囚われのシンデレラ【完結】
「あの、どうして、私が来ていたことを、さい――主人は分かったんでしょうか」
そう言えば、その理由を聞いていなかった。
「本日は、朝から常務は社の近くで会合がありまして。私は、そちらに常務をお送りした後、社に戻っていたんです。そうしたら、エントランスで奥様をお見掛けして。それに、斎藤さんとも一緒にいらしたので、これは念のため常務のお耳に入れておいた方が良いかと思ったのです。申し訳ございません、勝手に」
「い、いえ」
謝られて、慌てて否定する。
「常務は、会合の途中にも関わらず社にお戻りになったのです。よっぽど心配なことがおありになったのでしょう」
斎藤さんが私をよく思っていないということを、西園寺さんは分かっている。だから、私が何かを言われないようにと、駆け付けてくれたのだろうか。
「常務は、奥様をとても大切に想っていらっしゃいますから、無理もありませんね」
「そ、そんなことは――」
と言いかけて、口を噤む。私たちが契約結婚だなんてことを、誰も知らないのだ。それなのに、否定するようなことを言ってはおかしい。
「いえ。本当ですよ」
でも、どうやらもう私の言葉は届いてしまっていたようだ。
「奥様はバイオリンをお弾きになるとうかがいました。車の中で常務はよくクラシックをお聴きになられるのですが、奥様の方がもっといい音で弾くんだとか、奥様が弾けばもっといい曲になるはずだとか。そんなことばかりおっしゃっていますよ。それも、ご自分のことのように誇らしげにお話される姿が、私にはとても微笑ましくて」
「そう、ですか……」
西園寺さんが、そんなことを――。
7年前、いつも西園寺さんは言ってくれていた。
”俺は、あずさのバイオリンのファンだから”と。
「人は、誰かの心を見て取ることはできません。言葉は、耳で聞くことができますがそれが本当の心を表しているのかどうかも、結局他人には分からない。だったらもう、自分が信じたいと思う人を信じるしかないんじゃないですかね。自分が信じたいと思った人なら、たとえそれが間違いだったとしても、信じたことを後悔はしないと思うんです」
自分が信じたいと思う人のことを信じる。
私が信じたいと思う人は、西園寺さんだ。
「――なんて、余計なことでしたね。申し訳ございません」
「いえ。そんなことありません。本当にそうですね。誰かの心を完全に理解することなんて、無理なのかもしれません。だからこそ、人は誰かを信じようとするのかな……」
西園寺さんが喜んでくれることが、私のバイオリンなら――。
私は、力の限りでバイオリンを弾く。
その日から、これまで以上に私はバイオリンの練習にのめり込んだ。西園寺さんを想う胸の苦しみも、自分の手に自分の音が戻って来る喜びも、そのすべてを音に載せる。