あなたがそばにいるから
3.優太
『藤枝が階段から落ちたらしい。フロアを出たすぐのところだ。来てくれ』
やたらと焦った課長の声が、電話から聞こえた。
『来てくれ』しか理解できずに、とにかく階段に向かった。
人だかりをかき分けると、遥が横になっていた。目を閉じている。
「遥‼︎」
駆け寄った俺を、営業の先輩社員が止める。
課長の鋭い声が響いた。
「触るな、頭を打ってるらしい。今救急車が来るから、動かすなよ」
課長は、橙子さんを抱き止めている。
橙子さんは泣きじゃくって、うわ言のように遥の名前を呼んでいる。
救急車が来て、さっき俺を止めた先輩が状況を説明する。
「何かが落ちるみたいな音と悲鳴が聞こえて、僕が見た時には、この人はこのままで、あの人が階段の3段目くらいにいました。あの人が自分の代わりに落ちたって言ってたので、多分その辺りから落ちたんだと思います」
『この人』は遥、『あの人』は橙子さんだ。
遥は担架に乗せられた。
「赤木、行ってくれ」
課長の言葉に、俺は頷いて担架の後を追う。
救急車に乗り込む直前、後ろから声がかかった。
「赤木君!これ!」
小山田さんが、俺と遥のカバンと、遥のカーディガンを渡してくれた。
「こっちのことは心配しなくていいから」
「ありがとうございます」
小山田さんは息を切らしている。走ってきてくれたらしい。
小山田さんが下がると、ドアが閉められた。
遥は眠ってるみたいな顔をしてた。
救急車の中でも、病院に着いても、検査してる間も、病室に入っても。
俺が付き添いとして、医師の話を聞いたり、遥の実家に連絡したり、会社に連絡したりしてる間も。
本当に眠っているのかと思った。
でも、いつも見る寝顔とは違う。
いつもは、もっとゆるゆるで、気持ち良さそうに、笑っているようにも見える顔で、安心し切って、俺の腕の中で。
こんな、無表情で目を閉じている顔じゃない。
それを見ていると、本当に目を覚ますのか、不安になった。
医師の話では、体に問題はなく、脳も正常、しばらくしたら目を覚ますだろうとのことだった。
待つしかなかった。
手を握ると、ヒヤッとしていた。
遥の手は、いつもは暖かい。
カイロみたいで、触るとホッとして、俺は遥と手をつなぐのが好きだった。
「……珍しいな」
遥の手が冷たいなんて。
「……あっためてやるから」
自分の手で、遥の手を包み込む。
早く、目を覚まして、安心させてくれ。
そう思いながら、いつのまにか眠ってしまった。
遥が目覚めたら、全部笑い話になる。そう思っていた。