旦那様は甘えたい
そうして準備も意気込みも万端に迎えたお花見当日。前日から気合を入れて進めたお弁当の仕込みに、それでも今朝は普段よりも輪をかけて早起きをした。
布団でむずがる竜胆さまの腕から何とか脱出し、渡り廊下に出てみるとまだ空は随分と暗い。三人分と言うことでそんなに沢山の量を作る必要は無いけれど、それでもやっぱり折角ならばと気合いの入りようも違う。
一日を通してダラダラしようと言う話だったので、お弁当の他にも甘味やおつまみなんかを用意した。
「っし、こんなもんかな」
重箱にきっちりとおかずを詰め込み、中々の上出来具合に我が事ながら鼻を鳴らす。するとちょうどいいタイミングで竜胆さまと椿さんが各々ひょっこりと渡り廊下から顔を覗かせ、寝癖知らずの艶やかな黒髪をあいも無造作にかいていた。
「早ぇな飛鳥。もう準備万端じゃん」
「おあよ、あすか…」
起き抜けの水を飲み干した椿さんが、覗き込むようにして私の手元の重箱を見下ろす。竜胆さまはまだ寝ぼけ眼の目を擦り、のっそりと私の背中に体重をかけるようにして甘える仕草で頭を擦り付けた。
朝の弱い竜胆さまに対し、椿さんはどんな時でも基本的に飄々とした姿で現れる。早朝だろうが深夜だろうが、彼のペースが崩れるところを私は未だ見た事がない。
「あいかわらず寝起きわりーのな竜胆は。まあそれにかこつけて飛鳥に甘えてる節もあるみてーだけど?」
「悔しいからって僻むなよ椿」
「朝っぱらから喧嘩はやめてくださいね」
バチバチと火花が散る気配を察知し、予め釘を打っておけば二人は渋々と大人しくなった。
簡単な朝食を済ませた頃には竜胆さまの目も漸くと覚めて、椿さんと二人離れの方の準備を進めている。
「なー飛鳥、酒瓶…」
「そっちの戸棚じゃ無かったですか?」
「んー…お、あったあった!へへ、折角ツマミも作ってくれた事だし、強え酒ぶっ込んで竜胆の奴潰してやろ~」
「ほどほどにしてあげてくださいね…」
「わかってんよ」
戸棚をゴソゴソと漁っていた椿さんは、にぱっと笑って顔よりも断然大きい酒瓶を複数両手に抱えた。ラベルはどうにも見たことがないものばかりだが、以前これらの酒は人間用では無いのだと説明されたことを思い出す。
「お二人がお酒を飲んでるところって今日初めて見るかもしれません」
「あー、まあ竜胆はそんなに酒飲まねえしな。俺は離れで一人寂しく晩酌だし」
誘ったって飛鳥付き合ってくれねえんだもん、と傍にしなだれかかる椿さんに、私はへらりと苦笑を返す。
だって竜胆さまに全力で止められていますから。
「お酒強いんですか?」
「人に比べりゃそれなりにな。俺は結構飲む口だけど、竜胆も多分同じくらいはいけるんじゃねえか?双子だし」
だからこそこれの出番よ、と椿さんが意地の悪い笑顔で取り出した瓶の度数を聞いて、それはもう消毒液かなんかなんじゃないんですか、と引き気味に思う。もう栓を抜いた瞬間にじゅわっと蒸発しそうだ。
「でも酔った竜胆には興味あんじゃねえの?」
「それはまあ、確かに気にはなりますね。酔った時は本性が出るなんて聞いたこともありますし…」
「甘えたの泣き上戸だったらいいネタになるんだけど」
「揺すっちゃダメですよ」
「ハイハイ」
ケラケラ笑った椿さんは、両手の酒瓶を楽しそうに運んで離れに消えていった。これはもう花見というより宴会になりそうだなあと苦笑して、私も自分の分の飲み物やら用意したお弁当やらを持って炊事場を離れる。
「あすか!」
襖を開ければ既に酒を飲み始めていたらしい二人。竜胆さまはパッと顔を華やがせ、とんとんと自分の隣を叩いて私を呼んだ。
