囚われのシンデレラ【完結】
それから数日後、木藤さんのレッスンがあった。
「――あずささん。今日、この後、ちょっと飲みに行かない?」
レッスンが終わりバイオリンをしまっていると、そう声を掛けられた。
「どうせ、ご主人帰り遅いんだよね? たまにはどう? 女同士」
気さくな笑顔で私に言う。
「はい! ぜひ」
「よし! じゃあ、行きますか」
誰かと飲みに行くなんていつ以来だろう。今は、とにかく他のことを考えていたいと、切にそう思った。
駅近くの、サラリーマンで賑わう居酒屋に入った。
「では、今日も一日お疲れ様ということで、かんぱーい!」
カウンター席に隣合って座り、ジョッキをかち合わせる。
「あぁっ。どうして、生ビールの一杯目ってこんなに美味しいんだろう。冬に飲むビールも美味しいよねぇ」
長い髪をかき上げながら、木藤さんが満面の笑みになった。
「本当に。凄く美味しい!」
「あずささんは、お酒飲めるほう?」
私の方へと顔を傾ける。
「うーん。これまで、あんまり飲む機会がなかったから。よく分からない、というのが正直なところです。でも、ビールは美味しいです」
初めてお酒を飲んだのは、西園寺さんと一緒の時だった――。
って、またそこへと思考が行ってしまう。慌てて頭をぶるぶると振った。
たくさんの会話で賑わう居酒屋の雑多に混じり合う音が、今の私には心地良かった。庶民的な料理は、どれも美味しい。
「――それにしてもさ、今日のレッスンでやったフォーレ。あれ、私、かなり心に来たんだけど」
木藤さんが肘をテーブルにつき、手に顔を載せ、私を見ていた。
「鳥肌立った。向こうでもこっちでも、上手い人の演奏はいくらでも聴いてるけど。あずささんのは、そんなことじゃなくて。人の心に入り込んで、聴いている人の感情まで引きずり出す感じ? 恐ろしいよ」
「それは、あの曲が特別だからかもしれません」
早くも3杯目のジョッキを手のひらで握りしめて、ふわふわとする頭で口を開く。
「特別?」
「はい。西園寺さんの、好きな曲だから――」
「なるほどね」
納得したように大きく頷くと、木藤さんがぐいっと私の顔を覗き込んで来た。