会った。
おばあちゃんはいつも優しくて、
一緒にいられることが嬉しかった。
でも
「ねぇ、お母さん。
お兄ちゃんはどこ?
お兄ちゃんにも退院したって
教えないと」
退院した翌日、お母さんに聞くと
「あの子は事故で死んでしまったの」
と聞いた。あまりにも普通に言うから
聞き返した。
「どういうこと?」
震える声で言うと今度はお父さんが
答えた。
「茉里が生死を彷徨った日。
あの子は車に轢かれてしまったんだ。
病院に運ばれたけど、遅かったって」
声色は変わらない。夕食を聞いて
唐揚げと答えるくらい、
あっけらかんとした口振りに恐怖を
覚えた。
「え?おかしい、よ。
身内が、子供が死ん、で、
なんで、普通に、していられるの。」
揺らぐ視界、乾く喉、本当に
両親なのかと疑う。
おばあちゃんに聞いても、
あの子、お母さんのうちに来る前の家は
知らないらしく、何度聞いても教えてくれないとため息をついていた。
「蓮ちゃんは元気なのかしら。
会いに行きたいけど電車の乗り方も
スマホの使い方もわからなくて。」
(だって、おばあちゃん)
「お兄ちゃんは、」
「茉里」
「お母さん、」
お兄ちゃんのことをおばあちゃんに
聞こうとしたら止められた。
「なんで、お母さん」
「おばあちゃんには言わなくて
いいのよ」
「どうして?」
「きっとショックをうけるわ。
倒れちゃうかもしれない。
だから私がタイミングを見て話すから
茉里はおばあちゃんに言っちゃダメよ」
(お母さんなりの考えなのかもしれない)
その時はそう思って、他に何も
言えなかった。
黙ってうなづくと頭を撫でられる。
翌日からお母さん、たまにお父さんが
毎日朝方に出かけていた。
でも私が学校から帰る頃にはいたから
気にも留めなかった。
今なら分かる。
お兄ちゃんのご飯を作ってたり
洗濯をしたり、最低限の家事を
していたんだって。
数ヶ月後、
お父さんが持ってきたアルバムは
私の写真ばかり。
お兄ちゃんの写真は1枚もなかった。
でも写真を抜いたりした跡はない。
(もしかして、兄妹で差があったの?)
だからお兄ちゃんはあの時、
あんな目をしたの?
鍵穴のついたピンクのプラスチックの箱
を机の引き出しから開ける。
(退院したらお兄ちゃんの持ってる鍵で
開けようと思ってたのにな。
もう叶わないのか)
私は生死を彷徨った。
意識はあるけど目は開かず
体も動かない。
お父さんの頼りない声、
お母さんの甲高く先生に縋る声が
聞こえる。
担当の先生が言うには心拍、血圧、呼吸
など安定しているらしい。
(私自身、今は苦しいとかは感じないし、
でも安定するまではかなり痛くて
苦しんだしな)
苦しんだ分体力回復のために動かないのかなと楽観視していた。
次に目を覚ました時はあれから2週間
経っていたらしい。
それから検査したり
ずっとベットで体力が衰えているから
リハビリして約2ヶ月後。
先生から退院の許可が降りて、
私は久しぶりに病院の外へ。
「今日からおばあちゃんの家に住むの。田舎だから空気が澄んでいて
とても気持ちがいいところよ。」
お母さんはにっこりと微笑んだ。
「良かったな、今回の入院は長引いた
からやりたいことたくさんあるだろう?」
「う、うん。でもがっこ、」
「学校は残念だけど転校しないと
いけないの。ここの空気は茉里の体には少し苦しいと思うの」
「・・・うん。新しい場所でも
友達つくるよ」
寂しかったが我慢した。
田舎でおばあちゃんに会った。
おばあちゃんはいつも優しくて、
一緒にいられることが嬉しかった。
でも
「ねぇ、お母さん。
お兄ちゃんはどこ?
お兄ちゃんにも退院したって
教えないと」
退院した翌日、お母さんに聞くと
「あの子は事故で死んでしまったの」
と聞いた。あまりにも普通に言うから
聞き返した。
「どういうこと?」
震える声で言うと今度はお父さんが
答えた。
「茉里が生死を彷徨った日。
あの子は車に轢かれてしまったんだ。
病院に運ばれたけど、遅かったって」
声色は変わらない。夕食を聞いて
唐揚げと答えるくらい、
あっけらかんとした口振りに恐怖を
覚えた。
「え?おかしい、よ。
身内が、子供が死ん、で、
なんで、普通に、していられるの。」
揺らぐ視界、乾く喉、本当に
両親なのかと疑う。
おばあちゃんに聞いても、
あの子、お母さんのうちに来る前の家は
知らないらしく、何度聞いても教えてくれないとため息をついていた。
「蓮ちゃんは元気なのかしら。
会いに行きたいけど電車の乗り方も
スマホの使い方もわからなくて。」
(だって、おばあちゃん)
「お兄ちゃんは、」
「茉里」
「お母さん、」
お兄ちゃんのことをおばあちゃんに
聞こうとしたら止められた。
「なんで、お母さん」
「おばあちゃんには言わなくて
いいのよ」
「どうして?」
「きっとショックをうけるわ。
倒れちゃうかもしれない。
だから私がタイミングを見て話すから
茉里はおばあちゃんに言っちゃダメよ」
(お母さんなりの考えなのかもしれない)
その時はそう思って、他に何も
言えなかった。
黙ってうなづくと頭を撫でられる。
翌日からお母さん、たまにお父さんが
毎日朝方に出かけていた。
でも私が学校から帰る頃にはいたから
気にも留めなかった。
今なら分かる。
お兄ちゃんのご飯を作ってたり
洗濯をしたり、最低限の家事を
していたんだって。
数ヶ月後、
お父さんが持ってきたアルバムは
私の写真ばかり。
お兄ちゃんの写真は1枚もなかった。
でも写真を抜いたりした跡はない。
(もしかして、兄妹で差があったの?)
だからお兄ちゃんはあの時、
あんな目をしたの?
鍵穴のついたピンクのプラスチックの箱
を机の引き出しから開ける。
(退院したらお兄ちゃんの持ってる鍵で
開けようと思ってたのにな。
もう叶わないのか)