「コイツと二人で酒飲むのとか拷問かと思った」
「ひでぇ言い草だな。鏡見てんのと変わんねぇだろ」
「俺はそんなに下品な面しない」
「ああ…」
「おい飛鳥何ちょっと納得してんだよ!」
竜胆さまと椿さん、双子と言うだけあってやっぱり顔の作りはそっくりなのだが。内面が出るというか性格が出るというか…、まあ椿さんの方がちょこっと、ちょーっぴり意地悪そうな顔をしてらっしゃる。
「まあまあ、細かいことは気にせずお花見を楽しみましょう?お弁当もおつまみも沢山用意しましたし、お好きなものを食べてください」
ぱか、と重箱の蓋を開けて。縁側に敷かれた布の上に一つ一つとおかずの詰まった箱を置く。結局中身は和食がメインで、重箱とは別に数種類のおにぎりやお稲荷さん、ちらし寿司なんかも用意した。
「おかず、俺が好きなのいっぱい入ってるね」
「竜胆さまの好みも段々と分かってきましたから!あ、ちゃーんと甘い卵焼きも沢山作ってますよ?だかお二人とも取り合いの喧嘩はしないで下さいね」
この前みたいにおかずの取り合いで暴れたら、ここにある卵焼きは全部私が一人で食べます。殊勝な態度で宣言すれば、竜胆さまも椿さんも多少は罪悪感を覚えているのかモゾりと居心地悪そうに頭をかいた。
「ま、何はともあれ改めまして。乾杯でもしようぜお二人さん!」
「ん、あすかはコレね」
「あ、ありがとうございます」
手渡された緑茶をひょいと掲げ、二人が持っているグラスの下の方へちょんとぶつければ乾杯の音頭。我先にと箸が伸びるのはやっぱり例の卵焼きで、こんなところもお揃いなんだなぁとほんわかした気持ちでそれを眺めた。
「晴れて良かったですね。予報じゃ小雨が降るかもしれないって言ってたので心配してたんですけど」
「うん。あすかが楽しみにしてたし、ちょっと頑張った」
えっへん、なんて胸を張ったように竜胆さまが笑って。そうか、頑張ってくれたのかあとウンウン頷いた数拍後、私はすぐさま首を捻る。え、今頑張ったって言いましたこの人?
「が、頑張ったって天気いじれるんですか竜胆さま!?」
「ん?うん。まあ今はこの神社周りを何とかするのが関の山だけど」
「飛鳥、いちいち驚いてたらこの先身が持たねえぜ。あ、妖パワーか。ぐらいに思っとかねぇと」
「椿さんも出来るんですか…?」
「そりゃな」
「あやかしぱわーか……」
やっぱりこの人たちはとんでもねえ規格外なのだと改めて実感した。いや、もう本当にそろそろ慣れないと椿さんの言う通り身が持たないかもしれない。
「でもあすかが喜んでくれて良かった。俺も嬉しいし、楽しい」
お酒が入っているからか、普段よりも数割増の柔らかい笑顔で竜胆さまがくふりと微笑む。ほんのり赤みがかった頬からはアルコールの色がうかがえて、本当に強い酒を盛りやがったと素知らぬ顔で藤を眺める椿さんを横目で睨んだ。
「竜胆さま、お酒と同じくらいお水もしっかり飲みましょうね?」
「んぅー、ふふ、うん。あすかが飲ませてくれるなら、いいよ」
「飛鳥ー、俺も二日酔いにならないようにお水口移しで…」
「池で水浴びしててください」
「うわひっでぇの!!」
お弁当を食べて、お酒やお茶をのんで談笑して。ぽかぽかとした日当たりはただそれだけで心地よく、時折聞こえる鳥のさえずりなんかがこれまた風流で耳を楽しませる。時折立ち上がって藤の花のそばまで近づき、池を泳ぐ鯉や亀なんかに餌もやりながら穏やかな時を満喫した。
「藤のお花見って言うのも新鮮でいいですね」
「だめ、あすか。藤の花より俺を見て。…でも藤棚に立つあすかは見たい。絶対きれいだし、いい匂いするし…」
