囚われのシンデレラ【完結】


 あの人に言った通り、次の日、ホテルの裏庭でお弁当を食べていた。

「――こんにちは」

いつかと同じように背後から突然声が聞こえて振り向けば、その人がやって来た。条件反射のように姿勢を正す。

「こ、こんにちは」
「俺も、いい?」
「い、いいです。どうぞっ!」

何か紙袋を持ったよしたかさんがそう私に聞くと、向かいのベンチに腰を下ろした。

もしかして、私とお昼を食べるために、バイトが休みの日を聞いて来たのかな――。

と、一瞬考えそうになって、頭をぶるぶると振った。それはあまりに自意識過剰というもの。

たまたまだ。そう、たまたま。

自分に強くそう言い聞かせる。

「――最近、すごく楽しそうに弾いてるな」
「え?」

一人関係ないことを考えていたら、真正面に座るその人が、紙のコーヒーカップを手にして私を見て微笑んでいた。

「専門的なことはよく分からないけど、音が跳ねてる――っていう感じなのかな。活き活きしていて、聴いているこっちも楽しい」
「いつも、聴いてくださって、ありがとうございます」

手にしていた箸をお弁当箱の上に置き、小さく頭を下げた。

「いや、こっちこそ。いつも、バイト中の癒しをもらってる」

そう言ってよしたかさんも「ありがとう」と頭を下げた。その仕草が、よしたかさんの雰囲気と釣り合わなくて、つい笑ってしまった。

「……でも、良かった」

ふっと息を吐くみたいに出たその声に、視線を向ける。

「元気そうで」
「あ―――」

この前、Aオケから落ちたことを、この人に弱音を吐いたんだ。

「はい。気を取り直してまた頑張ってます。やっぱり、私の経済事情からバイトをやめることは出来ないので、日々の練習メニューを練り直すことにしたんです。限られた時間で、より効率的で質の高い練習は何かってことを考えて、自分でも研究して」

「それはいい考えじゃないか? 仕事だって、やみくもに時間をかければいいってもんじゃないとよく言うからな。それは、楽器の練習だって同じはずだ」

こうして外の空気に触れていると、春が確実に近づいていることが分かる。身体も心も、ぽかぽかとして来る。

「君の――」

そう言いかけて、よしたかさんが突然笑った。

「どうしたんですか……?」

しゅっとした顎のラインに長い指が置かれ、その唇が開くのを見つめる。

「いや、これだけ顔を合せていて、名前も知らないんだなって」

「確かに、自己紹介もしていませんでした。”よしたかさん”ですよね。あの、お友だちがそう呼んでいました」
「ああ……そっか」

納得したように頷くと、その視線を私に向けた。

「俺は、西園寺(さいおんじ)です。”佳孝(よしたか)”は、名前の方」

そうだったのか。勝手に名字だと思っていた。

「あいつ――俺と一緒にいた奴、遥人(はると)って言うんだけど。あいつが言っていたように、ここには大学の春休みでバイトに来てる。もう大学は卒業だ。そっちは?」
「進藤あずさです。音大の1年で、来月から2年です」

こうして改めて自己紹介するというのも、なんだか気恥ずかしい。

「――そっか。じゃあ、まだ未成年?」
「そうですけど、来月二十歳になるので、もう大人も同然です!」

どうして、そこで大人アピールをする必要がある――?

こうやってムキになってしまうところが、私がまだまだお子様な証拠なのかもしれない。この人と話していると、自分の心がいつも忙しなくなる。

「そう。”大人も同然”ね。了解」

ああ……。笑われてる。

整った顔立ちで、どちらかというと少し鋭い感じがする人がそうやって笑うと、ギャップが凄い。

つられて私も笑ってしまった。

「――あ! こんなところにいたのか!」

二人で笑い合っているところに、第三者の声が飛び込んで来た。

< 23 / 365 >

この作品をシェア

pagetop