囚われのシンデレラ【完結】

「間違いを犯してしまうくらい、自分を狂わせてしまうくらい、おまえから逃れられなかった……」

掠れて途切れ途切れの声。『間違い』という言葉が胸に留まる。

「僕には公香さんの気持ちが分かるんだ。手に入らないのに想いは消えてくれなくて、だから、いっそ消えてしまいたくなる」

消えたいと思う気持ち。
それを、他人が簡単に断罪できるものじゃない。でも、俺は遥人に言い放つ。

「そうだとしても、おまえのしようとしていることは、罪なんだよ」

遥人が顔を上げた。

「佳孝――」
「おまえが、もし、」

座り込む遥人の目の前にしゃがみ、視線を近付ける。
詰めた距離で間近になった遥人の目が泳ぐ。いつもの澄ましたものとは全然違う視線。

自分から押し倒して来た時とは全然違う反応――。

遥人の手に取るように分かる動揺ぶりに、本当に遥人が俺に恋愛感情があるのだと実感した。
だから、より身体を近付ける。
もう、ここに心はない。

「自分のしたことが少しでも間違いだったと思うなら、俺の役に立つことをしろ。おまえにしか出来ないことがある」

そして、その耳元に唇を寄せた。遥人が息を飲むのが分かる。
口を開き、その耳に低く響かせるように囁いた。

「7年前。漆原とうちとで、一体どんな取り決めがなされたのか探れ。おまえの父親なら確実に全てを把握し記録を残しているはずだ」
「……佳孝」

ゆっくりと顔を離してその肩に手を置き、真正面から遥人の目を捉える。
青白い月明かりの中でも分かるほどに、遥人は目に失望を滲ませながらも甘く囚われたように俺を見つめた。それに冷めた視線で返す。

「……だから、僕を死なせたくなかったのか?」

否定も肯定もせず視線をゆっくりと下へと逸らし、遥人の肩に置いた手をそのまま首筋へと滑らせた。

「本当に残酷な男だな……」

遥人は、そんな俺の行動を身体を強ばらせたまま受け止め、息を漏らすように言った。

「昔の俺とは違うことくらい、とっくに分かっているだろ?」

視線を遥人の唇へとたどり着いたところで止める。

「……出来るな?」

その震える唇が開くのを待つ。
首筋から這わせた指で、小刻みに震えるその唇に触れる。その瞬間に、びくっと遥人の肩が上がった。

「――」

まるで怯えているかのように微かに動いた唇を確認すると、すぐにその身体から離れ立ち上がった。

「期限は3日後。それまで出勤しなくていい」

魂を抜かれたようになっている遥人を、感情を一切排除した目で見下ろす。

「おまえは有能(・・)な秘書だ。期待してるよ」

そして遥人に背を向け部屋を出た。


 マンションの前に流れる川に桜の木が並び、その花が月明かりで白く闇に浮かび上がっていた。いつの間にか桜の季節になっていた。

 川に沿うように立てられている柵に身体を預け、花を見上げた。薄い桃色の花びらが少しずつ舞っている。気付かない間に咲いていた花は、今にもすべて散ってしまいそうだった。

 桜は、一年経てばまた咲く。でも、今の自分が、一年後にどうしているのかまるで見えない。

 身体が柵に沿って滑り落ちて行く。それを止《とど》める力が残っていない。額に当てた手に不意に視線を寄せれば、その指がさっき触れたものを思い出す。

 どうしようもないまでの虚しさに、いつまでもそこを動けないでいた。

< 289 / 365 >

この作品をシェア

pagetop