囚われのシンデレラ【完結】
そんなある日、突然、突きつけられた社内の不祥事。西園寺の一族である役員の一人が、投資の関係で大損害を出したと聞いた。その額が大きくて経営にも影響を及ぼしそうだと、ごく限られた上層部の中で騒然となった。
そしてもたらされたのが、俺への縁談だった。結婚と引き換えにこの損失を埋めるための援助をするという、あからさまな取り引きだ。当然、そんなものを受けるつもりはなかった。
『社員を路頭に迷わせるわけには行かない』
『西園寺一族を潰す気か』
そんなことを延々と言われ続けた。しまいには、遥人にまであずさを諦めろと言われた。
「佳孝には背負っているものがあるんだ。それを前にして、自分の恋愛が優先されるはずがない。それぐらいわかるだろ」
遥人の言っていることは分かる。
それでも、あずさと別れるなんて想像すらできなかった。
「――こんな取引みたいな結婚間違っている。そんな方法を取っていたら、いつか破綻するんじゃないのか。俺は俺の方法で、別の打開策を考えたい」
「ふざけんな!」
いつも温厚な遥人がテーブルを叩いた。
「だからおまえはお坊ちゃんなんだよ。世の中そんなに甘くない。みんな、優先事項を考えて、涙を呑んで二番目を捨てる。そうやって生きてる」
俺を鋭く睨みつける色素の薄い目を、じっと見つめ返す。
「俺にとってあずさは、二番目じゃない」
「……佳孝」
その時の遥人の目が忘れられない。失望したような、それでいて、深い悲しみに暮れたような。その複雑に揺れる目に、胸の奥が痛んだ。でも。
「おまえの言うことでも、今回ばかりは受け入れられない」
時には厳しいことも言いづらいことも包み隠さず俺に言う遥人に絶対の信頼を置いていた。物心ついた時から隣にいた親友に異を唱えたのは、初めてのことだった。
遥人さえ加担してじりじりと四方八方から詰め寄られるような毎日。そんな中で、どうしてもあずさの顔が見たくなって電話をしてしまった。
あずさを前にしたらもうだめだった。不安にさせてしまうかもしれないのに、抱きしめずにはいられなくて。触れれば触れるほど、この人以外に愛せないと確信した。
"信じて待っていてほしい"
だから、そうあずさに伝えた。
「――社長に好きな人がいるなんて言ったんだって?」
それからすぐに遥人が俺のところに来た。
「僕に佳孝の身辺を調べろと言って来た」
「……何?」
遥人の目に怒りが滲む。
「おまえが決断できないうちに、事は進んで行く。指くわえて社長が黙っているとでも思ったか」
「調べるって、お父さんがそんなことを――」
俺の知っている父は、厳しくはあるが優しさもある人だった。人を陥れたり見下したり騙したり、そういうことをする人間じゃない。話せばわかると、心のどこかで思っていた。
「社長には逆らえない。だから、調べさせてもらった。あずさちゃんのこと」
「おまえ――っ」
そんなことをした遥人が許せなかった。
「調べた結果をそのまま社長に見せるとは言ってない」
思わず掴んだ胸倉を離すと、遥人がとんでもないことを言い出した。
「調査結果だけど、思いもしなかった事実が分かった。僕も信じられなかったくらいだ。あずさちゃんには、おまえの他に付き合っている男がいる」
「……何言ってるんだ」
「佳孝が信じられない気持ちもわかる。でも、そう報告が上がって来たんだから仕方ない」
遥人の、見たこともない冷たい目が俺を見る。
「あずさはそんな女じゃない。その調査が絶対に正しいと言いきれるのか? そんなものより、俺は俺の見ているものを信じるよ」
あずさと一緒にいるのは俺だ。俺に向けるあの表情が、嘘であるはずがない。
「そうだな。僕もあずさちゃんはいい子だと思ってた。でも、女って言うのは、清純そうな顔の奥で平気で嘘をつく。おまえも経験しただろ。肩震わせて顔真っ赤にして、おまえに告白して来た女。まさか、二股かけて別の男とちゃっかり楽しんでたなんて想像出来たか? あの子はセンチュリーの御曹司と付き合いたかったんだ」
「あずさも、俺をそんな目で見てると言いたいのか……?」
「おまえは金を持ってる。あずさちゃん、バイトばかりしてるんだろ? 金が欲しくたって不思議じゃない。金のない音大生が入りのいい夜の仕事をしているなんてこともよく聞く話だ。金のある男に近付くことに何の不思議もない――」
「あずさを侮辱するな。いくらおまえでも許さない」
遥人だって、3人で会った時には俺たちのことを応援すると言ってくれていたのだ。
「あずさが俺に何かを要求したことなど一度もない。もっと甘えてほしいと思うくらい、あずさは何も求めない。そもそも、あずさに近付いたのは俺だ」
「この先、おまえをもっと骨抜きにしてから要求して来るかもしれない。人は、本当に欲しいものがある時、自分を変えてしまえるんじゃないか?」
――本当に欲しいもの。
「それがあずさちゃんにとっては夢なんだ。生まれた時から恵まれた環境で育って、欲しいものは手に入るおまえには分からないだろう。何が何でも欲しいものは、心を捨ててでも手に入れに行く。その貪欲さでしか手に入れられないものがある」
どうしても、俺にはあずさが嘘をついているとは思えなかった。