「ははっ、いい具合に酔ってんなぁ竜胆」
ぐじゅぐじゅと熱に浮かされたように瞳を潤ませた竜胆さまが、ちょっと乱暴なくらい強い力で私のほっぺたをきゅっと固定する。藤の花を見ていた視界が一転、ぐるんと竜胆さまの端正な顔だけを捉えて、お酒に濡れた薄い唇がちゅっちゅと雨のように私の顔中に降り注いだ。
「ひっ、椿さん、へるぷ、へるぷ!!」
「あすか…ん、ちゅっ、んふ。照れてる?」
「諦めな飛鳥。理性飛んでる竜胆からお前奪ったら冗談抜きに俺殺されちゃう。…でもいいなー俺もお前とキスしてーなー。なあ足とか手とかだったら許してくれるかな?顔じゃなきゃセーフ?」
「ダメだこっちも大概酔っ払ってやがる…!」
ちゅー、と柔らかな唇を押し付けてくる竜胆さまは、私を背後からぎゅっと抱きしめて逃がしてくれない。対する椿さんは、少し離れたところに座っていたはずなのに、のっそのっそと前のめりになって距離を詰めつつ、正面からじいっと舐めるような目で私のつま先から顔面までを見つめている。
正しく前門の虎、後門の狼状態だ。
「あすか、やぁらかくて甘い匂いがして、俺だいすき。何時もね、優しいとことか変なとことかが好きだなって思うけど、顔も体もせんぶ好き。あすかの匂い嗅いでると、頭とか腰がジンッてして、なんか痺れるみたいできもちぃ」
「あー、俺は今みてぇに顔真っ赤にして泣きそうになってるトコとかがグッとくるな。普段が無垢な笑顔だし、もっと色んな顔させてやりてぇっつーか、触ったらどんな顔すんだろうって考えただけでもそそる」
「やばいやばい雲行きが怪しいし若干1名がゲスだ!!」
このままだと頭からぱっくり頂かれかねない。慌ててじたばたと手足を暴れさせると、頭上に広がった竜胆さまの顔が、きゅっと悲しそうに歪んで崩れた。
「…なんで逃げようとするの?俺のこと嫌いになった?だからあすか、ちゅうも、ぎゅうも嫌がるの?」
「えっ、竜胆さま…?」
「へっ、嫌われてやんの竜胆。お前見かけによらず甘ったれだからなぁ。そー言うとこで愛想つかされたんじゃね?」
「甘える俺はきらい?でも俺、あすかが傍にいたら腕の中に閉じ込めたくなっちゃうから。触ってないと不安…でもそれで嫌われるんなら我慢しないと…」
「ちょ、椿さんも話ややこしくしないでください!」
しくしくと涙を滲ませて、ぐずる子供みたいに私を抱きしめる竜胆さまは、それでもキスの雨を降らせることは辞めない。腰や首筋を撫でる手つきもちょっとだけ大人な意味を孕んでいるように甘く動いて、私は彼の骨ばった大きな手を意識せずにはいられなくなった。
「ねえ、あすかは俺に嫁いでくれたんだよね?」
「それはまあ、そう、なんですけど…」
「でも、こうやって俺に触られるのはいや?」
「えっ、いや、と、言うか」
こてん、と竜胆さまが首を傾げて、彼のサラリとした髪が私の項をくすぐった。そのなんとも言えぬ感覚に一人ふるりと身震いすれば、正面で胡座をかく椿さんが意地悪げに笑って瞳を細める。
「馬鹿だな竜胆。ソウイウ時の嫌ってのは、大概がもっとしてって意味なんだよ。嫌よ嫌よもって言うだろ?お前がもどかしー触り方してっから飛鳥も焦れてんじゃねぇの」
「さ、最低だこのおっさん!!」
はっはと笑みを深めた椿さんは、この状況を唯一俯瞰で楽しんでいるようだった。私たちの攻防を酒のツマミにでもするように、枡を煽っては酩酊感に思考をどろりと溶けさせている。
もう暫く甘いデザートは用意してやらねぇ、と意地になって睨みつけるも、全く意に介していないようにへらりと悪い飛ばされてしまった。
