記憶が戻ったら〜孤独な妻は英雄夫の変わらぬ溺愛に溶かされる〜

【閑話】オールディス公爵の思い

 
 国王との視察を終えて帰宅したオールディス公爵に、執事は手紙を渡した。

 それは普段であれば関わらない人物からのものであった。
 一通ではなく、複数あるそれに順に目を通す。

 全てを読み終えたあと、公爵はふー、と息を吐いた。

(まさかに無能王太子が……。随分と勝手な事をしてくれる)

 さてどうしてくれようか、と机を指でとんとん叩く。
 公爵の瞳には怒りが宿っていた。


 手紙の差出人はディートリヒ・ランゲ。
 社交界では「醜悪伯爵」として名を知られているのは公爵も把握していたが、「王国の守護者」としての名も知っていた。

 いわく。
 国王と公爵が不在の隙に、王太子が勝手に政略的に結ばれた婚約者であるカトリーナに、真実、愛する者ができたとして、大衆集まる中婚約破棄を言い渡した。
 公爵からすれば─あるいは周囲の者からも─下らない罪を非難し、罰と称してディートリヒ・ランゲと無理矢理婚姻を結ばせたらしい。
 その時カトリーナは記憶喪失で、有無を言わせぬ状況であった事を詫びる文があった。

 次に開けた手紙には、ディートリヒの謝罪がつらつら並べられていた。

 いわく。
 白い結婚を貫けばカトリーナとの婚姻は無かった事になったろうが、自分が未熟で我慢ができなかったこと。
 騙し討ちのように彼女を手に入れてしまった事は終生責任を負う覚悟がある事など。

 妻の父にあてる手紙では無いだろうと思ったが、最後には

『お嬢様は必ず私がお守りします』

 と結ばれていた為、ひとまずおさめた。
 そして、次の手紙。

 カトリーナの日常が日記のように書かれていた。
 読み進めるだけでカトリーナがどのように過ごし、どのような状態であるかが分かる。
 ディートリヒの気持ちも。

 公爵は記憶が無いとはいえランゲ伯爵家から大事にされている事、カトリーナがディートリヒから愛され、大事にされている事を悟った。
 元々『王国の盾』と呼ばれる男の人となりは把握していた。
 望まない形とはいえ、娘が英雄のもとへ嫁いだ事は親として願ったりであったのだ。

 王国で一番安全な場所に匿われたのは好都合であった。


 最後の手紙を開け、公爵は眉根を寄せた。

『カトリーナの記憶が戻りました』

 一文の後に続くのは、先程までの手紙とうってかわった内容だった。
 ディートリヒは離縁の意思は無く、できれば添い遂げたいと綴られている。
 だがカトリーナの意思を優先させたいと。
 王太子に睨まれている為旧友を頼れないだろうが、実家は手助けしてやって欲しいとの言葉もあった。

 だが、オールディス公爵はカトリーナを手助けしなかった。
 もっともらしい理由は付けたが、全ては王太子から守るためだった。

 実家にいるより婚姻している方が良い。
 実家からは疎まれていると周りから思わせた方がいいと考えた。

 なぜなら、視察から帰って来たとき。
 王太子の無能さが明るみになっていたからだ。

 今まで執務などはカトリーナが負っていたのだろう。
 それにあぐらをかいて遊び呆けていた王太子は陛下不在の代理を務められて無かったのだ。

 カトリーナから窘められても態度を改めなかった男は、カトリーナというお目付け役がいなくなった途端、勝手に婚約者として据えた女と情欲に溺れまともに執務をしていなかった。
 その為、帰って来た陛下から即刻謹慎を言い渡された。今は部屋に監視付きで篭り、溜まった分の仕事をしている。

 無能ではあるが悪知恵だけは立派に働く王太子が、謹慎が明けても無いのにカトリーナに接触を図ろうとしている事は公爵の部下から聞いている。
 今まで通り執務を代行させたいのが目に見えていた。

 これ以上、カトリーナを都合のいいように扱われたくなかった。

 父親としては大変複雑ではあるが、婚姻し、初夜を済ませたカトリーナは例え側妃としても王室に入る資格を失っている為、それならば今のまま婚姻状態を保った方が良いと判断された。
 貴族夫人においそれと手を出すような莫迦では無いと、この時のオールディス公爵は思っていた。
 そしてディートリヒ・ランゲはオールディス公爵から見て信用に足る人物だった。
 社交界の噂より、普段の行いを重視している公爵からすれば王太子より数百倍良い相手なのだ。

 カトリーナに知らせなかったのは。
 〝ディートリヒ以外の場所にいればいずれは王太子の餌食になるから〟だ。
 騎士団の副団長、王国の盾、救国の英雄。
 彼が本気で拒否すれば、王室など取るに足らない存在である事は国王陛下や周りの側近たちには分かっていた。
 一人で敵国の将軍を打ち負かした男。
 単騎で一師団を殲滅し、将軍さえも倒したというのは決して誇張ではない。
 それが決定打となり、戦は完全勝利を挙げたのだから。

 王太子であるデーヴィドも、普通に国を思い、国を考えるならば気付くはずなのだ。
 王国の子どもたちが英雄に憧れた。
 だが彼は全く気付いていなかった。
 自身が赴く社交界での評判のみしか知らなかった。
 それがオールディス公爵にとっては好都合ではあるのだが。


 公爵はペンを取り、手紙の返事を書いた。

 もちろんディートリヒに宛てて。

『カトリーナを引き取る事はできないが、君に任せる』

 本音を言えば今すぐにでも迎えに行きたい。
 だが公爵はその気持ちをぐっと堪えた。

 正直王太子の謹慎などでは公爵の気は収まらない。
 明日にでも陛下に諫言せねばと独りごちる。


クソバカ無能(デーヴィド)王太子よ、婚姻はともかくカトリーナを侮辱した事は高くつくぞ」


 オールディス公爵は不敵に笑った。
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