囚われのシンデレラ【完結】


 



 深夜、玄関の方から物音がした。いつもの西園寺さんなら、物音を立てないように帰って来る。それなのに、ガタガタとまばらな足音が静かな部屋に響いて。その異様さに、自分の部屋を出てしまった。

「西園寺さん……どうしたんですか!」

ふらふらと覚束ない足取りで、壁に手をついて廊下を歩いていた。いつもの、どこから見ても少しの乱れもない姿の西園寺さんとは違う。首元のネクタイは大きく歪んでいた。

 アルコールの匂いが立ちのぼる。

「お酒、飲んでるんですか?」
「ああ――」
「さ、西園寺さん、大丈夫ですか……っ?」

ふらつく足のせいでバランスを崩したのか、その場に倒れ込んだ西園寺さんの腕を咄嗟に掴んだ。こんな風に酔った西園寺さんを見たことはない。想像すらしたことのない、いつもとはかけ離れたその姿に戸惑う。

「そんなに酔うほど飲んで、何かあったんですか?」
「見ての通り、今日の俺はまともじゃない。俺のことはいいから、早く自分の部屋に戻れ……」

その声も、擦り切れた心から出たみたいに頼りなくて。床に座りこんで、投げ出された片方の足の膝を立て顔を大きな手のひらで覆っていた。私より大きな身体のはずなのに、とても小さく見えて、胸がきつく締め付けられてどうしようもなくて。

「でも……っ」
「何もかも頭から消し去りたい夜がある。そういう時の男が何を考えるか分るか? 誰でもいいから抱いて、夜をやり過ごしたいと思うんだ。男なんてろくでもない」

私自身もまともな精神状態ではないのかもしれない。この手が飛んで行くのを止めることが出来なかった。

「――誰でもいいんですよね。だったら私を抱いてください」
「……な、に?」

隠していたその顔を私に向けた。

「ここには私しかいません。それに、私はあなたの妻でしょう?」

薄暗い廊下でも分かる、その激しく揺れる目を見つめる。

どうせ、もう何を言っても何を伝えても信じてもらえないのなら――。

座り込んでいる西園寺さんの真正面に座り、必死に腕を掴む。振り払われたくなくて、ぴんと張ったスーツの生地がしわくちゃになってしまうくらいきつく掴む。

「――あずさ」

身体だけでも触れ合えれば。そこから、何かを伝えることは出来るのだろうか――。

7年ぶりだ。西園寺さんの手のひらが、ぎこちなく私の頬に触れる。その瞬間に、ぴくんと肩が上がる。

「君も、酔ってるのか?」

長くて骨ばった指が、そっと遠慮がちに私の頬の肌を確かめるように撫でた。

「そうかもしれません」

こんな風にただ指で触れられただけで、胸は苦しくなる。苦しくて熱くなって高鳴る。そんなこと自覚してどうするんだろう。

「君は、馬鹿だな。今の俺に、理性なんてないと言ってるのに」
「いいんです」
「そんなに辛そうな顔をしているのに、あずさの手を振り払ってやれない」
「いいの。だから、早く――」

微かに触れるようにあてがわれていた手のひらにぐいっと力が込められ、すぐさま唇を塞がれた。

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