「あすか、もっと触ってほしいってこと?」
「あーこっちはこっちでしっかり椿さんの話聞いてやがる!いや違います触らないでいいですお願いちょっと待って止まれ!!待て!!!」
「くぅん」
ぴっと竜胆さまの鼻先を指でつつけば、垂れた犬耳とそれでも振り続けられる大型犬のしっぽが見えた気がした。
ああ、彼の行動に何処が既視感が有ると思っていたが、これはあれだ。昔幼馴染の家で飼われていた大型犬、真っ黒な毛と凛々しい顔つきで一見かっこいい印象が強かったハスキーそっくりなんだ。主に懐くとべらぼうに甘えてくるところとかが。
「おいおい一応それなりに偉い妖様相手に犬扱いかよ。バチが当たっても知らねえぜ?」
「…椿さんには見えないんですか。このちぎれんばかりに振りたくられてるしっぽが」
「んー、うん。見えるわ見える。犬扱いされて尚嬉しそうにしてる兄弟のドロッドロに蕩けた顔が嫌でも見えてる」
「この酔いかたってなんて言うんですかね…。犬上戸?」
「泣き上戸か絡み酒の方がまだマシだったとはな」
待て、とストップをかけてから必要以上に動かなくなった竜胆さまは、ふんふんと何処が楽しそうに鼻を鳴らして私の首筋に顔を擦りつけている。
マーキングだな!なんてグッドサインを送ってくる正面の酔っ払いに手近なおしぼりを投げつけたくなった。
「あすか、俺まてできた。いい子にしてるよ?」
「えぇ…、まあいい子と言えなくもない…のか?いやいい子かコレ??」
「ねえご褒美欲しい。あすかからちゅーして?」
「ヒェッ顔面兵器…!!」
はあっ、と吐息たっぷりに顔を近づけてくる竜胆さまは端的に言って色気がやばい。それはもう猥褻物と称された椿さんと同じくらい、いやそれ以上の熱っぽくて色を持った瞳が私の唇を見つめている。
「あすかのお願い聞いたでしょ?じゃあ次は俺の番」
ん、と唇を緩く尖らせて。期待にらんらんと目を輝かせた竜胆さまが今か今かとしっぽを振って待機している。
いやそんなことって有ります?ご褒美にちゅーって、それこそ犬じゃないんですから、なんて理性的に言ったところでこの場に理性が残ってるのは私しかいない。
もうこの人らに私の前で酒を飲むのはやめてもらおうと遠い目をしながら心に決め、しかし何時までも鳴り止まないちゅうちゅうと言うキスミーコールに私はとうとう頭を抱えた。だってやりたくない。恥ずかしいし、正直お嫁さんと言われてもこちとら恋だの愛だのとは生涯無縁な生活でここまで生きてきたのだ。そんなに簡単に割り切ることだって出来ないおぼこなのである。
ーだって普通キスってもっと段階踏むものだよね?片思いして愛を募らせて、両思いになってからだってデートとかして距離を縮めて、そこで初めてキスするのであって…。
遠い昔に見た少女漫画。そのどれもに描かれていた甘酸っぱい青春は、誰かを好きになったことで抱く酸いや甘いが切なく描かれていたはずだ。
何もこんな、金平糖をさらに蜂蜜につけて練乳ぶっかけましたみたいに甘ったるい展開ばっかりじゃ無かったはず。
私が竜胆さまに抱く思いは確かに好意ではあるけれど、それが正しく恋愛感情かと聞かれれば未だ疑問が残るのだ。お嫁さんとしての勤めを果たさなければと思う反面、駆け足でこんなに距離を縮めてしまったことへの戸惑いや疑問だって確かにある。
さてどうしよう、と一度辺りを巡視して。全く役に立ちそうに無いエロ親父をスルーしつつ、やっぱり視線が縫い止められるのは私を見下ろす竜胆さまの瞳。
熱に浮かされた瞳はとろんと溶けて、すき、すきなんて甘い言葉も途切れることなく振り続ける。
ーどうして私を好きになったんですか。
