あなたに嫌われたいんです
『はい』

「もしもし! 理人さん? あの件、無事徳島さんがやってくれました!」

『やった! さすがだな、みんな優秀だ』

 向こうで喜ぶ声が聞こえてくる。私も笑顔を漏らしながら尋ねた。

「今日出張から帰りだったよね?」

『夕方六時くらいかな』

「駅まで迎えにいくね」

『帰るのがさらに楽しみになった』

 そんなことをふざけたように言ったあと、電話を切る。スマホをポケットにしまうと、私はふうと大きな息を吐いた。

 体全体をゆっくり伸ばす。廊下の窓からぼんやりと外を見て、胸がいっぱいになるのを感じていた。


 
 私みたいな経験の少ない人間がこの会社を継ぐことになって半年。最初はまさにてんてこ舞い、分からないことだらけだし困ることばかりだった。やることは盛りだくさんで、夜も睡眠時間がゆっくり取れないことはしょっちゅうだった。

 そんな私を隣で支えてくれたのは理人さんだった。彼は何も分からない私をしっかり導いてくれた。

 本当は、理人さんは完全に八神を辞め、五十嵐に入るつもりでいてくれた。それをストップしたのは八神社長だった。ハッキリとは口にしなかったが、『これから五十嵐がどうなるか分からない中、二人とも五十嵐にいたのでは、何かあった時揃って路頭に迷ってしまう』ということを心配しているようだった。うちの会社の立て直しに力を貸すのはいいが、とりあえず籍はまだ八神でいろとのこと。

 八神社長の気持ちは正しいし理解できるので、それに従った。その代わり、理人さんは八神での仕事をセーブし、アドバイザーとしてうちの会社に携わってくれた。会社でも、そして家に帰れば個人的に私に色々教えてくれて、一番忙しかったのは理人さんじゃないかと思う。

 さすがは八神でしごかれていた人だ、物事を冷静に観察し、決断力も優れていた。さらには八神社長やお義兄さんにアドバイスを求め、二人とも親身になって応援してくれた。

 八神社長にいたっては、五十嵐に仕事も与えてくれた。貰った仕事は死に物狂いでこなした。これは私ではなく社員たちだ。とにかく丁寧に、的確にこなし、社長が『五十嵐は優秀な人ばかりだ』と感心するほどで、みんなには頭が上がらない。

 それを期に仕事が少しずつ増えた。事情を話して理解してくれた鬼頭社長や、一旦はうちから離れた仕事相手も親身になって協力してくれた。今になって、祖父や母が残した信頼が活きてきている。
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