囚われのシンデレラ【完結】
「遥人のことだが、あいつは君をよく思っていない。俺と君の結婚を真っ向から反対しているからな。話をしても不愉快になるだけだろう。
ただ、遥人は、仕事上まったく問題ない有能な秘書だ。それに、あいつの人事権は俺にはない。遥人には俺からもきちんと話しておくつもりだが、君もこれからはここには来ないでくれ」
――来ないでくれ。
その言葉が、今度は鈍い痛みを連れて来る。
「はい、分かりました。じゃあ、これ」
おもむろに、バッグの中から西園寺さんのスマホを取り出す。
「ああ、ありがとう」
それを手渡し、のろりと立ち上がった。
「私、これで失礼します」
「あずさ……っ」
西園寺さんが私を呼び止めた。
「君は、自分のことだけを考えるんだ。余計なことを考える必要はない。今、目の前にある大事なことは、バイオリンの腕を上げることだ。分かったな?」
その真剣な眼差しが私を捕らえる。
「……はい。死ぬ気で頑張ります。こうなったら、コンクール優勝を目指しちゃうくらいのつもりでやりますよ」
無理やり笑顔を作る。
「その意気だ」
西園寺さんは安心したようにその表情を緩めた。
「細田さんに家まで送ってもらうように手配するから。エントランスの前で待っていてくれ」
「いえ、一人で帰れます――」
「俺の言うことを聞いておけ」
そう言うなり、もうその手がデスクの上の電話を取っていた。
西園寺さんの部屋を出てエントランスにたどり着くと、毎日見ている黒塗りの車が既に待っていた。
「奥様、どうぞ」
後部座席の扉を、細田さんが開けてくれる。
「私まですみません。ありがとうございます」
「いえ、とんでもございません」
いつもの温和な笑みで、迎え入れてくれた。
未だ引かない胸の痛みをやり過ごそうと、窓ガラスに頭を預け車窓を眺める。移り変わって行く街並みのように、自分の心も簡単に切り替えられればいいのに。
私はもう、自分の気持ちに素直に従えていた二十歳の若い子じゃない。あの頃のように好きだという気持ちに真っ直ぐになれない。
大人になればなるほど、臆病になる。大人な分だけ痛みに敏感になって、何も言葉に出来なくなる。年齢を重ねれば重ねるほど、胸に秘めなければならない想いが増えて、自分の苦しみから逃げる術ばかりを覚えて行く。
「――あの、奥様」
「は、はい」
運転席から突然声を掛けられて、我にかえった。
「常務とは無事にお会いになられたようですね」
「あっ……は、はい」
「それはもう、慌てていらっしゃいましたからね。間に合って良かった」
こちらからは表情は見えない。でも、その口調から、心から安心していることが分かる。