そんな言葉を呑み込むように、私は緊張で乾いた唇を竜胆さまの瞼にそっと口付けた。
布団でむずがる竜胆さまの腕から何とか脱出し、渡り廊下に出てみるとまだ空は随分と暗い。三人分と言うことでそんなに沢山の量を作る必要は無いけれど、それでもやっぱり折角ならばと気合いの入りようも違う。
一日を通してダラダラしようと言う話だったので、お弁当の他にも甘味やおつまみなんかを用意した。
「っし、こんなもんかな」
重箱にきっちりとおかずを詰め込み、中々の上出来具合に我が事ながら鼻を鳴らす。するとちょうどいいタイミングで竜胆さまと椿さんが各々ひょっこりと渡り廊下から顔を覗かせ、寝癖知らずの艶やかな黒髪をあいも無造作にかいていた。
「早ぇな飛鳥。もう準備万端じゃん」
「おあよ、あすか…」
起き抜けの水を飲み干した椿さんが、覗き込むようにして私の手元の重箱を見下ろす。竜胆さまはまだ寝ぼけ眼の目を擦り、のっそりと私の背中に体重をかけるようにして甘える仕草で頭を擦り付けた。
朝の弱い竜胆さまに対し、椿さんはどんな時でも基本的に飄々とした姿で現れる。早朝だろうが深夜だろうが、彼のペースが崩れるところを私は未だ見た事がない。
「あいかわらず寝起きわりーのな竜胆は。まあそれにかこつけて飛鳥に甘えてる節もあるみてーだけど?」
「悔しいからって僻むなよ椿」
「朝っぱらから喧嘩はやめてくださいね」
バチバチと火花が散る気配を察知し、予め釘を打っておけば二人は渋々と大人しくなった。
簡単な朝食を済ませた頃には竜胆さまの目も漸くと覚めて、椿さんと二人離れの方の準備を進めている。
「なー飛鳥、酒瓶…」
「そっちの戸棚じゃ無かったですか?」
「んー…お、あったあった!へへ、折角ツマミも作ってくれた事だし、強え酒ぶっ込んで竜胆の奴潰してやろ~」
「ほどほどにしてあげてくださいね…」
「わかってんよ」
戸棚をゴソゴソと漁っていた椿さんは、にぱっと笑って顔よりも断然大きい酒瓶を複数両手に抱えた。ラベルはどうにも見たことがないものばかりだが、以前これらの酒は人間用では無いのだと説明されたことを思い出す。
「お二人がお酒を飲んでるところって今日初めて見るかもしれません」
「あー、まあ竜胆はそんなに酒飲まねえしな。俺は離れで一人寂しく晩酌だし」
誘ったって飛鳥付き合ってくれねえんだもん、と傍にしなだれかかる椿さんに、私はへらりと苦笑を返す。
だって竜胆さまに全力で止められていますから。
「お酒強いんですか?」
「人に比べりゃそれなりにな。俺は結構飲む口だけど、竜胆も多分同じくらいはいけるんじゃねえか?双子だし」
だからこそこれの出番よ、と椿さんが意地の悪い笑顔で取り出した瓶の度数を聞いて、それはもう消毒液かなんかなんじゃないんですか、と引き気味に思う。もう栓を抜いた瞬間にじゅわっと蒸発しそうだ。
「でも酔った竜胆には興味あんじゃねえの?」
「それはまあ、確かに気にはなりますね。酔った時は本性が出るなんて聞いたこともありますし…」
「甘えたの泣き上戸だったらいいネタになるんだけど」
「揺すっちゃダメですよ」
「ハイハイ」
ケラケラ笑った椿さんは、両手の酒瓶を楽しそうに運んで離れに消えていった。これはもう花見というより宴会になりそうだなあと苦笑して、私も自分の分の飲み物やら用意したお弁当やらを持って炊事場を離れる。
「あすか!」
襖を開ければ既に酒を飲み始めていたらしい二人。竜胆さまはパッと顔を華やがせ、とんとんと自分の隣を叩いて私を呼んだ。
「コイツと二人で酒飲むのとか拷問かと思った」
「ひでぇ言い草だな。鏡見てんのと変わんねぇだろ」
