囚われのシンデレラ【完結】
「この7年、あずさの一番近くにいながらあなたは何をしていたんですか? どうして彼女にバイオリンを続けさせなかった?」
「そ、それは、あいつのお父さんが亡くなって、音大もやめざるを得なかったから――」
「どうしてあずさの背中を押さなかったんだ。あなたもあの会場にいただろ。コンチェルトを聴いたんじゃないのか? あれを聴けば分かるはずだ。あずさの才能と情熱がどれほどのものか」
すべての監視と見張りを振り切って、ホールに駆け付けた。あずさとの大事な約束だったからだ。
これまでの会場とはわけが違う大ホールに響く、オーケストラとあずさのバイオリン。
あの細い身体から出ているとは思えない、あずさの胸に秘めるパワーに圧倒された。
会場を埋め尽くすあずさの音に、心が震えて仕方なかった。
何があっても、この音だけは世界に羽ばたかせなければならない。あの時、そう思った。
「あんな音を出す人間がやめられるはずがない。それが、環境や自分の中にある葛藤でやめざるを得ないんだとしたら、それがあずさにとってどれだけ苦しいことか」
あずさがバイトに明け暮れながらもバイオリンを弾く道を選んでいたのは、それがあずさの性だからだ。
『自分の夢を追いかけるために、人を一人殺したんです』
バイオリンを弾き続けながらも、あずさの中にずっと横たわっていた葛藤を知っている。だから、すぐにあずさの中にある苦悩が分かった。
淡々と話そうと思っていた。でも、この男を前にしたらダメだった。誰に対する何の怒りなのか、もはや分からなくなる。
「――とにかく。あなたにとってあずさは人妻だってことを忘れるな。今度は俺があなたに言います。人のものに手を出すな」
唇を激しく震わせながら、男が俺を睨みつけた。
「安心しろ。あずさには何不自由させない。俺の力全部を使ってでも、あずさのことは守る。もう話は終わりだ。お引き取りください」
あの男がこの部屋から出て行くと、大きく息を吐いていた。
身体に重りがのしかかるみたいに疲れを感じて、窓ガラスにもたれた。
そこからは、外の景色が良く見える。年末の忙しなさを表すように、足早に地上を歩く人々の流れ。それを、どこか虚しい気持ちになりながら目に映す。
あれは――。
その波の中に、よく知っている顔を見つける。見逃したりしない。あずさだ。
どうしてこんなところに――。
そう思ってじっと見つめていると、あの男がこのビルから出て来た。
二人が向き合い、何か言い合っている――。
そして、あの男があずさの手を握っていた。
いまさらそんなものを見ても、心がざわついたりしない。そう思っていたいのに。
数日前も二人がいるところをレストランの前で見た。
そして、今そこにある二人の姿――。
俺があずさの気持ちを引き裂いたのか。
母親の命を交換条件にするような、卑劣なことをして。
俺のしていることは、本当は間違っているのか――?
自分に向けられた虚しさが、過去と現在とを行き来してどうしようもなくなった。
あずさと別れてからの7年。どれだけやりきれなくても、我を忘れるほど飲んだりはしなかった。
この夜だけは、どうしても、なにもなかったかのようにあずさのいる部屋に帰ることができなかった。
*
――あずさを抱いた、あの夜のように。
もう、あんな後悔をしたくない。あずさを苦しめて、虚しさと自己嫌悪にまみれるのはごめんだ。
逃げるように、あずさの部屋を出た。