囚われのシンデレラ【完結】
「何がどうなろうと、やめられない。それだけ求めているものを手放せるわけがないんだ。実力がなかろうと結果が悪かろうと、葛藤したり落ち込んだりしても、結局バイオリンを弾き続けるんだろうな」
その人の目が酷く優しいものに感じて、勝手に胸の奥がドクンと鳴る。
「――俺には、そういうものがないから。情熱なんて感情、経験したこともない。だから、なんとなく羨ましい」
初めて見るそんな表情に、私はつい見入ってしまっていた。
「今の実力とやらは、あくまで今の時点でのものだ。時間は点じゃない。死ぬまで延々と続いて行く。二時間後、二日後、二週間後、同じなんてことはない。理想とする音を手に入れたくて弾き続けるんだろう? 自分でそう言ったんだ」
私に向けられた眼差しに、周囲の雑踏がどこか遠くのものに感じる。ただ、私にくれる言葉だけが、鼓膜を揺らした。
「――本当は、もう一つ言いたいことがあって待ってた」
そう言って、その人はガードレールから腰を上げた。
「あのラウンジで演奏を初めて聴いた時、理由なんてよく分からなかったけど、凄く心惹かれた。だからかな。バイトばかりしてないでもっと練習しろよって勝手に腹が立ってあんなこと言ったのかも。でもその時、”音楽は感情だ”って言われて、何かこう腑に落ちたんだ。感情なら理屈じゃないんだってね」
そう言って、少し照れくさそうにその人は言った。
「少なくとも俺は、君のバイオリンの音、好きだよ」
”好き”
それは私のバイオリンに対してのものなのに、何故だか勝手に心拍数が上がって内心恥ずかしいほどに慌てる。
惨めな状況を曝け出したから、慰めのつもりで言ってくれたのかもしれない。
それでも――。
「子どもの頃の習い事の中で、バイオリンは壊滅的にできなかった人間だから。そんな俺の意見じゃ、何の保証にもならないけどな」
「ううん、そんなことないです! そんな風に言ってもらえて、凄く、嬉しいです」
つい数分前まで、惨めで劣等感にまみれた気分になっていたのに、こうしてこの人に笑顔を見せている。笑えている。我ながら単純なんだと思う。でも、私にとって大切で揺るぎないものを、思い出させてもらえた気がする。
「おかげで、また練習頑張れそうです。今日は、ろくな練習にならないかもって思ってたから」
そう言って笑うと、その人も笑ってくれた。
「じゃあ、私、これから練習に行ってきます」
「ああ、頑張れよ」
その笑顔に何故だか泣きそうになって、誤魔化すように勢いよく頭を下げた。
「……あ、ありがとうございました!」
肩のストラップを握り直す。
見送られる視線にどこか名残惜しさを感じながら駈け出した。