「俺はそんなに下品な面しない」
「ああ…」
「おい飛鳥何ちょっと納得してんだよ!」
竜胆さまと椿さん、双子と言うだけあってやっぱり顔の作りはそっくりなのだが。内面が出るというか性格が出るというか…、まあ椿さんの方がちょこっと、ちょーっぴり意地悪そうな顔をしてらっしゃる。
「まあまあ、細かいことは気にせずお花見を楽しみましょう?お弁当もおつまみも沢山用意しましたし、お好きなものを食べてください」
ぱか、と重箱の蓋を開けて。縁側に敷かれた布の上に一つ一つとおかずの詰まった箱を置く。結局中身は和食がメインで、重箱とは別に数種類のおにぎりやお稲荷さん、ちらし寿司なんかも用意した。
「おかず、俺が好きなのいっぱい入ってるね」
「竜胆さまの好みも段々と分かってきましたから!あ、ちゃーんと甘い卵焼きも沢山作ってますよ?だかお二人とも取り合いの喧嘩はしないで下さいね」
この前みたいにおかずの取り合いで暴れたら、ここにある卵焼きは全部私が一人で食べます。殊勝な態度で宣言すれば、竜胆さまも椿さんも多少は罪悪感を覚えているのかモゾりと居心地悪そうに頭をかいた。
「ま、何はともあれ改めまして。乾杯でもしようぜお二人さん!」
「ん、あすかはコレね」
「あ、ありがとうございます」
手渡された緑茶をひょいと掲げ、二人が持っているグラスの下の方へちょんとぶつければ乾杯の音頭。我先にと箸が伸びるのはやっぱり例の卵焼きで、こんなところもお揃いなんだなぁとほんわかした気持ちでそれを眺めた。
「晴れて良かったですね。予報じゃ小雨が降るかもしれないって言ってたので心配してたんですけど」
「うん。あすかが楽しみにしてたし、ちょっと頑張った」
えっへん、なんて胸を張ったように竜胆さまが笑って。そうか、頑張ってくれたのかあとウンウン頷いた数拍後、私はすぐさま首を捻る。え、今頑張ったって言いましたこの人?
「が、頑張ったって天気いじれるんですか竜胆さま!?」
「ん?うん。まあ今はこの神社周りを何とかするのが関の山だけど」
「飛鳥、いちいち驚いてたらこの先身が持たねえぜ。あ、妖パワーか。ぐらいに思っとかねぇと」
「椿さんも出来るんですか…?」
「そりゃな」
「あやかしぱわーか……」
やっぱりこの人たちはとんでもねえ規格外なのだと改めて実感した。いや、もう本当にそろそろ慣れないと椿さんの言う通り身が持たないかもしれない。
「でもあすかが喜んでくれて良かった。俺も嬉しいし、楽しい」
お酒が入っているからか、普段よりも数割増の柔らかい笑顔で竜胆さまがくふりと微笑む。ほんのり赤みがかった頬からはアルコールの色がうかがえて、本当に強い酒を盛りやがったと素知らぬ顔で藤を眺める椿さんを横目で睨んだ。
「竜胆さま、お酒と同じくらいお水もしっかり飲みましょうね?」
「んぅー、ふふ、うん。あすかが飲ませてくれるなら、いいよ」
「飛鳥ー、俺も二日酔いにならないようにお水口移しで…」
「池で水浴びしててください」
「うわひっでぇの!!」
お弁当を食べて、お酒やお茶をのんで談笑して。ぽかぽかとした日当たりはただそれだけで心地よく、時折聞こえる鳥のさえずりなんかがこれまた風流で耳を楽しませる。時折立ち上がって藤の花のそばまで近づき、池を泳ぐ鯉や亀なんかに餌もやりながら穏やかな時を満喫した。
「藤のお花見って言うのも新鮮でいいですね」
「だめ、あすか。藤の花より俺を見て。…でも藤棚に立つあすかは見たい。絶対きれいだし、いい匂いするし…」
「ははっ、いい具合に酔ってんなぁ竜胆」
