囚われのシンデレラ【完結】
リビングの大きな窓のすぐそばに立ち、バイオリンを構える。そこから少し離れたソファに、西園寺さんは座っていた。
「じゃあ、一曲だけ」
目を閉じて、最初の一音を頭の中でイメージする。そして、深く呼吸をして弓を引いた。
西園寺さんが7年前に好きだと言っていた、フォーレの『夢のあとに』
もともとは歌曲だったから、歌詞がある。
それは、イタリアのトスカーナ地方に伝わる詩から来ている、男性の視点で歌われている詞だ。
夢の中で出会った美しい女性との胸躍る時間。そして夢が醒めた後、もう一度彼女に会いたいと、夢を見ることが出来た夜に戻らせてくれと嘆く姿を歌う。
物悲しくて美しい旋律が、私の心までもを哀しみに包んだ。
この曲を西園寺さんの前で弾いた日。西園寺さんが言ってくれた。
『進藤さんが、必死に頑張ってる時も、嬉しい時も苦しい時も、涙を流す時も、その時一番近くにいる男は俺でありたい』
あの日から、心の中にいるのは西園寺さんだけだ。なのに、あの日にはもう戻れない。
弦と弓が弾かれて響く音に、声にならない言葉を載せる。口にできない想いは、もう、音にするしか私には術がない。
あなたが、好き――。
目を閉じても浮かぶのは、幸せだった頃ばかりで。
瞼は閉じているのに零れ出そうになる涙を、懸命に堪える。それを抑えるのにも限界が来た時、ちょうど曲を弾き終えた。
バイオリンを肩から下ろし俯く。今声を出せば、絶対に震えてしまう。すぐには何も言えなかった。
音の余韻が消えても、部屋は静かなままだった。静寂のあと、少しだけ掠れた西園寺さんの声が耳に届いた。
「……ごめん。すぐに言葉が出なくて。もしかして、この曲、俺が好きだって言ったの、覚えてくれていた?」
なんとか肯く。
この場所とソファが離れていて良かった。この薄暗さも手伝って、涙がばれずに済む。
「そうか……。まるで上手い言葉が出て来ない。ただ、なんと言うか、心揺さぶられて……っ」
西園寺さんが立ち上がる音がする。
「あずさには、絶対に特別な何かがある。それが、才能なのかそうじゃないのか、素人の俺には分からない。でも、何があっても弾くのをやめてはいけない人間だ。もっと、高みを目指すんだ」
それは、西園寺さんのことだけを想って弾いたから。
「……弾いてくれて、ありがとう。おやすみ」
その足音はすぐに遠ざかって行く。