ぐじゅぐじゅと熱に浮かされたように瞳を潤ませた竜胆さまが、ちょっと乱暴なくらい強い力で私のほっぺたをきゅっと固定する。藤の花を見ていた視界が一転、ぐるんと竜胆さまの端正な顔だけを捉えて、お酒に濡れた薄い唇がちゅっちゅと雨のように私の顔中に降り注いだ。
「ひっ、椿さん、へるぷ、へるぷ!!」
「あすか…ん、ちゅっ、んふ。照れてる?」
「諦めな飛鳥。理性飛んでる竜胆からお前奪ったら冗談抜きに俺殺されちゃう。…でもいいなー俺もお前とキスしてーなー。なあ足とか手とかだったら許してくれるかな?顔じゃなきゃセーフ?」
「ダメだこっちも大概酔っ払ってやがる…!」
ちゅー、と柔らかな唇を押し付けてくる竜胆さまは、私を背後からぎゅっと抱きしめて逃がしてくれない。対する椿さんは、少し離れたところに座っていたはずなのに、のっそのっそと前のめりになって距離を詰めつつ、正面からじいっと舐めるような目で私のつま先から顔面までを見つめている。
正しく前門の虎、後門の狼状態だ。
「あすか、やぁらかくて甘い匂いがして、俺だいすき。何時もね、優しいとことか変なとことかが好きだなって思うけど、顔も体もせんぶ好き。あすかの匂い嗅いでると、頭とか腰がジンッてして、なんか痺れるみたいできもちぃ」
「あー、俺は今みてぇに顔真っ赤にして泣きそうになってるトコとかがグッとくるな。普段が無垢な笑顔だし、もっと色んな顔させてやりてぇっつーか、触ったらどんな顔すんだろうって考えただけでもそそる」
「やばいやばい雲行きが怪しいし若干1名がゲスだ!!」
このままだと頭からぱっくり頂かれかねない。慌ててじたばたと手足を暴れさせると、頭上に広がった竜胆さまの顔が、きゅっと悲しそうに歪んで崩れた。
「…なんで逃げようとするの?俺のこと嫌いになった?だからあすか、ちゅうも、ぎゅうも嫌がるの?」
「えっ、竜胆さま…?」
「へっ、嫌われてやんの竜胆。お前見かけによらず甘ったれだからなぁ。そー言うとこで愛想つかされたんじゃね?」
「甘える俺はきらい?でも俺、あすかが傍にいたら腕の中に閉じ込めたくなっちゃうから。触ってないと不安…でもそれで嫌われるんなら我慢しないと…」
「ちょ、椿さんも話ややこしくしないでください!」
しくしくと涙を滲ませて、ぐずる子供みたいに私を抱きしめる竜胆さまは、それでもキスの雨を降らせることは辞めない。腰や首筋を撫でる手つきもちょっとだけ大人な意味を孕んでいるように甘く動いて、私は彼の骨ばった大きな手を意識せずにはいられなくなった。
「ねえ、あすかは俺に嫁いでくれたんだよね?」
「それはまあ、そう、なんですけど…」
「でも、こうやって俺に触られるのはいや?」
「えっ、いや、と、言うか」
こてん、と竜胆さまが首を傾げて、彼のサラリとした髪が私の項をくすぐった。そのなんとも言えぬ感覚に一人ふるりと身震いすれば、正面で胡座をかく椿さんが意地悪げに笑って瞳を細める。
「馬鹿だな竜胆。ソウイウ時の嫌ってのは、大概がもっとしてって意味なんだよ。嫌よ嫌よもって言うだろ?お前がもどかしー触り方してっから飛鳥も焦れてんじゃねぇの」
「さ、最低だこのおっさん!!」
はっはと笑みを深めた椿さんは、この状況を唯一俯瞰で楽しんでいるようだった。私たちの攻防を酒のツマミにでもするように、枡を煽っては酩酊感に思考をどろりと溶けさせている。
もう暫く甘いデザートは用意してやらねぇ、と意地になって睨みつけるも、全く意に介していないようにへらりと悪い飛ばされてしまった。
「あすか、もっと触ってほしいってこと?」
「あーこっちはこっちでしっかり椿さんの話聞いてやがる!いや違います触らないでいいですお願いちょっと待って止まれ!!待て!!!」
「くぅん」
ぴっと竜胆さまの鼻先を指でつつけば、垂れた犬耳とそれでも振り続けられる大型犬のしっぽが見えた気がした。
ああ、彼の行動に何処が既視感が有ると思っていたが、これはあれだ。昔幼馴染の家で飼われていた大型犬、真っ黒な毛と凛々しい顔つきで一見かっこいい印象が強かったハスキーそっくりなんだ。主に懐くとべらぼうに甘えてくるところとかが。
「おいおい一応それなりに偉い妖様相手に犬扱いかよ。バチが当たっても知らねえぜ?」
「…椿さんには見えないんですか。このちぎれんばかりに振りたくられてるしっぽが」
「んー、うん。見えるわ見える。犬扱いされて尚嬉しそうにしてる兄弟のドロッドロに蕩けた顔が嫌でも見えてる」
「この酔いかたってなんて言うんですかね…。犬上戸?」
「泣き上戸か絡み酒の方がまだマシだったとはな」
待て、とストップをかけてから必要以上に動かなくなった竜胆さまは、ふんふんと何処が楽しそうに鼻を鳴らして私の首筋に顔を擦りつけている。
マーキングだな!なんてグッドサインを送ってくる正面の酔っ払いに手近なおしぼりを投げつけたくなった。
「あすか、俺まてできた。いい子にしてるよ?」
「えぇ…、まあいい子と言えなくもない…のか?いやいい子かコレ??」
「ねえご褒美欲しい。あすかからちゅーして?」
「ヒェッ顔面兵器…!!」
はあっ、と吐息たっぷりに顔を近づけてくる竜胆さまは端的に言って色気がやばい。それはもう猥褻物と称された椿さんと同じくらい、いやそれ以上の熱っぽくて色を持った瞳が私の唇を見つめている。
「あすかのお願い聞いたでしょ?じゃあ次は俺の番」
ん、と唇を緩く尖らせて。期待にらんらんと目を輝かせた竜胆さまが今か今かとしっぽを振って待機している。
いやそんなことって有ります?ご褒美にちゅーって、それこそ犬じゃないんですから、なんて理性的に言ったところでこの場に理性が残ってるのは私しかいない。
もうこの人らに私の前で酒を飲むのはやめてもらおうと遠い目をしながら心に決め、しかし何時までも鳴り止まないちゅうちゅうと言うキスミーコールに私はとうとう頭を抱えた。だってやりたくない。恥ずかしいし、正直お嫁さんと言われてもこちとら恋だの愛だのとは生涯無縁な生活でここまで生きてきたのだ。そんなに簡単に割り切ることだって出来ないおぼこなのである。
ーだって普通キスってもっと段階踏むものだよね?片思いして愛を募らせて、両思いになってからだってデートとかして距離を縮めて、そこで初めてキスするのであって…。
遠い昔に見た少女漫画。そのどれもに描かれていた甘酸っぱい青春は、誰かを好きになったことで抱く酸いや甘いが切なく描かれていたはずだ。
何もこんな、金平糖をさらに蜂蜜につけて練乳ぶっかけましたみたいに甘ったるい展開ばっかりじゃ無かったはず。
私が竜胆さまに抱く思いは確かに好意ではあるけれど、それが正しく恋愛感情かと聞かれれば未だ疑問が残るのだ。お嫁さんとしての勤めを果たさなければと思う反面、駆け足でこんなに距離を縮めてしまったことへの戸惑いや疑問だって確かにある。
さてどうしよう、と一度辺りを巡視して。全く役に立ちそうに無いエロ親父をスルーしつつ、やっぱり視線が縫い止められるのは私を見下ろす竜胆さまの瞳。
熱に浮かされた瞳はとろんと溶けて、すき、すきなんて甘い言葉も途切れることなく振り続ける。
ーどうして私を好きになったんですか。
そんな言葉を呑み込むように、私は緊張で乾いた唇を竜胆さまの瞼にそっと口付けた。